光文社古典新訳文庫が創刊されて今年で10年になります。創刊10周年を記念したイベントということで,この文庫の「生みの親」と言っても良い創刊編集長の駒井さんが「なんで,いまさら古典を?」というテーマで大変充実した内容を聞かせてくれました。後半では,文庫に収録されている本の中からおすすめの作品の紹介があるなど,基本的にはこの文庫の宣伝が目的の講演会だったと思いますが,とても熱のこもったお話で,改めて「古典の再発見」という志の高さを感じることができました。
講演は,次のような流れで,配布されたレジュメに沿って行われました。
- 新訳ブームが始まった!
- 読めない,理解できない
- 日本における翻訳の歴史
- 憧憬の対象から理解の対象へ
- 古典新訳文庫の誕生
ちなみに,事前のチラシ等のタイトルは「古典を楽しく読むコツがあります」でしたが,読み方のコツといった実用的な話ではなく,上記のとおり「古典新訳の意義」といったお話でした。
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この日の配布資料と販売促進用のパンフレット |
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↑この場所で行われ蒔いた。書店の真ん中の吹き抜けの下です |
さらに,この頃,駒井さんが職場の中で管理職になったため(記者が書く原稿が集まってくるまでの時間ができた),集中的に古典を読み返すことができた,という状況も加わります。学生時代に読んでピンとこなかったトルストイの『アンナ・カレーニナ』を主人公と同年代になって読んで,なるほどと思うなど,古典とはこんなものか,と思うようになります。
と同時に,古典が難解に感じられるのは,自分の能力の問題というよりは翻訳の方に問題があることが多い,ということに気づきます。この「日本における翻訳の問題」は,他国にはない,日本ならではの特殊事情です。
江戸時代から明治時代へと全く違う世の中になり,「自由」「止揚」とか人工的な言葉(「不格好な言葉」とおっしゃられていました)が沢山作られます。実体を持って体内に入って来ないような言葉がピンと来ないのは当然といえます。ただし,そういう「不格好な言葉」をずっと放置しておくのは出版人としては怠慢であると駒井さんは感じます。
さらに,1990年代後半以降,インターネットと格安航空券のお蔭で翻訳を巡る状況が非常に便利になりました。まさに「機が熟した」状態と言えます。2003年に村上春樹がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を翻訳するなど,新訳を受け入れる状況も高まっていきます。
そして21世紀になり,駒井さんが光文社の社長に古典新訳文庫の企画を提案出し,すんなり認められます。世界中の古典が身につく読書は,読者を豊かにするというのが創刊の動機です。その後,この古典新訳文庫については,読者からの大きな支持と反響があり,2006年の創刊以降,毎月新刊が発行されるようになり,現在に至っています。編集者の仕事は,潜在的な要望を形にする人と駒井さんは語っていましたが,ここまでのストーリーを聞いてそのとおりだと感じました。
続いて,古典新訳文庫についての,いろいろな工夫やこだわりが紹介されました。この部分も大変面白く感じました。基本的には「無用な難解さを無くす」ということに尽きます。具体的には,独りよがりの文章,持って回った言い方,直訳的な文章はNG。長い文章もNGという感じで,訳者と何回も打ち合わせ,説得して作っていったそうです。清水の舞台から飛び降りるつもりで文章を短く切ってもらった,とのことです。
古典新訳文庫に収録する作品選定についてもこだわりがあります。日本は翻訳大国で,例えばフランスでは既に読まれていない作品が日本では読まれているということがあるそうです。その中で,21世紀に蘇らせる価値があるもの,従来の訳だと本来のイメージが伝わっていないもの,海外では読まれているのに日本では翻訳されていないものなどが選ばれます。作品の解釈やイメージ自身も変え,そのためにどういう訳語や文体にするといったことも考えていくことになります。
その他,「今なぜこの本を?」をまとめた「解説」,著者の「年譜」,訳するに当たっての解釈などを説明した「訳者あとがき」など,いろいろな工夫をしています。文庫の体裁については,文字のフォントを大きくしたり,行間を広げたり,目に対する圧力を弱めています。さらに巻末に付くことの多かった注釈をページの左側に寄せ,人物関係を記した「しおり」も挟んでいます。
人物名といえば,ロシア人名が難解さの原因になっていますが,沢山ある相性を一つに限って,同一人物については2つだけに絞るといったこともしているそうです(例:ドミトリーについては,ミーチャだけにするなど)。
文庫のカバーの装丁については,他の文庫では,大文豪の晩年の写真などを使うことが多く,若い読者に対して気の重いものにしていたけれども,古典新訳文庫については,望月通陽氏のデザインによるものに統一しています。望月さんは1冊1冊読んだ上で,すべて違うデザインを描いているそうで,何気ないけれどもこれはすごいな,と思いました。
このように色々な工夫をしている古典新訳文庫の意義については,「海外の作品を等身大のものにした」「古典を読み,楽しめ,役立つものにした」とまとめられます。そして,これらは,物質的には豊かな時代となった,現代だからこそ必要なものといえます。
続いて,古典新訳文庫の中から,駒井さんお薦めの7冊が紹介されました。次の7冊です。短編集が中心で,長編に読み進んでいくための入門に最適,という観点で選ばれています。それぞれについて,駒井さんから「なるほど」と思わせるような説明があり,どれも読んでみたくなりました。
- O・ヘンリー;芹澤恵訳『1ドルの価値/賢者の贈り物他21編』
- ドストエフスキー;安岡治子訳『地下室の手記』
- バルザック;宮下志朗訳『グランド・ブルテーシュ奇譚』
- ロダーリ;関口英子訳『猫とともに去りぬ』
- カフカ;丘沢静也訳『変身/掟の前で他2編』
- 作者未詳;蜂飼耳訳『虫めづる姫君:堤中納言物語』
- カント;中山元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』
この中から,イタリアではよく読まれているけれども,日本では訳されてこなかった『猫とともに去りぬ』を,講演の代金(今回は無料の講演会でした)として購入しました。現代社会の老人問題を寓話的に描いた作品ということで,楽しめそうです。
これまで,古典新訳文庫については,岩波文庫のリメイク的な位置づけのように思っていたのですが,新しい読者を引き付けるための工夫を沢山しており,その「メイキング」の話を聞けたことは,個人的にも(=私の仕事の方にも)大変役立ち,刺激になりました。
この文庫の成功がきっかけとなって,他の文庫についても,どんどん読みやすいものが増えていると思います。現在は出版業界にとっては,なかなか厳しい時代なのですが,オンラインで一時的に流れてくるような情報にあふれている時代だからこそ,古典的な作品をじっくり味わったり,それを基に思索にふける必要があるのではないかと思いました。
講演後の質問にもあったのですが,若い世代の読者が,何年にも渡って生き残ってきた古典的な書物に対して敬意を持ってもらうことが重要だと思います。そのために何かできないかな,と考えているところですが...本以外に,雑多な情報や刺激的で楽しい情報が溢れている現在,なかなか難しいことも確かですね。
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創刊10周年記念の平台のコーナー |