2020年3月13日金曜日

広瀬奈々子監督 映画「つつんで,ひらいて」をシネモンドで鑑賞。装幀家・菊池信義さんの仕事を通じて,紙の本作りの魅力がしっかり伝わってくる作品。最近亡くなられた,古井由吉さんの映像も貴重かも。映画後は,見た目に引かれ,北陸製菓のビスケットをお土産に購入

本日は一日休暇だったので,シネモンドで上映している映画「つつんで,ひらいて」を観てきました。本日が最終日でした。


この作品は,本の装幀家の菊池信義さんの仕事に焦点を当てた,広瀬奈々子監督による,ノンフィクション作品です。Webページやインターネットを介した情報交換が進む中での紙の本の意義ということが,テーマともいえるのですが,何よりもハードカバーの本作りへのこだわりが,時間をかけて撮影された映像を通じて,しっかりと伝わってくるのが面白い作品でした。監督の広瀬さんが,菊池さんに色々と問いかけをし,実際の装幀の作業をしながら,それに答える,という感じで進んでいくのですが,信頼関係がないと撮れない作品だと思いました。

装幀を含む本作りには色々な要素があるのですが,それぞれについて,菊池さんと各出版社の編集者や作家が意見交換しながら,こだわりの本を完成させるという,「本づくりの具体的なプロセス」が見事に描かれていました。

菊池さんの装幀は,明朝体を中心としたタイポグラフィーがベースにあります。糊とハサミを駆使してレイアウトを考え,紙の色や材質にこだわり,多面的にアイデアを試し続けます。菊池さんが作る本は,人文・社会系の哲学・思想書や純文学作品が中心ですが,その装幀を見ると,紙の本は五感に訴える力を持っているんだなぁということが改めて分かります。こだわりの紙を見つけて,嬉しそうにされている姿を見ながら,「本作りにはまった男たち(なぜか男の人が多いようですね)」に妙に共感をしてしまいました。

この映画では,菊池さんがデザインした本がかなり沢山紹介されていたのですが,その一つ一つが魅力的に思えてきます。作家と編集者の意図を装幀の面から補強する仕事と言えます。次のような本が映像に写っていました(パンフレットに書かれていた情報の抜粋)。
  • 埴谷雄高「酒と戦後派」
  • 古井由吉「雨の裾」
  • 平野啓一郎「決壊」
  • 若松英輔「イエス伝」
  • モーリス・ブランショ「文学空間」
  • 平田俊子「宝物」
  • 菊池信義「装幀の余白から」
  • モーリス・ブランショ「終わりなき対話」
  • 古井由吉「楽天の日々」
この作品では,菊池さんがいくつも装幀を担当していた,作家の古井由吉さんが何回か登場しましたが,古井さんが装幀について「小説の身体」と語っていたのが印象的でした。つい最近亡くなられた古井さんの最晩年の姿が映像として残されたことも大変貴重なのですが,この二人が互いに自己模倣にならないように,作品を作ってきた点が素晴らしいと思いました。古井さんの映像の中に,パイプをくわえているシーンがありましたが,古き良き時代の雰囲気が伝わってきて良いなぁと思いました。

菊池さんのオフの時の映像も出てきました。骨董市に出掛けたり,蓄音器で古いタンゴを聞いたり,豆を挽いてコーヒーを入れたり...昔ながらの画一的ではないモノへのこだわりがあるのだなぁと思いました。この映画では,大半の部分はBGMなしでしたが,所々で,ちょっとレトロだけれどもモダンな感じの音楽が使われていたのも,作品の雰囲気にぴったりでした。

編集者との会話の中で,「デザインを日本語にすると「こさえる」。他人のためにやるもの」と語っていたのが印象的でした。「受注の仕事での創造性とは?」という質問に対して,他者との関係性の中で出てくるもの。それは人間そのもののあり方と同じと語っていたのも味のある言葉だと思いました。色々と出される注文や条件を踏まえた上で,最善のものを追求するというのは,職人的でもあるし,芸術家的でもあるなぁと思いました。

菊池さんの装幀の中の自己模倣にならないアイデアの数々については,この映画作りにも生きていました。エンドタイトルの部分は,本の装幀を意識したように,明朝体の活版印刷風になっていたり,映画のポスター自身に折り目がついていて,「おっ」と目を引くものになっていたり,パンフレット自体がこだわりの製本になっていたり...装幀の仕事の面白さが,重層的に伝わってきました。

ちなみに,ポスターの雰囲気は,菊池さんが「応接間がわり」に使っていた銀座の喫茶店の壁面と似た感じかなと思いました。パンフレットの方は(とても魅力的な雰囲気だったので購入してしまいました),菊池さんがいつも使っている赤い手帳の雰囲気と似ているのではと思いました。


紙の本には電子書籍にはない力がある。そして,その魅力(特にハードカバーの本の魅力)は深い,ということを体感できるような作品でした。見ているうちに,ハードカバーの本を「見た目」で買ってみたくなってしまいます。紙の本好きにはたまらない映画だと思いました。



映画を観た後,エスカレーターで下の階に行くと,いつの間にかヴィレッジ・ヴァンガードが入っていました。店頭で売っていた北陸製菓のビスケットに目が止まりました。「この赤い箱の色が良いな」と,ついつい買ってしまいました。何となく映画を観た影響もあったのかもしれません。



本日は午前2時過ぎに,能登半島を震源とした震度5強の地震があったのですが,幸い大きな被害はありませんでした。全国的には,新型コロナ・ウィルスの感染拡大が続いています。客観的には,落ち着かない状況だったのかもしれませんが,平日の午前中にのんびりと映画を見て過ごし,自転車で街中を走るというのはとても気持ちの良いものだと思いました。何ごともなかったように,ゆったりと時が過ぎ,季節も変わりつつありますね。

東急スクエアの前の菜の花

東急スクエアの入口
PS. 映画の中の映像の中に,「100分de名著」のテキストがあったので,我が家にあったものを調べてみると...予想通り,菊池さんの装幀でした。これもまた明朝体が印象的なデザインですね。