ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年7月22日土曜日

梅雨明けして夏本番の中,開通した幹線道路を眺めに石川県立図書館へ。図書館では能「道成寺」に関するイベントに参加後,鉄道関係の展示も観てきました

子供たちの夏休みスタートに合わせるように, 金沢も梅雨明け。子供たち同様,この時期の晴れた空を見ると,心躍ります。暑すぎて,何もする気にならない感覚もあるのですが,その辺も込みで「夏本番だな」と感じます。

石川県立図書館です。夏の空の色ですね。

そんな中,石川県立図書館前の幹線道路(小立野から旭町・田上方面につながる道路)がようやく完成しました。この道路が開通すると,結構金沢市内の交通の流れが変わりそうです。というわけで,暑い中この道路を見てきました。

写真だとなんだかよく分かりませんね

右側は建設中の金沢美大。ほとんど完成している感じです。

道路だけ見ていても仕方がないので,県立図書館で午後からやっていた,能の「道成寺」に関するトークイベントも聞いてきました。

金沢で活躍する宝生流能楽師・高橋右任さんと能面師・後藤祐自さんの対談で,道成寺のストーリーや道成寺で使う能面の話題に加え,謡のレッスンの時間までありました。謡の節回しはなかなか難しいのですが,高橋さんの渋くツヤのある声を聴いていると,ちょっとやってみたくなりました。

能を観ると「眠くなる」と言われますが,高橋さんによると,「これは「幽玄の眠り」,これでいいんです。そもそも能面を付けている登場人物は皆さん霊界にいる死んだ人ばかりなので,ふわっとした感じで聴いてもらえばそれでよい」とのことです。そういえばワキの人は面を付けずにいるのですが,こちらは霊界と現実のつなぎ役とのこと。こういったことを知るだけで,能の見方が変わりそうです。


能面についての配布資料。大変充実した内容でした。

その他,館内では鉄道に関する展示も行っていました。

展示物の中では,今はなき特急「雷鳥」のプレート(何と呼ぶのでしょうか)が懐かしかったですね。

県立図書館の方は開館1周年で,閲覧席の方は,相変わらず賑わっていました。私も,この夏,「避暑」を兼ねて何回か出かけてみたいと思います。



2021年7月3日土曜日

7月になると観能の夕べのシーズンに。石川県立能楽堂で狂言「因幡堂」と能「籠太鼓」を鑑賞。両方とも夫婦関係がテーマ。近くで観たせいか面の美しさに魅了されました

 毎年7月になると,石川県立能楽堂は「観能の夕べ」のシーズンになります。毎週土曜日の夕方に狂言と能を1つずつ,1000円で楽しむことができます。今日が今シーズンの初回でした。

コロナ禍の影響か年齢の影響か,近年,能の静かさに妙に惹かれてきているのですが,本日はとても良い席で観られたこともあり,益々その魅力を実感できました。

本日上演されたのは次の2つの演目でした。どちらも夫婦関係がテーマでした。

狂言「因幡堂(いなばどう)」 男:炭光太郎,女:清水宗治

能「籠太鼓(ろうだいこ)」シテ:高橋右任,ワキ:殿田謙吉

狂言の方は,大酒飲みの妻と離縁して新しい相手を見つけたい男が,薬師如来にお願いする話です。しかし,妻の方が一枚上手,いつの間には薬師如来になりすまして,逆に妻から懲らしめられるというお話。どこか,「フィガロの結婚」を思わせる面白さがありました。炭さんの晴れ晴れとした声を聞くと,気分が晴れますね。

能の方は,殺人の罪で捉えられていた夫が脱牢してしまったので,代わりに妻(シテ)が九州松浦の何某(ワキ)の管理する牢に入るが,悲しみと不安のあまりに狂気の世界へ,というお話。前半・後半に分かれておらず,「実は〇〇」「夢でした」というパターンではなかったので,普通の時代劇といった感じでした。最後,松浦の何某が妻の夫を思う気持ちに免じて許されるのですが,牢が舞台という点で,ベートーヴェンの「フィデリオ」に通じるお話だと思いました。

能のシテは「曲見(しゃくみ)又は深井(ふかい)」の面。調べてみると,中年女性の面ということでしたが,この表情が美しいなぁと思いました。今回は真正面の近距離から観たので,特にその表情の美しさを実感しました。夫を思う気持ちがそうさせるのか,妙に艶めかしく感じました(これは私のメンタルの反映なのかもしれませんが...)。そして,常にシテに同情的だったワキの深みのある声も良いなぁと思いました。

どちらも初めて観る演目でしたが,夫婦という点で統一感もあったのも良かったですね。充実感のある時間を過ごすことができました。

土曜日午後は,オーケストラの演奏会もあるので,恐らく毎回行くのは難しそうですが,これからは猛暑の季節なので,「避暑」も兼ねてまた観に行きたいと思います。

2020年11月7日土曜日

本日は石川県立能楽堂の「加賀宝生の魅力 #ろうそく能 鑑賞会」に参加。#葵上 の般若の面の迫力がさらにアップしていました

本日は午後から,石川県立能楽堂で行われた「加賀宝生の魅力:ろうそく能 鑑賞会」に参加して来ました。

過去,金沢城公園などで薪能ならば観たことはありますが,「ろうそく能」を観るのは今回が初めてでした。能楽堂の舞台の回りに白い紙(?)のシェードに覆われたロウソクが並べられ,薄暗い雰囲気で能を観るというものです。

この雰囲気を一度味わってみたいと思い,今回参加することにしました。ただし,舞台上の照明はある程度残していたので,「少し暗いかな」という程度でした。それでも,揺れるロウソクの炎には,何とも言えない緊張感があり,通常の能とは一味違う雰囲気を味わうことができました。

今回上演された能は,『源氏物語』を題材とした「葵上」でした。私でも名前だけは知っていた名作ですが,これまで観たことはなく,「一度観てみたい」と思ったのが,今回観に来たもう一つの理由です(そういえば,10月上旬,三島由紀夫の『近代能楽集』版の「葵上」のオペラ版も金沢で上演していましたね。こちらも観ることができませんでした)。

まず,今回の公演データです。能に先立って,狂言「子盗人」も上演されました。

加賀宝生の魅力:ろうそく能 鑑賞会

公演日時:2020年11月7日(土)15:30~ 石川県立能楽堂

  • 狂言「子盗人」 盗人:能村祐丞,乳母:清水宗治,主人:炭哲男
  • 能「葵上」 シテ:佐野玄宣,ツレ:葛野りさ,ワキ:平木豊男,ワキツレ:渡貫多聞,間:炭光太郎

「葵上」は,京都の賀茂祭(現・葵祭)での「車争い」で,光源氏の愛人(?)六条御息所がプライドを傷つけられた事件をきっかけとした「鬼女物」の作品です。祭見物のために御息所は牛車の停める場所を先に確保するのですが,その後来た,光源氏の正妻・葵上の牛車と場所を争うことになります。最終的に御息所の車は脇に追いやられて,屈辱を味わうことになります。この部分は,能のストーリーとしては出てきていないのですが,この時味わった屈辱から出た「恨み」が作品の主題となります。葵上への恨みの気持ちが「生霊」化してしまいます。能の前半のシテ(前ジテ)が,この六条御息所の生霊,後半のシテ(後ジテ)が六条御息所の怨霊です。

葵上は,原因不明の物の怪に悩まされるのですが,その正体を突き止めるために,巫女が生霊を呼び出すという場面から能の物語は始まります。ただし,葵上自体は登場せず,舞台の前の方に小袖の着物がペタッと置かれます。タイトルは葵上だけれども実際には登場せず,「葵上への恨み」を体現した生霊だけを見せるというのが面白いところです。

シテの面は,前半が「泥眼」という目の白目部分がやや黄色くなっている怪しげなもの,後半はさらにパワーアップした怨霊となり,「般若」の面になります。般若というのは,実は女性だったのですね。この表情が下からロウソクの光で照らされると,さらに陰影が増し,迫力が増します。面をしながらなので,全般にシテの声は聞き取りにくかったのですが,暗い雰囲気の中での「恨み」の表情や,恨みの思い余って,葵上に襲い掛かろうとする動作には,じっと見入ってしまいました。

今回面白かったのは,ツレの「照日の巫女」役を女性能楽師が担当していたことです。葛野りささんという方が演じていましたが,セリフ回しが音楽のように聞こえて来て,新鮮に感じました。巫女役を女性が演じるというのも合っているなと思いました。

それにしても「人に対する恨み」というのは怖いものです。その人の表情や性格を変えてしまい,他人の命をも奪いかねない負のエネルギーになってしまいます。これは女性に限らないのですが,表情が般若のように一変してしまうというのは,そのことの象徴なのだと思います。最近,仕事の関係で「アンガーマネジメント」に関心を持っているのですが,この作品を観ながら,改めてアンガーマネジメントの重要性を感じると同時に,それをも超えてしまう女心の激しさ(それもこれも光源氏の魅力なのでしょうか)と怖さについてのイマジネーションを(多少,現実を思い出しながら)膨らましてしまいました。

もう一つ上演された,狂言「子盗人」の方は(こちらは「ろうそく」に火入れされる前でしたが),屋敷に忍び込んだ盗人が,奥の座敷に眠っていた可愛らしい乳飲み子を見つけ,あやしているうちに,家の主人が現れて...というお話です。乳飲み子については人形を使っていましたので,「本物が出てこない」という点で,「葵上」と重なる感じがあると思いました。盗人が本来の目的を忘れて,子どもと戯れる辺りにのんびりとした気分があり面白いなぁと思いました。

というわけで,「ろうそく能」については,機会があればまた観てみたいと思います。同様の人が多かったのか,この日の客席は大入り。劇場についての感染拡大防止対策の基準が変わったこともあり,本日は両隣に人が座っていたのですが,こういう状況は久しぶりでした。慣れとは恐ろしいものです。「何となく密だなぁ」と感じてしまいました。その点で,段階的に席数を増やしていっても良いのかもと思いました。

PS.配布された「葵上」の詞章(謡などの文章)を見てみると,「三密」というおなじみの言葉を発見。仏教ではとても重要な意味を持つ言葉のようですね。


能楽堂の廊下から見た,国立工芸館。本日は雨でした。




2020年8月22日土曜日

8月の土曜日夕方は,#石川県立能楽堂 恒例の #観能の夕べ。本日は #宝生流 宗家 #宝生和英 さんが登場する能 #田村。前半の童子から後半の坂上田村丸へ。若いエネルギーと躍動感に引き込まれました。楽器の演奏も澄んだ力強さを感じました。素晴らしかったです

今年の8月はあまり出かける場所がないこともあり,土曜日の夕方は,石川県立能楽堂夏季恒例の「観能の夕べ」を観に行っています。これで3週連続ということになります。本日の目当ては,宝生流宗家,宝生和英さんが登場する能「田村」でした。入場料も通常よりは高い3000円でしたが,宗家・和英さんの動作と,そのまわりに漂う空気感にすっかり魅せられました。

前半の童子(リアルに少年のように見えました)から後半の坂上田村丸(歴史の教科書では「田村麻呂」ですが能では「田村丸」のようです)に変身。向かうところ敵なしといったオーラに包まれ,若いエネルギーと躍動感に引き込まれました。これまで,能といえば「ゆっくり動くもの」と思っていたのですが,この作品については,歌舞伎の荒事にも通じるようなヒロイックな気分もあり,心の中で「カッコいいなぁ」と思いながら見ていました。

楽器の演奏も澄んだ力強さを感じました。特に笛の鋭い音が,作品全体にメリハリを付けているようでした。大鼓,小鼓にも冴えた美しさを感じました。邦楽器の「聞き比べ」も面白いと思いました。

演目は,狂言に加えて,仕舞も演じられたので次の3部構成になっていました。能「田村」,狂言「萩大名」ともに,清水寺を舞台にした作品ということで,作品間の関連もしっかりありました。公演データは次のとおりです。

公演日時:2020年8月22日(土)17:00~ 石川県立能楽堂

1) 仕舞「富士太鼓」 大坪喜美雄

2) 狂言「萩大名」 大名:能村祐丞,太郎冠者:中尾史生,茶屋:炭哲男

3) 能「田村」 シテ:宝生和英,ワキ:殿田謙吉,ワキツレ:渡貫多聞,間:炭光太郎

狂言の「萩大名」は,いつもはボケ役の太郎冠者が,この作品ではツッコミ役になっており,作法を知らない田舎大名に「シーッ」と注意ばかりしていました。そこが面白い点でしたが,「作法」に合わせよ小うるさくチェックしている感じで,いつもの大らかなキャラの方が,やっぱり良いなと思いました。

今回の公演を観て,他の芸術同様,「観続けることで,演ずる人や演奏する人の間での個性の違いが分かるようになるものだ」と感じました。ただし,これは生で観ないと感じられないものだと思います。夏の「観能の夕べ」はあと1回ですが,時間的な余裕があれば,定例能にも挑戦してみようかなと思います。

終演後の能楽堂

県立美術館方面の空。よく見ると三日月が出ていました


2020年8月16日日曜日

昨日は #石川県立能楽堂 で #観能の夕べ を観てきました。演目は #太刀奪 と #小鍛冶 の刀つながり。2週続けて観るのは初めて。類型的な部分とパターン外れた部分を視覚で探しつつ,ボーっと音に浸るのに心地よさを感じています

昨日は石川県立能楽堂で夏季恒例の「観能の夕べ」を観てきました。演目は狂言が「太刀奪(たちばい)」能が「小鍛冶(こかじ)」と刀が主役のような演目2つでした。2週続けて観るのは初めてのことですが,何となく「能楽堂の雰囲気」に馴染んできており,ハマリつつあります。今年は公演時間がやや短く1時間程度になっていることも敷居を低くしている要因の一つの気がします。

公演データは次のとおりです。

公演日時:2020年8月15日(土)17:00~ 石川県立能楽堂

狂言「太刀奪」

 太郎冠者 炭光太郎,主:炭哲男,すっぱ:清水宗治

能「小鍛冶」

 シテ:渡邊茂人,ワキ:北島公之,ワキツレ:平木豊男,間:能村祐丞

能も狂言も,展開や設定がパターン化されており,いくつか見ているうちに,今回の作品はどのパターンになるのだろう?と分類・比較したくなります。面や衣装もパターン化でき,それぞれに重要な意味があるので,「何を暗示しているのだろう」と解き明かしたくなります。今回の「小鍛冶」は,前半が童子の面で黒い髪,後半が「小飛出(ことびで)」という面で赤い髪。さらに狐の形をしたものが頭の上に付いていました(大変分かりやすい見た目)。というわけで,観た演目ごとに,その面や衣装の情報を表計算ソフトに入力していくと,結構面白いのではと思いました。そのパターン化されている類型的な部分とパターン外れた部分を視覚で探しつつ,ボーっと音に浸る―その辺に心地よさを感じています。

「小鍛冶」のシテの渡辺茂人さんは,石川県立音楽堂の公演でも観たことがあるのですが(「展覧会の絵」だったと思います),狐の雰囲気を表しているのか,動き全体にキレの良さのようなものが感じられ,観ていて爽やかさを感じました。題材そのものも,刀作り職人・宗近の作業を狐の精が助ける(相槌を打つの語源ですね)といった感じのストーリーで(大変雑な説明ですが...),「よい狐だなぁ」という後味の良さが残りました。刀づくりを暗示する部分の鳴物の音の動きも面白く,もしかしたら能の中でも分かりやすい作品なのではと思いました。

今回はサイド席(橋掛かりのあるブロック)から見ていたので,肝心の「宗近と狐の共同作業」の部分がよく見えなかったのですが,その代わり,鳴物と地謡が左右から聞こえる感じで,音の立体感を味わうことができました。

というわけで,夏の観能の夕べ,もう少しハマってみたいと思います。

終演後もまだ明るいですね。美しい空でした。

終演後もまだ明るいですね。美しい空でした。

2020年8月8日土曜日

本日の夕方は石川県立能楽堂で行われた 観能の夕べ で狂言「長光」と能「猩々」を観て来ました。本日の湿気のある暑さとは正反対の涼やかな華やかさを味わって来ました。

本日は夕方から,石川県立能楽堂で行われた「観能の夕べ」を観て来ました。コロナ禍後,能楽堂に入るのは初めてのことです。
久しぶりに能舞台の「あの雰囲気」に浸ってきました。 
 観能の夕べは,入場料1000円で,夏の期間の土曜日夕方に気軽に能と狂言を味わる企画です。私自身,参加するのは2回目です。今回はコロナ対策のため,使える座席は半分。上演前の解説もなかったので,昨年度までとは少し雰囲気は違っていたのですが,丁度よい具合にお客さんが入っていました。
 本日観たのは,狂言「長光(ながみつ)」と能「猩々(しょうじょう)」でした。主な出演者は次のとおりでした。

狂言「長光」
すっぱ 炭 哲男
田舎者 清水宗治
目代  能村祐丞

能「猩々」
シテ 広島克栄 
ワキ 苗加登久治 

「長光」は,他の狂言同様,のんびりと楽しめる大らかなユーモアのある作品。お馴染みのワンパターンの展開と人間味のある朗らかな声を楽しめむのが狂言でしょうか。

 「猩々」の方は,一度観てみたいと思っていた作品です。能には,死んだ人の霊が出てくるような,考えてみると気味の悪い話が多いのですが,この「猩々」は,5つに分けられる能のジャンル(神・男・女・狂・鬼)中の「鬼」に該当する作品です。「鬼」といっても,角の生えた怖い鬼ではなく,「やたらと酒に強い酒の精」といった感じの上機嫌の鬼がシテです。  

赤い顔,赤い髪,金色の衣装ということで、登場しただけで免疫力アップという感じでした。途中,笛・太鼓類の伴奏に乗って,シテが舞う部分が中心でしたので,一種,バレエ的な能と言えるのかもしれません。

今日の金沢は,雨が降ったりやんだりという感じで,一日中,じとっと煙るような湿気のある暑さにおおわれていましたが,それとは正反対の涼やかな華やかさがありました。華やかな気分とベタベタした感じにならない酔い方が良いなと思いました。そして...解説に書かれていた「猩々は酒の徳を称え,美しい夜空のもと酒盛りに興じます」といった文章を読んでいるうちに,冷酒を飲みながら観てみたいものだと思いました。

 今年の「観能の夕べ」は解説がなかったので,本日の公演も1時間以内で終わりました(「夕べ」になる前に終わった感じでした)。これから暑い時期が続くので,ちょっと夕涼みに行くのにぴったりのイベントではと思います。

2020年6月20日土曜日

本日の午前中は,久しぶりに石川県立美術館,金沢21世紀美術館,金沢能楽美術館をめぐってきました。観光客がほとんどいないと,自分で所蔵するコレクションを見回るような感覚でした

本日の午前中は,久しぶりに金沢市内中心部の石川県立美術館,金沢21世紀美術館,金沢能楽美術館をめぐってきました。観光客がほとんどいないと,自分で所蔵するコレクションを見回るような感覚でした。

まずは,石川県立美術館へ。入口にサーモグラフ(?)が設置されており,体温が色と数値で表示させるようになっていました。無事通過。県内外の不特定多数の人が入ってくる美術館の場合,当面,この形でしょうか。その後は,床の矢印に沿って,一方通行で鑑賞。常設展のみでしたが,久しぶりにじっくりと絵や工芸品を観てきました。

この美術館のコレクションについては,勝手に「我が家の所蔵品」と思い込み,「殿様になった気分」で定期的に観に来ています。特に工芸品などは,作者の名前が段々と馴染みになってくるにつれ,親しみがわいてきています。本日の場合,お客さんの数が少なかったので,ますます「我が家のコレクション」的気分でした。

続いて広坂を下りて,金沢21世紀美術館へ。この建物に入るのは,いつ以来でしょうか?
まだ本格的に開館はしてはおらず,無料ゾーンだけ入ることができるという状態でした。市役所側から入ったのですが,こちらももサーモグラフが置いてありました。

展覧会はやっていなかったので,館内を一回り。こちらも土曜日の21美とは思えないガランとした雰囲気。来週から,いよいよ再開ですね。





最後にタレルの部屋と,市民ギャラリー横の「雲を測る男」をのぞむロッキングチェアコーナーへ。この辺りも,私にとっては,県立美術館同様に「我が家の延長」的なスペースです。

タレルの部屋の方は,自然に換気されるのでちょっと長居しても問題ないですね。空を見上げて,しばらくボーっとしていました。結構,雲の感じが変化していくのが分かります。本日は,時々鳥が横切っていきました。


21美を出た後は,せっかくなので,金沢能楽美術館へ。
こちらでは,顔を向けるとマスクをしているかどうかもチェックしてくれるカメラ(?)が入口にありました。色々な機械があるものです。数か月前には考えられなかった状況です。

展示の方は,「能楽入門」という,これから能を観たいという人にぴったりの企画。

入口のパネルには
能はあらゆる生命を祝福し,平和や幸せを願うとともに,無念の思いに寄り添い,その魂を鎮める「祈りの芸能」
と書かれていました。現在の状況に,いちばんぴったり来る芸能なのでは,と思ったりしました(マスク=面もしているし)。

世界的に観ると,パンデミックは全く収束していない状況。世界から金沢に観光客が来るような,昨年までの状況に戻るのは,当分望めないのではないかと思います。その分,地元の人が可能な限り,地域の経済・芸術・文化を支える必要があると思います。グローバル化時代とは逆方向の,ローカルで完結した経済に当面はならざるを得ないのかもしれません。このことがまた,新たな文化が出てくるきっかけになることを期待しています。

2019年10月26日土曜日

かたりすと・平野啓子さんによる「能楽堂スペシャル朗読会「平家物語~仏御前」を聞いて来ました。藤舎眞衣さんの笛と一体となった,女性版・盛者必衰の物語を楽しんできました。

石川県立能楽堂で行われた,元NHKキャスターで「かたりすと」の平野啓子さんによる「平家物語~仏御前」の朗読会に参加してきました。このイベントは,毎年秋に行われている「兼六園周辺文化の森ミュージアムウィーク」の一環として行われたものです(入場無料でしたが,事前に整理券が必要。ほぼ満席でした)。


その内容は,文学作品のテキストを読む一般的な朗読会と一味違ったものでした。作品の内容を分かりやすく紹介し,物語の世界に楽しく入り込んでもらおうという工夫のされたとても面白い内容でしたので,ご紹介しましょう。

平野さんについては,以前,NHKの報道番組のキャスターとしてお顔を拝見した記憶はありましたが,実はあまり強い印象は残っていませんでした。現在は「かたりすと」としての活動に力を入れているようです。この言葉は,恐らく平野さんの造語だと思います。本日のお話を聞いて,「語り部」という言葉を現代的に拡張したような意味なのかなと思いました。

通常の朗読と違っていたのは,物語の導入部分や要所要所で解説的な「地」の文章を自分自身で読んでいたこと,「平家物語」の原文そのものに加え,現代文に読み下した文章を入れていたこと,「地」の文以外では平野さんは台本を暗記しており,役者さんのような感じで舞台上を動きならが,動作を付けながら読んでいた,といった点です。「平家物語」は,もともと語られるための文章ですが,それを現代の感覚を取り入れて,立体的に再構成した一人芝居的な朗読だったと思います。

分かりやすく内容を解説する部分と思い切ってドラマに入り込む部分とがバランスよく組み合わさっていましたので,全く退屈することはなく,気持ちよく物語の世界を楽しむことができました。

我が家にあった「平家物語」の文庫本。
物語の前半に出てくる話です。
それと今回のもう一つの大きな特徴は,藤舍眞衣さんの笛が入っていた点です。物語の展開に併せて,「もう一人の役者」のような感じで,ドラマの展開を盛り上げていました。藤舍さんの凜としたたたずまいと笛の音色には,非日常的な空気感があり,能舞台というやはり非日常的な場所との相性はぴったりでした。

今回の題材の「仏御前」でした。軍記物として知られる『平家物語』の中では例外的に女性が主役といった部分です。一種のスピンオフドラマといったところでしょうか。ひとことで言うと,時の最高権力者・平清盛が寵愛した白拍子が祇王から仏御前へと移ることが生んだ悲哀のドラマということになります。そして,この仏御前の出身地が現在の石川県小松市です。私自身,よく知らなかったのですが,小松方面では,今もこのお話は語り伝えられているようです。「ご当地もの」ということで,今回取り上げることになったようです。

この仏御前は,清盛の側室になって3年が過ぎた祇王の紹介で清盛の前で舞や歌を披露するのですが,清盛は一目でそちらの方に心が移ってしまいます。白拍子というのは,現在で言うところの「歌って踊れるアイドル歌手」のイメージとのことで,平野さんの”振り”にも,DA PUMPなど振付の要素も入っていました。先輩アイドルが後輩アイドルのことを思いやった結果,反対に自分の立場が危うくなってしまうという悲劇,と言い換えることができそうです。「3年」という年月も,現在の芸能界の栄枯盛衰のスパンと結構一致するのではと思いました。

この日の客席には,平野さんと親交のある,加賀市出身の作家・子母澤類さんもいらっしゃったのですが,今回は,この子母沢さんが書いた「北陸悲恋伝説の地を行く」の中の文章も併せて朗読されてました。『平家物語』での結末と,加賀地方に伝わる伝説の結末は少し違うようでしたが,いずれにしても女性版「盛者必衰」の物語と言えます。平野さんの語りからは,そのことに加えて,凜として生きる女性たちの友情の物語のような雰囲気も伝わってきました。

朗読会の前には,司会の方が聞き手となって平野さんのプロフィールや石川県とのつながりを紹介するようなトークショーが行われました。この中で印象に残ったのは,「かたりすと」という仕事の魅力です。「名作・名文に魂を吹き込み,それが言霊となってお客さんに伝わる...といったイメージの交換を一つの空間で行える。そのイメージは,お客さんの中でいかようにも膨らませてもらえる。命がけで魂を吹き込む仕事はやめられなくなった」といったことを平野さんは語っていました。一人でできてしまう点で,落語にも通じる面がある気がしましたが,平野さんの場合,もっと華やかな雰囲気があるのが特徴だと思います。ちなみに,この日の平野さんの着物は,美しい加賀友禅でした。

平野さんは,トークの中で「石川県好き」ぶりを次々と紹介し,「ちょっと持ち上げすぎでは?」と思うぐらいでしたが,これからも平野さんの石川県内での「かたりすと」活動に注目をしていきたいと思います。
能楽堂周辺はすっきりしていました。考えてみると,お隣にあった建物が
国立工芸館として「移動」してしまっていたのですね。

2019年7月13日土曜日

7月と8月の土曜の夜,#石川県立能楽堂 で行われている #観能の夕べ で #狐塚 と #蝉丸 を観てきました。蝉丸は主役2人の異色の能かも。

本日は夕方5時から,石川県立能楽堂で行われた「観能の夕べ」に参加してきました。
この公演は,7月と8月の土曜の夜に狂言と能を1作品ずつ1000円で上演するというもので,かなり以前から行われています。が,私自身,参加するのは今回が初めてでした。本日は,丁度時間があったので,ふっと思い立って,出かけることにしました。

今回上演されたのは,狂言「狐塚」と能「蝉丸」でした。お客さんを見てみると,外国人がかなり沢山いました。留学生や観光客を絡めたプログラムとして定着してきているのかもしれません。

最初に金沢能楽美術館の山内麻衣子学芸員による解説があったのも親切でした。能も狂言も,かなり形式がパターン化されていますので,面,衣装,小道具などが何を意味しているのかを,あらかじめ知っておくことが鑑賞のポイントになると思います。その辺についてのコンパクトだけれども詳しい説明があり,この解説を聞くだけで「奥の深い面白い世界だ」と実感できました。
本日は正面から観ました
狂言「狐塚」の登場人物については,太郎冠者,次郎冠者,主人という,お決まりのパターンでした。「狐が出るぞ,出るぞ...」と警戒しすぎの「太郎冠者」VS「次郎冠者+主人」という構図のコメディでした。この作品では,田んぼに来る害鳥対策に「鳴子」という小道具を大々的に使っていたのが特徴で,紐の片方を柱に結んで,グルグル回して音を出したり,視覚的にも楽しめました。セリフ自体は古文なのですが,大きな声で大らかに語られるので,素直に楽しむことができました。

後半の能「蝉丸」は,色々な点で異色の能なのでは,と思いました。シテが逆髪,ツレが蝉丸ということで,シテの役名がタイトルになっていないのが,まず面白いところです。この2人は,それぞれ醍醐天皇の皇女(逆髪)と皇子(蝉丸)ということなので,姉弟の関係になります。

蝉丸は目が見えない少年,逆髪の方は時々狂乱し髪の毛が逆立つという設定で,それぞれ,そのことが理由で,皇子,皇女の身分を捨てさせられます。その2人が「逢坂山」で涙の再会をするけれども,最後は別れるというお話です。

# 「小倉百人一首」に出てくる蝉丸とは違う人物とのことでした。が,「逢坂山」何かつながりはありそうですね。

ということで前半が蝉丸が出家する話,後半が逆髪が狂乱し,2人が再会し,別れるという話になります。能をよく観ているわけでないので推測なのですが,この2人については,どちらが主役とも言えないのでは,と思いました。

このお話ですが,皇室の主流から外れたマイノリティ的なキャラクターの悲しみを描いているのに加え,結末も「救われる」という感じではありません。が,まさにその点で,現代の演劇的な要素もあると思いました。解説の山内さんも語っていたとおり,2人が再会する場面では,2人が手を取り合うシーンがありました。こういう具体的な所作をすることも能では珍しい気がしました。

この2人とも,もちろん面を付けています。それぞれが泣く場面についても,うつむき加減になって,片手を額に近づけるだけなので,現代の演劇とは外観は全く違うのですが,「姉と弟の間に通じる感情」という根幹の部分については,「いつの時代も変わらのでは」と感じました。

最後の別れのシーン,姉が去った後,蝉丸が見送るのですが,私の席からは,丁度横顔が見えるような形になりました。それが非常に悲しげに見えました。正直なところ,能については,役者さんの演技自体の善し悪しはよく分かりません。むしろ観ているお客さんの思いが,各役者さんの演技の中に投影されている,ということなのかな,とその横顔を観ながら思いました。

声の違いについては分かるのですが,能の場合,主役2人の方がお面を付けているので,ちょっとこもりがちになり,脇役や地謡の声の方が鮮明に聞こえるようなところがあります(間狂言の方の声が特に素晴らしかったですね)。そう考えると,声についても,現代の演劇とは別の感覚で味わうべきなのかなと感じました。

能については,現代の演劇と共通する要素とそうではない要素があることに改めて気づいた公演でした。能は,基本的なフォーマットはどの作品もほぼ同様で,その上で演じられる演技の差(現代の演劇に比べれば,違いが分かりにくい差)をじっくり味わうものなのだと思いました。それよりも,上述のとおり,観ている自分の心境の違いの影響の方が大きい気がします。何本も観ているうちに,その辺の傾向が分かってくるのかもしれません。
セリフを印刷したものも配布していました。が,これは事前に読んでおく方が良さそうですね。
というわけで,毎回1000円で能を楽しめる,このシリーズは,能の入門としてはとても良いのではないかと思います。夏の間の企画...ということで,能楽堂は,クールシェア・スポットとしても最高だと思います。
本日の演目の書かれたシールも配布物の中に入っていました。こういうのがあると...
コンプリートしてくなってしまいそうです。
最後に今回の公演の主な配役のデータを記入しておきます。

観能の夕べ
2019年7月13日(土)17:00~ 石川県立能楽堂

狂言「狐塚」
太郎冠者:清水宗治,主人:能村祐丞,次郎冠者:中尾史生

能「蝉丸」
シテ(逆髪):島村明宏,ツレ(蝉丸):佐野玄宜,ワキ(清貫):北島公之,間(博雅三位):炭光太郎

歴代の「観能の夕べ」のポスターです。