本日は,スティーブン・スピルバーグ監督の最新作「ウェスト・サイド・ストーリー」をユナイテッド・シネマズ金沢で観てきました。昨日朝の「予想を超える積雪」で,車で移動するのには少し不安もあったですが,水曜日は1200円で観られるという特典に釣られ(水曜日が祝日というのは意外に珍しいですね),朝から出かけてきました。
朝9:00前に到着。ホワイトアウト気味でした |
ジェッツ(ヨーロッパ系移民?)とシャークス(プエルトリコ出身)という2つの若者グループの対立が生む悲劇を大人が見守るというドラマ全体の枠組みも同様でした。レナード・バーンスタインの音楽も同じ...ということで,スピルバーグ監督のアプローチについては,不朽の名作としての前作への敬意を持ちつつ,登場人物のキャラクターをより現実的に,より深く掘り下げる点に主眼があったと思いました。両グループの各人物の「それぞれのリアルな思い」がくっきりと描かれており,どんどん見る方もそのドラマに引き込まれました。
俳優の中では,やはり,主役マリア&トニーの2人の瑞々しい雰囲気が特に印象的でした。体育館でのダンス・パーティーで初めて出会う場では,周囲の人物が激しく踊る中,2人だけ見つめ合って別世界を作ります(結構,身長差があったので,先日の北京五輪のフィギュアの「りくりゅう」ペアなどを思い出しました)。その後のバルコニー・シーンも前作と雰囲気は同様。小細工を加えずに「古典的名場面」をより鮮やかに再現していました。これらの部分での2人の素直な表情・歌もイメージどおりでした。
前作とのいちばんの違いは,プエルトリコ出身のシャークスについては,全員ヒスパニック系の俳優を使っていた点です。前作ではマリアがナタリー・ウッド,その兄のベルナルドはジョージ・チャキリスで,化粧をしてプエルトリコ系を演じていたのですが,今回はシャークスのメンバーは,スペイン語と英語を混ぜたセリフをしゃべっていました。この「言葉の問題」が,字幕版だとリアルに伝わってきました(日本語吹き替え版ではどういう「工夫」をしていたのでしょうか。興味があります)。作品中,スペイン語をしゃべっていると,「英語を使いなさい」と注意されるシーンが何回も何回も出てきました。
とはいえ,ナタリー・ウッドとジョージ・チャキリスにも「唯一無二のオリジナル」の良さがあります。特にチャキリスについては,私の母が「あの紫のシャツがかっこいいんだ」としきりに語ってていたことを思い出します。
このチャキリスと言えば,前作の冒頭部で「YYY」という感じで足を高く上げて歩くシーンのインパクトが強烈だったので(前作を一つのマイムで示すならばこのイメージですね),今回はどうなるか注目していたのですが...さすがに同じ振付ではありませんでした。シャークスのアニタを中心に歌い踊る「アメリカ」も欠かせないナンバーです。今回は街中の路上で踊るフラッシュモブのような雰囲気になっていました。この明るさ,ダイナミックさは前作を上回っていたと思います。そして,この明るさが後半の悲劇をより深いものにしていました。
登場人物で違っていたのは,両グループの中立地帯のような場所になっていたドラッグストアの女主人,ヴァレンティーナ役でした。前作では男の俳優が演じていた記憶がありますが,今回は女主人に設定を変え,前作でアニタを演じていたリタ・モレノが演じていました。このリタ・モレノが素晴らしかったですね(アカデミー助演女優賞とか取りそう?)。前作では唯一のヒスパニック系として出演していましたが,今回の役柄は,シャークスの若者たちも幼い頃からよく知っている,両グループから一目置かれているような重要な存在でした。相当高齢のはずですが,その味わい深い表情と歌には,ドラマ全体を引き締めるような力がありました。
***これはややネタバレになるかもしれませんが***
大乱闘の後,ベルナルドがトニーに殺害されたことを知ってヴァレンティーナが歌うのが,ドラマの主題といっても良い「Somewhere」でした。2人ともを知るヴァレンティーナが悲嘆にくれて歌う「どこかにある理想の場所」は実に感動的でした。この曲を誰が歌うかは,演出によって色々あるようですが,リタ・モレノしかないという歌でした。
変わらないのが,レナード・バーンスタインの音楽の数々。前作の楽曲は多分全部使っていたと思います(最初の方に出てくる「シャークスの歌」(どこかの民謡みたいな感じ?)は追加されていました)。バーンスタインの音楽については,もうこれは変えようがないですね。前作を何回も聞いているせいか,すべての曲がそれぞれの場に馴染んていて,新しい曲を作るのは,非常にハードルの高いチャレンジになるのではと思います。
今回指揮をしていたのは,グスターボ・ドゥダメル。ドゥダメルの指揮する「ウェスト・サイド・ストーリー~シンフォニック・ダンス」(特に「マンボ」)は,得意中の得意のナンバーですが,この映画では,2グループの大乱闘の場の前に出てくる「トゥナイト(アンサンブル)」が非常に聞きごたえがありました。主要人物が,それぞれの「トゥナイト」に掛ける思いを,生き生き,鮮やかに対位法的に表現していました。
映画の最後の部分は両グループが和解しているようにも見えますが,音楽的には「解決しない和音」。こうやって聞くと,リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」の最後の部分での,2つの音楽が永遠に交わらないような終わり方とよく似ているなと感じました。
グループ間の憎しみの連鎖の結果,「普通の人(トニーを殺害してしまうチノ,ひどい暴行を受けてマリアは死んだと嘘の情報を流してしまうアニタ...)」にも消すことができないような心を傷を残します。そういったことが深く後に残るような結末でした。そして,そういった若者に最後まで寄り添うヴァレンティーナの姿がここでも感動的でした。
社会全体にありとあらゆる情報が溢れる現代,1961年とは全く違う状況になりましたが(当時,スマホがあればすれ違いはなかった),「分断された社会」である点については,全く変わっていません。目に見えない分断が広がっている点でより複雑化しているとも言えます。リメイク版「ウェスト・サイド・ストーリー」が描いた分断・対立。その一方での解決を願う気持ちは,永遠に続く問題といって良いのかもしれません。
というわけで,休日の午前中にしっかり映画を堪能したので,パンフレットでも買おうかと思ったのですが...売店で値段を尋ねてみると...驚きの2900円(ぐらい)。映画本体より高いパンフレットというのはこれまで買ったことはなかったので動揺。とりあえず本日は買うのをやめにしておきました。ただし,そのうちに欲しくなるかもしれません。
(付録)最後に,「我が家にある「ウェスト・サイド・ストーリー」」を紹介しましょう。
バーンスタインが1980年代にドイツ・グラモフォンに再録音した全曲版。キリ・テ・カナワとホセ・カレーラスが主役。右側はオリジナルのブロードウェイキャスト版の録音。