2017年2月25日土曜日

恩田陸の直木賞受賞作『蜜蜂と遠雷』を読んでみました。ピアノコンクールにリアルに参加している気分になれる,音楽への愛に溢れた小説でした。

第156回直木賞受賞作,恩田陸著『蜜蜂と遠雷』を先週から読み始め,昨日,読み終えました。もともとクラシック音楽を扱った小説などを読むのが好きなのですが,その中でも傑作なのではないかと思いました。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/5522

この作品では,芳ヶ江国際ピアノコンクールという架空のコンクールのエントリーから本選までをじっくりと描いています。コンクールには,出場者(コンテスタント),審査員だけではなく,コンテスタントの師匠や友人,マスコミ,ホールのステージマネージャー,そして聴衆など沢山の人物が関係しています。その全体を絶妙の濃淡を付けて描き切っているところが凄いところです。主役となるコンテスタントたちを浮かび上がらせながら,作品全体として,実にリアルな雰囲気が伝わってきました。

ピアノコンクールを描いた本としては,中村紘子さんの『チャイコフスキーコンクール』が有名ですが,全体の感触も似ていると思いました。この作品に出てくる,芳ヶ江国際ピアノコンクールは,浜松国際ピアノコンクールをモデルにしているようですが,恩田さんは相当しっかりと取材をされたのではないかと思います。

主要なコンテスタントは,風間塵,栄伝亜夜,マサル・カルロス・レヴィ・アナトール,高島明石の4人です。彼らがどういう成績になるかは,読んでからのお楽しみです。それぞれに魅力的なキャラクター設定となっており,全員応援したくなります。

王道を行くピアニスト,マサル。かつての天才少女ピアニスト,亜矢。音大出身だけれども今は楽器店勤務の高島。そして,小説のタイトルに関連する風間塵。塵は養蜂家の息子でピアノを持っていないのに伝説のピアニストからの推薦状を持ってコンテストにいきなり参加します。
この4人の演奏曲目がリストアップされています。実際に聞いてみたくなりますね。
この「蜜蜂」という言葉については,恐らく,何かと何かを結びつける媒体のアナロジーとして使っているのではないかと感じました。音楽の作り方や音感について「天賦の才(ギフトという言葉もよく出てきていましたが)」を持った塵が,コンクールに参加することで,審査員,聴衆,そしてコンテスタントたちに大きな影響を与えていきます。

マサルと亜矢は,「実は幼なじみだった...」ということが判明し,もともとつながりは在ったのですが,コンクールの中でお互いの演奏を聞き合う中で,それぞれがそれぞれの演奏からインスパイアされ,どんどん演奏が変わって行きます。この若い演奏家たちは,普段はどこにでもいそうな若者なのですが,ステージに上がり,ピアノを演奏し始めると,生き生きと,神がかってきます。この辺が,いかにもフィクションらしいところであり,読んでいてワクワクする部分です。

音楽を文章で描くことは,実のところ不可能なのですが,恩田さんの文章からは,それをしっかり描写しようとする気迫のようなものが伝わってきます。音を聞いているわけではないのに,彼らの音楽の持つ美しさ,熱さ,鮮やかさなどがリアルに感じられます。音楽自体を細部にいたるまで表現するのが上手い作家に村上春樹さんもいますが,恩田さんもそれに劣らない描写力があると思いました。

全体で約500ページ。しかも2段組になっているので,かなりの文章量の作品ですが,音楽ライターのようなことをしている私にとっては,「音楽を文章で描こうとすると,これくらい掛かりますよね」と共感してしまいました。私自身,音楽を聞いた後,感じたことをまとめているうちに,あることないこと(?)どんどんイマジネーションが広がり,ついつい文学的な意味合いなどを付け加えていってしまいます。それと,良い音楽の場合,単純に一言で「よかった」で済ますには「惜しい」と思わせるところがあります。相反することが同居していることが良い音楽の条件のような気もします。そんなこんなでどうしても,長い描写になってしまいます。

そういう私としては,この小説中の音楽を描いた部分の描写については,長く感じなかったのですが,音楽に関心のない人が読んだ場合,もしかしたら「長すぎる」と感じるかもしれません。この本は本屋大賞ノミネート作ということで,「本屋さんが売りたい本」でもあるのですが,やはり,特にピアノ音楽に関心のある人が読むとしっかり楽しめると思います。

ピアニストというのは,実際のところ,コンクールで優勝したとしてもプロとして活躍するのはとても大変な職業だと思いますが,こういう作品を読むと,ピアノという楽器だけを使って,自分の世界観を表現していくことの凄さを感じ,尊敬をしてしまいます。

この作品は「音楽」がテーマですが,もう一つの隠れたテーマは「自然」です。「音楽は自然から生まれたものだが,今度は自然に音楽を返したい」といった言葉が最後の方に出てきました。風間塵は,音楽と自然その媒介者であり,実際に演奏することにより,そのことを実現していたことになります。電気機器を使わず,叩いたり,こすったり,吹いたりすることで音を出すクラシック音楽の楽器自体,自然の一部とも言えます。自然から出た音を自然に返す,というのは,ちょっと漠然としているけれども,とても良い表現だなと感じました。

途中「音楽というその場限りで儚い一過性のものを通して,我々は永遠に触れていると思わずにはいられない」といった文章が出てきました。コンサートで生演奏を聞きながら,私も時々そういうことを思ったりします。人間を取り巻く「自然」は,永遠に続くものであり,音楽を通じて,それに触れているともいえるのかもしれません。

というわけで,読んだ後,この感想文を書いているうちに,いろいろと音楽を聞いてみたくなりました。音楽への愛に溢れた小説だと思いました。

本のジャケットを外してみると...ピアノのような光沢のある黒い表紙。この辺にもこだわりを感じました。
ちなみに見返しの方は光沢のある白。こちらもピアノのイメージですね。