この公演は,7月と8月の土曜の夜に狂言と能を1作品ずつ1000円で上演するというもので,かなり以前から行われています。が,私自身,参加するのは今回が初めてでした。本日は,丁度時間があったので,ふっと思い立って,出かけることにしました。
今回上演されたのは,狂言「狐塚」と能「蝉丸」でした。お客さんを見てみると,外国人がかなり沢山いました。留学生や観光客を絡めたプログラムとして定着してきているのかもしれません。
最初に金沢能楽美術館の山内麻衣子学芸員による解説があったのも親切でした。能も狂言も,かなり形式がパターン化されていますので,面,衣装,小道具などが何を意味しているのかを,あらかじめ知っておくことが鑑賞のポイントになると思います。その辺についてのコンパクトだけれども詳しい説明があり,この解説を聞くだけで「奥の深い面白い世界だ」と実感できました。
本日は正面から観ました |
後半の能「蝉丸」は,色々な点で異色の能なのでは,と思いました。シテが逆髪,ツレが蝉丸ということで,シテの役名がタイトルになっていないのが,まず面白いところです。この2人は,それぞれ醍醐天皇の皇女(逆髪)と皇子(蝉丸)ということなので,姉弟の関係になります。
蝉丸は目が見えない少年,逆髪の方は時々狂乱し髪の毛が逆立つという設定で,それぞれ,そのことが理由で,皇子,皇女の身分を捨てさせられます。その2人が「逢坂山」で涙の再会をするけれども,最後は別れるというお話です。
# 「小倉百人一首」に出てくる蝉丸とは違う人物とのことでした。が,「逢坂山」何かつながりはありそうですね。
ということで前半が蝉丸が出家する話,後半が逆髪が狂乱し,2人が再会し,別れるという話になります。能をよく観ているわけでないので推測なのですが,この2人については,どちらが主役とも言えないのでは,と思いました。
このお話ですが,皇室の主流から外れたマイノリティ的なキャラクターの悲しみを描いているのに加え,結末も「救われる」という感じではありません。が,まさにその点で,現代の演劇的な要素もあると思いました。解説の山内さんも語っていたとおり,2人が再会する場面では,2人が手を取り合うシーンがありました。こういう具体的な所作をすることも能では珍しい気がしました。
この2人とも,もちろん面を付けています。それぞれが泣く場面についても,うつむき加減になって,片手を額に近づけるだけなので,現代の演劇とは外観は全く違うのですが,「姉と弟の間に通じる感情」という根幹の部分については,「いつの時代も変わらのでは」と感じました。
最後の別れのシーン,姉が去った後,蝉丸が見送るのですが,私の席からは,丁度横顔が見えるような形になりました。それが非常に悲しげに見えました。正直なところ,能については,役者さんの演技自体の善し悪しはよく分かりません。むしろ観ているお客さんの思いが,各役者さんの演技の中に投影されている,ということなのかな,とその横顔を観ながら思いました。
声の違いについては分かるのですが,能の場合,主役2人の方がお面を付けているので,ちょっとこもりがちになり,脇役や地謡の声の方が鮮明に聞こえるようなところがあります(間狂言の方の声が特に素晴らしかったですね)。そう考えると,声についても,現代の演劇とは別の感覚で味わうべきなのかなと感じました。
能については,現代の演劇と共通する要素とそうではない要素があることに改めて気づいた公演でした。能は,基本的なフォーマットはどの作品もほぼ同様で,その上で演じられる演技の差(現代の演劇に比べれば,違いが分かりにくい差)をじっくり味わうものなのだと思いました。それよりも,上述のとおり,観ている自分の心境の違いの影響の方が大きい気がします。何本も観ているうちに,その辺の傾向が分かってくるのかもしれません。
セリフを印刷したものも配布していました。が,これは事前に読んでおく方が良さそうですね。 |
本日の演目の書かれたシールも配布物の中に入っていました。こういうのがあると... コンプリートしてくなってしまいそうです。 |
観能の夕べ
2019年7月13日(土)17:00~ 石川県立能楽堂
狂言「狐塚」
太郎冠者:清水宗治,主人:能村祐丞,次郎冠者:中尾史生
能「蝉丸」
シテ(逆髪):島村明宏,ツレ(蝉丸):佐野玄宜,ワキ(清貫):北島公之,間(博雅三位):炭光太郎
歴代の「観能の夕べ」のポスターです。 |