2015年3月22日日曜日

中島京子講演会「妻が椎茸だったころ」@金沢文芸館を聞いてきました。中島さんの小説作法が披露されました。観光客気分で浅野川周辺を中心に観光地をチェック

春分の日は祝日なので,本来は3連休になるところですが,今年は土曜日に重なったため,残念ながら3連休にはなりませんでした。その分,金沢では大変天候がよく,北陸新幹線で金沢に来た多くの観光客を,ほんわかともてなしているようでした。

「気分だけは連休」という日曜の午後,金沢文芸館で行われた中島京子さんの講演会を聞いてきました。この日は石川県立図書館の方では,原田マハさんの講演会も行っており(ほぼ同じ時間帯!),大変迷ったのですが,先日,テレビで放送していた映画「小さいおうち」がとても良かったので,その原作者である中島さんの講演会の方に行くことにしました。
中島さんは,この『小さいおうち』で直木賞を受賞した後,昨年は,今回の講演のタイトルのにもなっている『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞を受賞しています。今回の講演は,この作品(5編からなる短編集です)を例として,「どういうきっかけでこれらの作品は書かれたのか」「中島さんの小説はどういう風に作られているのか」といった観点から,お話をされました。質疑応答を含め,全体で丁度1時間ぐらいでしたが,大変分かりやすく話がまとまっており,中島さんの「小説作法」や「小説観」がよく理解できました。


いつものようにメモをしながら聞いていましたので,その概要をお伝えしましょう。
# 以下の見出しは私が勝手に付けたものです。

■前置き
  • 今回は北陸新幹線で金沢に来た。軽井沢にはよく来ていたが,長野から金沢までの距離が近いのに驚いた。
  • 金沢に来て,早速,寿司を食べた。カスゴ,ノドグロ...その後,観光もした。
  • これまで金沢に5回来ており,とても良い印象を持っている。その思い出が作品に反映している。(例)『東京観光』という短編集の中に「なぎさドライブウェイ」が登場
  • その後,仕事で「松本清張作品のロケ地めぐり」という企画があり,七尾線で能登方面に行った。
  • 『小さいおうち』のラスト・シーンには「金沢の近くの海辺」が出てくるが,これは羽咋付近のイメージ。山田洋次監督も羽咋付近でロケを行ったようだ。この作品の最後は,実は「金沢にあるホテル」でもう一つ謎が解けて終わる形になっているが,これが金沢だということには,皆さんあまり気づいていない。金沢は物語のある場所なので,自然に登場したのかもしれない。
■「妻が椎茸だったころ」はどうやってできたか?
  • この作品は,実は,泉鏡花文学賞を受賞する前に,もうひとつ賞を受賞している。それは,「日本タイトルだけ大賞」。知らない間に受賞していた。
  • タイトルのインパクトだけで選ぶ賞。喜んで良いのか?悪いのか?その意味でも,泉鏡花文学賞を受賞できて,大変うれしかった。
  • この作品には,講談社の「小説現代」に連載していた5つの短編を収録している。それぞれについて,「どうやってできたのか?」を紹介。
■「リズ・イェセンスカのゆるされざる新鮮な出会い」について
  • 外国人のおばあさんが出てくる,アメリカを舞台とした,ホラー・テイストを持った作品。
  • 中島さんは30代の頃,アメリカで生活していた頃,シアトルの郊外に住んでいた。アメリカでは自動車免許を持っていないと大変不便である。
  • その時,「ここで道に迷ったら,行方不明にになり,誰にも分からないかも」という恐怖感を持った。そのことが怖い話になった。
  • 「日本人が完全に英語を聞き取れない」という言葉の問題もテーマになっている。
  • 間違って受け止められたり,齟齬があったりするのはイライラするが,面白くもある。そういう部分は小説のテーマになる。
■「ラフレシアナ」について
  • 食虫植物(ラフレシアナ)の話。前作に続いて「怖い話を書いてほしい」という依頼で書いたもの。
  • 「人を食った」という表現もあるが,例えば,食虫植物が大きくなって人間も食べたら...などと考えると怖い。そういったことを連想しながら書いた。
  • 食虫植物を大切にする「変な男の人」が登場する。語り手は「私(女性,一人称)」である。この短編集の中ではこの作品だけが,一人称による語りになっている。
  • 一人称の語りの場合,「その人の考え方」しか読めないという構造になる。「私」の見ていない現実というものもあるはずが,その情報は与えられない。どうしたら,そういった情報を渡せるかが工夫のしどころであり,面白さである。
■「妻が椎茸だったころ」について
  • 最初の2つの作品は「人が悪そう」な作品が続いたので,この作品は違うタイプのものにしたかった。
  • 妻を突然死で亡くした夫が,妻の行っていた料理学校に行って,ちらし寿司を作る話である。
  • この作品がなぜ生まれたのか,はっきりしないが,プロットを特に作らずに,二転三転しながら書き進めたものである。そのうちに,突然,「初老の男が乾物の椎茸と格闘するのは大変だろうなぁ」という思いが出てきた。その「思い」が動き出して小説になった。
  • 最初の2作を作った後,「自然界にあるものを題材にしたい」という決まりを思いつき,題材は「きのこ(菌類)」にすることだけは決めていた。
  • 「キノコ文学」というジャンルがあり,面白いものが多いので,自分でも書きたいと思った。
  • 「妻は果たして椎茸だったのか?」。私はそう思っている。
■「蔵篠猿宿パラサイト」について
  • 隕石を大事にしている温泉の話。菌類に続いては「石」の話にした。
  • おじさんと女子大生が出会うのだが...なせこうなったかは忘れた。
  • 昔,オシオ君という石を集めている同級生がいた。このオシオ君の話がスタートになった。
  • オシオ君は,どんな石でも集めている人で,「すごい」と思った。なぜ集めるのか尋ねたところ,「石はひとつひとつ全部違うから」とオシオ君は言った(SMAPのあの曲のよう?)。それを聞いて,すごいと思った。そこに真実があると思った。
  • しかし,オシオ君の話は抜け落ちてしまい,代わりに韓国人と旅行をした時の話が加わった。
  • 隕石の名前は,見つけた場所の郵便局の名前をつけるらしい(# 「へぇ」という話でした)。
■「ハクビシンを飼う」について
  • 最後は動物が出てくる話にした。
  • ハクビシンは東京にも増えてきている。一見可愛らしく見えるが,とても凶暴らしい。
  • 中島さんの家にネズミが入ったので駆除してもらったことがある。その時に来た人が大変陽気な人で,「自分はネズミ年。よいネズミもいる。」といったことを話していた。それが元になって「ハクビシンにも良いのがいる」ということになった。
  • 中島さんの話には,あまり若い人が登場しない。年配者を描くのが好きである。そこにハクビシンが駆け回るという話。
  • 「雷が怖い人」が登場するが...これは泉鏡花と共通する。鏡花も雷が嫌いだった。泉鏡花文学賞を受賞したこの作品は,雷でつながりがある。
■作品全体の背景について
  • どの作品も一つの言葉のイメージから連想が広がり,作品になった。
  • 背景には,地球上のすべてのものがつながっているという感覚がある。
  • 「妻が椎茸だったころ」の中では,妻が「椎茸だった頃に戻りたい」と書いている。
  • 東日本大震災とこの作品は,直接関係はないが,震災の頃,「水,土,動物などは一緒に生きている」と意識し,「みんな一緒に被害を受けた」と思った。
  • 自分自身,「食べたもの」で出来ていると思う。例えば,「私はさっき食べたノドグロで出来ている」と思う。
  • 金沢は街の真ん中に大きな公園や緑地があり,川があり,海にも近い。このことが良い。
  • 先ほど森八の裏にある,寺島蔵人邸の庭に行って,樹齢300年のドウダンツツジを見た。そういうものと一緒に生きていることを実感した。
  • こういったことが作品を書かせたのではないかと思う。
■中島さんの小説の作り方
  • 書く前に小説がどうなるかは分からない。書き進まないと分からない。書いているうちに,小説の方が教えてくれる。
  • スティーヴン・キングも,「小説が主,作家はそれに従って書いている」と言っている。私もそう感じることがある。
  • 「人間は人間だけで生きているのではない」という感覚を持つようになって「妻が椎茸だったころ」が生まれた。これが小説の面白さ,魅力である。
■質疑応答(1)「妻が椎茸だったころ」に出てくる料理教室にモデルはある?
 特にない。「主婦の友」の記者をしていたので,料理の先生については,スズキトモコ(?)さんのようなイメージを持っている。

(2)いつ頃から小説を書いていたか?
 中学1年生の頃から書いている。親からは「執筆停止」を告げられたが,その後もずっと書いていた。「小説家になりたい」という人の多くは,「小説を書いていない」ことが多い。これが不思議である。いつでも小説を書いている人が作家になっているものである。

(3)前世は何だったと思うか?
 ウナギは好きだが...自分がそうだったとは想像したくない。

というような感じでした。講演会の後,その場で中島さんの著書を購入した人向けにサイン会を行っていたので,いつもどおり参加してきました。

最近は仕事の方が忙しく,なかなかのんびりと小説を読めないのですが,今回の話を反芻しながら,時間を見つけて,読んでみたいと思います。

この日は講演会の前後,金沢市内をあちこち巡ってみました。新幹線効果は絶大で,浅野川大橋付近のバス停などには,これまで見たことがないぐらいの列ができていました(個人的には,「歩いても大したことないですよ」と言ってあげたい気もしましたが)。



この日はまず,平成中村座が公演を行っている,金沢歌劇座へ。このまま「金沢歌舞伎座」と名前を変えても良さそうな雰囲気になっていました。

市内の駐車場もどこも満車。新幹線以外でも大勢の観光客が来ていたようです。

金沢21世紀美術館もいつもどおり賑わっていました。
金沢の町歩きの面白さのツボは,「用水」だと思っているのですが...あまり,テレビ番組では取り上げられていないかもしれません。
広坂通りにある「世界で2番目においしい焼きたてメロンアイス」の店も賑わっていました。
その後,石川近代文学館へ。「島田清次郎」の展覧会が本日までだったので,さっと見てきました。
「石川の酒」関係のトークイベントには,北陸朝日放送の金子アナウンサーも出演されることになっていたので,行ってみたかったのですが...今回はパス。
以下は,中島さんの講演会の後のコースです。

金沢文芸館
泉鏡花記念館(今回は通り過ぎただけ)

佃の佃煮。ディスプレイにも北陸新幹線をあしらっていました。

暗がり坂(あまり暗くないですが...)を通って
主計町へ。この細い路地が主計町ですね。
浅野川が見えてきました。いつも,しっかり水が流れているのが,浅野川の良さです。

浅野川大橋付近に,新しい店が出来ていました。


浅野川大橋を渡って,東茶屋街へ

あれだけテレビで放送されると,「行ってなくても行った気」になりそうですが...大勢の観光客がいました。昨日はもっと多かったのではないでしょうか。




東茶屋街にいくとまず目につくのが...コールドパーマの看板

そして自由軒というレストラン。この辺の,昭和前期的な雰囲気は,中島京子さんの『小さなおうち』にも出てきそうな感じです。黒木華さんが,ウェイトレスとか出てくるとぴったりですね。

暖簾も見物です。

再度,浅野川の方に戻り,徳田秋声記念館の前を通って(改装したようですね),
梅の橋へ。この橋の上から眺める広々とした感じが大好きです。
本日はこれでおしまい。

桜の開花時期~5月の連休に掛けて...毎週,これぐらいで観光客が来るのでしょうか?いつまでこのペースが続くのか?という気もしますが,「金沢観光も新時代に入った」という感じです。