2014年1月13日月曜日

生と死が交錯するのが人生。本日は紅白まんじゅうを食べながら,弔電を打ちました。

娘が今年成人式を迎えました。今日の昼は,近所の和菓子屋さんに注文してあった紅白まんじゅうと赤飯を店で受け取った後,家族で食べました。


成人式といっても,何もかも親が準備している成人式で,「自立した大人」にはほど遠い状況です。ただし,自分自身の成人式の頃のこと(それと,自分自身のその後の人生)を考えると,大きなことは言えません。成人式というよりは,小中学校の盛大な同窓会という方が正しいのですが,20年育ったことを祝いたいと思います。

そんな中,遠くに住む親戚の訃報が入って来ました。病状が良くないことは知っていたのですが,つい先週に家族で旅行に出かけてきたばかりと聞いていたので驚きました。まだ若い方でしたが,十分に「生き切った」のではないかと信じています。取りあえず,弔電を打つことにしました。

紅白まんじゅうを食べながら,香典の相談をするような形になってしまいましたが,これが人生なのかもしれません。過去の葬儀の時,どういう人が列席していたのかを調べるため,約20年前に我が家で葬式を出した時の写真を久しぶりに見てみました。喪服を着た集合写真の中に,小さな赤ん坊が写っていました。そういえば,この葬式の時,今は20歳を越えた私の甥が床を這って歩いていて,場の空気を和ましていたなぁ,ということを思い出しました。

金沢の地方紙には,「おめでた」と「おくやみ」が毎日掲載されていますが,世の中はその組み合わせで出来ていることを実感した一日でした。その順番が狂うことは悲しいことですが,生と死が交錯することは避けられません。人生そのものですね。