12月も近づき,金沢も冬らしくなってきました。そんな中,石川県立美術館ホールで行われた,白山麓僻村塾主催のシンポジウムが行われたので聞いてきました。この白山麓僻村塾は,今年なくなった作家の髙橋治さんが初代理事長となって始まった「地域文化の担い手を養成する」ことを目的とした団体で,今年で創設27年目となります。
これまでも,色々な講座を白山麓で行ってきたのですが,実はこれまで金沢で開催したことがない,ということで今回は作家の池澤夏樹さん(池澤さんは白山麓僻村塾の現在の理事長です),作家の辻原登さん,読売新聞社文化部長の尾崎真理子さん,文芸評論家の湯川豊さんをスピーカーとして招き,「吉田健一と金沢」というテーマで金沢でシンポジウムを行うことになりました。
このテーマが選ばれたのは,次のような理由です。
- 金沢出身の作家について語られることは多いが,実は,金沢出身の作家は皆,東京に出てしまっている(# 確かにそうかも)。
- 今回は金沢を賛美し,金沢に来た作家を取り上げたい。
- その代表が吉田健一である。
尾崎さんによると,作家・評論家の吉田健一は,現在ブームになっているそうです。その点でもテーマとしてふさわしいのかもしれません。
吉田健一(1912~1977)は,吉田茂首相の息子として生まれ,翻訳を数多く行っているとおり,英語を得意としている批評家,エッセイスト,小説家です。その一方,酒を飲みながら語ることと旅を愛していました。その旅先として,金沢には何回も来ています。金沢の酒と料理を楽しむために,毎年2月に15年間ぐらい連続で金沢に来ていたそうです(# 知らなかった...)。そして,その時のエピソードが中心となって,吉田さんの代表作『金沢』(# これは一応小説ということになるのでしょうか)が書かれています。
今回のシンポジウムでは,金沢にまつわるエピソードと小説『金沢』のことを中心に大変面白い話題が次々と出てきました。司会の尾崎さんの質問を起点として,残りの3人の作家たちが,あれこれと持説を展開する,という感じで全く退屈することなく2時間が過ぎました。
その中から印象に残ったことを紹介しましょう。
# 以下,メモを取りながらまとめたのですが,間違っている部分等があるかもしれません。その点はご了承ください。
# 以下,メモを取りながらまとめたのですが,間違っている部分等があるかもしれません。その点はご了承ください。
まず,湯川さんが『金沢』の内容を説明。
- 金沢の描写はあまりなく,金沢という土地で色々と語り合った,金沢だから語り合えた,といった小説である。
- 辻原: 吉田さんは,ものすごい酒飲みだったがアル中ではない。男というのは,酒をいつまでも飲んでいたいものである。その間,生活の営みは止まっていれば良い。そういったことを吉田は実行していた
- 池澤: 生前,吉田は同時代の小林秀雄らに比べると小さく扱われていた。吉田は,自分探しばかりをしている若者中心の自然主義文学的な流れでははく,「文学・人生は楽しむべき」といったスタンスを取っていた。」「吉田は都会人で文明を信じていた。都市のすばらしさを徹底して享受する街として金沢が選ばれている。文明への信頼を前面に出す享楽主義だが,酔っても崩れないのが吉田の魅力
生前の吉田さんを知る湯川さん(当時,文芸春秋社の「文芸」の編集長だった)が,吉田さんのエピソードをいろいろ紹介。「吉田さんは大衆文芸もしっかり読んでおり,この中にも文学の本質も入っている」と語っていた。
- 辻原: 吉田の文章は,英語的である。独特の長い文だがそのことが分かれば分かりやすい。時間や空間を,文章の力でこねくり回して造形している。
- 湯川: 吉田は接続詞の使い方が独特。例えば「それならば」という接続しをよく使っている。
- 池澤: この接続詞を使うと芝居がかった記述になり,普通のリアリズムと遠いものになる。吉田は文学作品をよく覚えており,本を開かなくても,よいセリフをパッと引用できた(ただし,不正確な部分も多かったが)。こういう能力は,ヨーロッパの教養人としては当たり前で,吉田の土台だった。
- 辻原:「『金沢』の中の気に入った部分を紹介。「金沢はどこか月が差し込んでいる気がする街である」「一流の酒はくずれずに飲むことを要求する」
- 湯川「雨の降っている情景が金沢には合う
- 4日間,鍔甚に滞在し,朝から風呂に入り,ビールなどを飲み,昼間は福光屋,日栄,萬歳楽などの酒蔵に行き,夜は料亭に行き...飲み過ぎて吐いても飲む...という感じの過ごし方。
- 湯川さんから「吉田の文章に出てくる「くるみ餅」が一体何なのかよく分からない。ご存じの方はないでしょうか?」という質問。ただし,誰からも回答はありませんでした。個人的にはくるみの入った柚餅子のようなもののような気がしますが...よく分かりません。
- 池澤: 1990年代前半,フードピアというイベントが行われていたころ,よく招かれて,吉田さんの1/100ぐらいの経験はしたことはある
- 辻原: 吉田は,おいしいお酒だけではなく,駅弁も大好きだった。
- 湯川: 金沢のドジョウのかば焼きも好きだった。決して高いもの,贅沢なものではない。
- 池澤: 自分の感覚を信じ,権威は信じていなかった。納得すれば,レトリックを使ってしっかり誉める。このスタンスは,大衆小説に対するスタンスと同様である。例えば「ファニーヒル」という,娼婦が出てくるが娼婦の辛さを描いていないポルノ小説を翻訳している。吉田は楽しむべきことを楽しむ術を知っていた。
- 尾崎: 池澤さんは河出書房の日本文学全集の編集を行っているが,吉田健一の作品として何を選んだか?
- 池澤: 落とすことのできない2つの代表的評論を入れた残りは,吉田の多面性を示すためにいろいろなジャンルの短い文章を入れた。
- 尾崎: 吉田は女性に対する関心や執着はなかったのか?
- 湯川: 『金沢』の中では,女性はほとんど自然物のように描かれている。
- 池澤: 生々しい話題は避け,話がそちらに行かないようにしている。
- 辻原: 『ファニーヒル』にしても好色だが不潔ではない,あからさまに書くのではなく,すべて比喩で書いている。
- 尾崎: 吉田は子育てに関しては大変誠実だった。娘の教育について「アンデルセンで育てて欲しい。アンデルセンを読めば,窮地で耐えることができ,逆に他人を助けられる」と語っている。
- 池澤: 悪いことはせず,人をねたんだり,陥れたりすることはない。好きなことをやって,ほっておいてほしいという,世間とは「清く薄い関わり」をしていたのでは
- 湯川: 吉田は道徳的な人だった。絶対的な育ちの良さがあった。戦後生活が苦しい時に乞食もしているが,それは育ちが良いからできるのでは。基本的に常識的だった。
- 池澤: 翻訳については,生活のためにやっているものと,好きで翻訳しているものの2種類があった。
- 湯川: 吉田には英国流の生真面目さと酔っ払いとが同居していた。
- 辻原: 金沢での遊興費は誰が出していた?
- 尾崎: 金沢では,酒蔵の人がかなりおごっている。
- 湯川: 金沢は彼らを非常に優遇している。他の街では見られないのではないか
- 池澤: 金沢には,文化人を優遇する伝統があるのではないか。この白山麓僻村塾もメセナの一つである。お金は出さないが,おいしい食と酒で文化人を釣るというのは,その伝統に則っている。吉田が生きていたら,僻村塾につきあっていたかもしれない。
- 辻原: 若い時には,移動する感覚,どんな時間が流れるのかといったことは気づかないが,小説を書くようになると鋭敏になる。吉田の「時間論」は素晴らしい。吉田は繰り返し家出をする名家の息子といった感じがする。旅が吉田を培った。
- 湯川: 「『時間』と『金沢』は接して書かれている。旅に出ることで「当たり前の時間」の大切さを味わえる。
- 池澤: 日常から離れ,別空間に行き,予期せぬものに会い,最後に戻るという点で,旅と長編小説は同じである。小説を読み終わって本を閉じると現実に戻る。旅の途中で,私は小説は読まない。吉田もそう。それは,小説と旅に共通性があるので,ダブってしまうからである。小説は家で読む」
- 尾崎: 吉田は「金沢で過ごす時間は10年にも一生にも思えた」と書いている。吉田健一については,地元の人はあまり知らないかもしれないが,知っていることは重要である。
といった感じで大変面白い内容でした。
何よりも...(実際にはやりはしませんが)朝からお酒を飲み続ける...というのをやってみたくなります。それと,旅に出て酒を飲み続ける(NHKで六角精児さんが出ていた「飲み鉄」の世界)というのも...。
今から20年以上前,上司に大変な酒好きがおり,吉田健一の本を読んでいるのを見た記憶があるのですが,「そういうつながりがあったのか」と実感した次第です。
取りあえず,今回のシンポジウムの中でも引用していた小説『金沢』や『汽車旅の酒』などを,今度の正月にでも自宅で酒をのみながら読んでみようなかと思っているところです。
「汽車旅の酒」は会場でも販売していましたが,つい最近買ったほんです。背景にある『金沢・酒¥酒宴』は大昔に買ったまま放置されていたものです。 |