新型コロナウィルス感染拡大防止策として,2月末以降,全国的に不要不急の外出は控えるように言われているところではありますが...本日は春のような快晴。金沢市内の美術館・博物館はどこも休館ということで,午後から富山市に出かけ,展覧会を2つ観てきました。私自身の体調は万全(関係ありませんが,花粉症でもありません),各館の入館前には手指消毒を行うなど,注意しながら出かけてきました。
本当は自家用車で出かけた方が良かったかもしれないのですが,富山までの高速バスの回数券が残っていることと...超満員になる可能性はない(密閉された空間ではありますが,本日も1m以内に他のお客さんはいないような状況)ということで,バスで往復してきました。片道770円。往復の時間はWiFiも使えたので,車で出かけるよりは有意義に過ごすことができました。
石川県立音楽堂のチケットホルダーを回数券入れに転用しております。 |
それでは,金沢のバス停から時系列で紹介しましょう。
見事な快晴だったので,立山方面の山並みが大変きれいに見えました。車だと,運転しながら写真を撮るわけにはいかないのですが,公共交通機関+徒歩ならば,のんびりと写真を撮ることができました。
神通川の河原(?)にある富山空港です。
富山市に到着。総曲輪で降りました。写っているのが降りたばかりの富山地方鉄道のバスです。 市内には何かのイベントのフラッグが出ていました。
丸の内方面へ。富山城です。
撮影スポットで撮影しようと思ったのですが...先客がいました。
後から思ったのですが,この自転車を使ってみてもよかったかも?
丸の内の停留所。電車で行こうか迷ったのですが,天気が良かったので,距離感を実感するために,水墨美術館まで歩いてみることにしました。天気も良かったし。
神通川に掛かる富山大橋。
金沢市にある川とは違い,神通川は幅が広いですね。暑い日だったら,徒歩で渡るのは厳しい感じでしたが,本日は景色が良かったので丁度良い運動になりました。
山並みに向かう市内電車。富山らしい写真になったかも。
橋を渡った後,堤防沿いを下流に向かいました。こちらの方が山並みがよく見える感じでした。
そのうちに水墨美術館が見えてきました。徒歩で20分ぐらいでした。写真を撮っていなかったら15分程度で着いたかもしれません。堤防から少し下ったところに美術館はあったのですが正式な通路はなし。この傾斜を強引におりようとしたら,同じことを考える人が多いのか,ちゃんと「けもの道」が出来ていました。
ようやく富山県水墨美術館に到着しました。
まずは手指消毒液で手洗い。
お目当ての展覧会は「篠田桃紅(しのだ とうこう):とどめ得ぬもの 墨のいろ こころのかたち」
篠田桃紅さんについては,お名前は聞いたことはあったのですが,作品を観るのは今回が初めてでした。現在の年齢は何と105歳(106歳?)。1950年代に活動を始めた後,アメリカのニューヨークに渡り,高い評価を得ます。書家という枠に留まらないアーティストという感じです。その作風は,現代アートに近いと思いました。この展覧会は,若い頃から最近の作品までの全体像を俯瞰するようなものでした。
作品の特徴は時代によって変化があると思いました。初期の作品は,文字自体にリズムや流れを感じさせる書で,音楽に通じる部分があると思いました。
筆によるタッチは多彩で,限られた色しか使っていないのに,その濃淡の変化が面白く,どこかモダンな感覚も感じられました。文字を書いているのに,何か実際の竹林を感じさせるようなリアリティがあったり,繊細さと大胆さが共存しているようなところがあることを含め,独特の魅力が詰まっていると感じました。
余白をたっぷりと使っている点や一発勝負的な勢いの良さ・潔さは日本画や書道ならではです。が,最近の作品については,金色や朱色などを使うものが増え,装飾的であったり,シンボリックであったり,どんどんシンプルなタッチになっている感じです。怖いものなしの突き抜けた大胆さが増していると思いました。
展示室の間のスペースでは,篠田さんの人生と作風についてのビデオ「私の前に道はなかった:篠田桃紅105歳の軌跡(テレビ信州制作(25分))」が流れていました。これも面白かったですね。1950年代の日本では,「規格外」の存在だった篠田さんは,ニューヨークに渡ってから評価を高めます。そのことについて「みんな孤独で自由で自立しているのが自分にぴったりだった」と語っていました。「孤独」「自由」ということが,篠田さんの人生のキーワードと言えるかもしれません(ちなみにこのビデオのタイトル,高村光太郎の詩「道程」から取ったものですね)。人間は大勢の中の一人として生まれるのではなく,一人で生まれて来て,一人で死ぬと語っていたのも印象的でした。この映像からは,肝の据わった105歳の迫力を感じました(右の写真はわが家にある篠田さんの著作です。この時は「100歳」)。
展覧会を観た後はミュージアムショップへ。何を買おうか迷ったのですが,抽象的なデザインが格好良いと思い,クリアファイルを購入しました。
美術館のいちばん奥にある茶室。この樹木の雰囲気は,篠田さんの作品の雰囲気に通じる感じがあると思いました。
高志の国文学館と富山県美術館の展覧会のポスター。右側のミロの絵のパロディのようなポスターは「森村泰昌のあそぶ美術史」。この日(3月7日)スタートで,森村さんご本人が富山に来るはずだったのですが...キャンセル。来られていたら,こちらの展覧会にも行っていたかもしれません。見ごたえがありそうなので,是非もう一度来てみたいと思います(来週のイベントとかは予定通り行われるのでしょうか?)。
続いて,高志の国文学館へ。「もう一度,神通川を渡るのは大変かな?」とも思ったのですが,再度徒歩にしました。堤防の上に並んでいる並木の奥には立山が見えましたが...写真にはよく写っていませんね。
今度は一つ下流の橋を渡ることにしました。
2車線づつの橋でしたが,2本の橋が寄り添っている感じの面白い形の橋でした。
さらに下流の橋を眺めていると,北陸新幹線が通過中。
その後,実は案内のサインがほとんどなく結構迷いましたが(神通川方面から歩いてくることを想定していない感じでした),何とか到着。
もう一つのお目当ての中島敦展へ。
この展覧会は,若くして亡くなった中島敦の人生と代表作をパネルと直筆原稿などで振り返るものでした。中島敦は1909年生まれですので,クラシック音楽の世界で言うと,カラヤンや朝比奈隆などと同世代ということになります。この2人が21世紀近くまで生きていたことを考えると,1942年,戦時中に亡くなったのは,惜しいとしか言いようがありません。
中島敦の作品では,「山月記」がいちばん有名ですが,教科書に載っている作品の定番だけあって,「読みやすい(比較的ですが)」と思います。漢文をはじめとした多分野についての教養が豊かで,そのことが作品のベースになっています。若く亡くなった点も含め,芥川龍之介と共通する点もあると思いました。
各作品の展示パネルも充実していました。もともとは神奈川県近代文学館で作成したもののようで,代表作のポイントがとてもよく分かりました。最後,虎になってしまう「山月記」については,カフカの「変身」との共通性があることを分析していたり,文字を見ているうちに文字が生きているように見えてくる「文字渦」については,そのイメージを表現したような動画があったり,それぞれの作品を読みたくなりました。
この展覧会には,作家の池澤夏樹さんが「編集委員」という肩書で加わっており,2月8日には池澤さんの講演会も行われていたようです。どういうお話をされたのか,聞いてみたかったですね。
中島敦の作品数は少ないのですが,名作率(?)が非常に高いようです。全作品が,厚めの文庫本1冊程度にほぼ収まってしまうのが哀しい点でもあるのですが,我が家にも1冊あるので(「ちくま日本文学」の中の1冊。池澤さんが解説担当),これを機会に読み返してみたいと思います。
その他,「令和」の生みの親,中西進さんが館長ということで,「令和」関連の展示がありました。 3月29日には中西さんが講演会をされるようですが...予定通り開催されることを祈っています。
写真撮影可能なスポットもありました。
その後,富山市役所前から高速バスで金沢に戻りました。
バスの中では,急遽ストリーミングでライブ中期絵をすることになった,びわ湖リングの「神々の黄昏」をちょっと見てみるかなと思ったのですが...休憩中でした。9000人以上の人が「視聴中」ということになっていました。
高速バス料金ですが,4月1日から少し値上がりします。10枚8300円になるということで,差額を払う必要があるようです。