2025年6月5日木曜日

【音盤紹介】ザ・ラスト・モーツァルト / 仲道郁代(ピアノ),井上道義指揮アンサンブル・アミデオによる「唯一無二のモーツァルト」

5月末 タワーレコードで「ポイントで20%還元」というセールを行っていたので,少々値段高め(税込3,630円)の新譜CDを買ってみました。買ったのは仲道郁代さんのピアノ,井上道義さん指揮アンサンブル・アミデオによる「ザ・ラスト・モーツァルト」と題された5月末に発売されたばかりの録音です。


https://tower.jp/item/6810375

指揮者の井上道義さんは昨年2024年12月末で指揮活動から引退されましたので,2024年12月16日,17日に東京で行われたこの録音は,スタジオ録音としてはこれが最後といえるかと思います。その最後に選んだ曲が,モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第23番という名品2曲の組み合わせ。ここ数年,井上道義さんはショスタコーヴィチであるとかブルックナーであるとか,大編成な曲を熱心に取り上げてきた印象があるのですが,最後は音楽仲間と一緒に作るシンプルなモーツァルトというのも井上さんらしいと思いました。


ちなみに今回のオーケストラ,「アンサンブル・アミデオ」は,今回の録音のためだけのオーケストラです。コンサートマスターの長原幸太さんをはじめ,NHK交響楽団のメンバーが中心のようです。Amideoというのは,14世紀イタリアトスカーナ地方に出た貴族の名家とのことですが,フランス語の「アミ Ami(「友達」の意味)」とモーツァルトのミドルネーム「アマデウス Amedeus」の語感を意識しての井上さんによるネーミング。今回の録音は「井上さんが仲間と作ったモーツァルト」ということで,「アミデオ」という言葉どおりですね。井上さんによる,高級なダジャレ(?)のセンスは素晴らしいと思います。

演奏の方については,このCDの解説を書いている沼野雄司さんが「アンダーカレント」という言葉を使って表現しているとおり,「表面に見える波とは独立して,海底を静かに移動する水流のようなものが感じられる特別な演奏(私の要約です)」だと思いました。

第20番については,デモーニッシュ(悪魔的)とかベートーヴェン的といった言葉で評されることのある曲ですが,第1楽章冒頭の雰囲気からどこか感情を爆発するのを抑えているような印象があります。古典的な端正さの中で,じっくりと音楽の底に降りていくような静けさ。その辺は,やはり聞いている方の「思い込み」もあるかと思います。音楽活動の最後を惜しむ感情が自然ににじんでいる演奏だと思います。

テンポは心持ち遅めだと思いますが,たっぷりとした重さよりは,すっきりした音の流れが感じられるのは,長年オーケストラ・アンサンブル金沢とモーツァルトを演奏してきた,井上さんならではだと思います。

20番の第2楽章もやや遅めのテンポ。この楽章については装飾音を加えることも結構ありますが,仲道さんのピアノは,装飾を全く加えず(多分)この曲の純粋な美しさだけが率直に伝わってくるような演奏。楽章の最後の方だけは,ちょっとウェットな情感が自然に漂います。個人的に,2023年の春に仲道さんと井上さん指揮OEKでこの曲の演奏を軽井沢で聴いたことを思い出してしまいました。

第3楽章は対照的に仲道さんのキッパリとした感じの演奏が印象的。カデンツァは定番のベートーヴェンによるものです。

第23番の方もやや遅めでおっとりとした感じの演奏。この曲の場合,天衣無縫にピアノとオーケストラが戯れるといった感じの演奏も大好きなのですが,変わったことや大げさな表現を取らずに,誠実さがさりげなく感じられる端正な演奏も良いなと思いました。仲道さんのピアノは,とてもクリアなのですが,尖った感じになるところがなく,音楽全体に優しさが溢れています。

この曲でも第2楽章のシンプルだけれども深さを感じさせる演奏が素晴らしいと思いました。第3楽章も走りすぎることのない演奏で,ピアノとオーケストラ(特に木管楽器)との親密な絡み合いを味わえます。その優しい情感の漂う音楽を聴いていると,どうしても「井上さんに音で別れを告げている」と感じてしまいます。

解説によると,録音最終日には奏者全員が白い服を着用して演奏したとのこと。音楽全体に感じられる「無垢な感じ」は,やはり特別なのかなと思いました。この録音の帯に「唯一無二のモーツァルト」と石川県出身の新横綱・大の里の「口上」と同じ四文字が入っていたのが,個人的には大変面白かったのですが,私にとっても唯一無二の愛聴盤になりそうです。