2016年11月26日土曜日

ドリップコーヒー(1杯分)を本当にドリップ式で飲む方法を100円ショップで模索。ついに決定版を発見

日頃から,一杯抽出型のドリップコーヒーを飲むことが多いのですが,いつも「変だ?」と思っていたのが,ドリップではなくディップになってしまうことです。

通常,コーヒーカップの縁に紙バックを引っかけて,お湯を入れるのですが,最終的にはどうしてもコーヒーに浸ってしまいます。紅茶のティーバッグならこれで良いと思うのですが,「ドリップ」というからには,納得(?)がいきませんでした。

ちなみにドリップ式の紙バックの最大手のブルックスのページでは,次のように書いてありました。

「早めに引き上げましょう」ということのようです。

これに挑戦する方法がないか,暇な(暇でもなかったのですが)私は考えてみることにしました。

こうい場合は,100円ショップを歩くとアイデアがひらめくので,使えるグッズを探してみました。100円ショップならば,失敗しても損害が少ないので大胆に挑戦できます。

まず見つけてきたのが,金属製の枠に布が張られたケースです。

この布を切り取って,金属枠だけにし,それを縦にして,そこに紙バックを掛ける...という案です。
しかし,やってみると...太めのカップだと入らず。そういえば,この手のケースなら,既に持っていたはずと思い出し(100円ショップで買うまでもなかったことになります),探し出してきました。

こちらならば,入りました。思い切って,カッターとハサミで切り取って,金属枠だけにしてみました。



これならばカップが入ります。
 イメージどおりだ,と思いながら紙バッグを掛けてみました。
 お湯を入れ始めたのですが...
何と両サイドからコーヒーが漏れて,グチャグチャに。どうも設置する場所が高かったようです。カップを何かの台の上に乗せれば何とかなるのですが,これも美しくないので,別の方法を考えることにしました。,
次に思い付いたのは,クリーニング店で使っているようなワイヤーハンガーを使うことです。これを加工すると何とか次のような感じになりました。これは上手くいったのですが...やはり見るからに美しくないですね。それと,私の加工技術だと,どうしてもガタつきます。かなり不満の残る出来でした。


というわけで,本日,再度100円ショップを散策。先日はダイソーだったのですが,本日はセリアへ。ここで思い付いたのが,小型ブックスタンドです。実は,これも既に一つ持っていたのですが,これを2つ使えば,紙バッグを丁度良い具合に引っかけられそうです。

というわけで購入。色も茶色でコーヒーにぴったりです。

紙バッグを引っかけて,お湯を注いでみました。バッグの先端がカップの上の方に入るので,飛び散ることもなく,しっかり安定しています。というわけで,思い通りのグッズをゲットできました。


使わない時は2つ重ねられるので,場所も取りません。味の方も...気のせいか味に雑味がなく,コクがあるのにクリアな感じです。

というわけで,お暇な方はお試しください。

2016年11月20日日曜日

うつのみや金沢香林坊店で行われた,光文社古典新訳文庫 創刊編集長・駒井稔さんによる講演会「なんで,いまさら古典を?」を聞いてきました。どんどん古典を読みたくなるようなお話でした

うつのみや書店の本店が東急スクエアに移転してから,いろいろと関連のイベントを行いやすくなったようです。本日は,光文社古典新訳文庫の創刊編集長の駒井稔さんによる講演会「なんで,いまさら古典を?:21世紀の日本における古典新訳の可能性」が行われてきたので聞きに行ってきました。

光文社古典新訳文庫が創刊されて今年で10年になります。創刊10周年を記念したイベントということで,この文庫の「生みの親」と言っても良い創刊編集長の駒井さんが「なんで,いまさら古典を?」というテーマで大変充実した内容を聞かせてくれました。後半では,文庫に収録されている本の中からおすすめの作品の紹介があるなど,基本的にはこの文庫の宣伝が目的の講演会だったと思いますが,とても熱のこもったお話で,改めて「古典の再発見」という志の高さを感じることができました。

講演は,次のような流れで,配布されたレジュメに沿って行われました。

  1. 新訳ブームが始まった!
  2. 読めない,理解できない
  3. 日本における翻訳の歴史
  4. 憧憬の対象から理解の対象へ
  5. 古典新訳文庫の誕生

ちなみに,事前のチラシ等のタイトルは「古典を楽しく読むコツがあります」でしたが,読み方のコツといった実用的な話ではなく,上記のとおり「古典新訳の意義」といったお話でした。
この日の配布資料と販売促進用のパンフレット
前半は,一言でいうと古典新訳文庫がどうやって誕生したか,というお話でした。以下,私の感じたことも含めながら,紹介しましょう。
↑この場所で行われ蒔いた。書店の真ん中の吹き抜けの下です
まず,この文庫が登場した背景として,1990年代後半,バブル経済が崩壊し,このまま(西洋の模倣,和魂洋才)では立ち行かないだろうということが明確になったこと,ヘーゲルの哲学書について長谷川宏氏による,画期的に読みやすい訳が出現したことがあります。機が熟していたといえます。

さらに,この頃,駒井さんが職場の中で管理職になったため(記者が書く原稿が集まってくるまでの時間ができた),集中的に古典を読み返すことができた,という状況も加わります。学生時代に読んでピンとこなかったトルストイの『アンナ・カレーニナ』を主人公と同年代になって読んで,なるほどと思うなど,古典とはこんなものか,と思うようになります。

と同時に,古典が難解に感じられるのは,自分の能力の問題というよりは翻訳の方に問題があることが多い,ということに気づきます。この「日本における翻訳の問題」は,他国にはない,日本ならではの特殊事情です。

江戸時代から明治時代へと全く違う世の中になり,「自由」「止揚」とか人工的な言葉(「不格好な言葉」とおっしゃられていました)が沢山作られます。実体を持って体内に入って来ないような言葉がピンと来ないのは当然といえます。ただし,そういう「不格好な言葉」をずっと放置しておくのは出版人としては怠慢であると駒井さんは感じます。

さらに,1990年代後半以降,インターネットと格安航空券のお蔭で翻訳を巡る状況が非常に便利になりました。まさに「機が熟した」状態と言えます。2003年に村上春樹がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を翻訳するなど,新訳を受け入れる状況も高まっていきます。

そして21世紀になり,駒井さんが光文社の社長に古典新訳文庫の企画を提案出し,すんなり認められます。世界中の古典が身につく読書は,読者を豊かにするというのが創刊の動機です。その後,この古典新訳文庫については,読者からの大きな支持と反響があり,2006年の創刊以降,毎月新刊が発行されるようになり,現在に至っています。編集者の仕事は,潜在的な要望を形にする人と駒井さんは語っていましたが,ここまでのストーリーを聞いてそのとおりだと感じました。

続いて,古典新訳文庫についての,いろいろな工夫やこだわりが紹介されました。この部分も大変面白く感じました。基本的には「無用な難解さを無くす」ということに尽きます。具体的には,独りよがりの文章,持って回った言い方,直訳的な文章はNG。長い文章もNGという感じで,訳者と何回も打ち合わせ,説得して作っていったそうです。清水の舞台から飛び降りるつもりで文章を短く切ってもらった,とのことです。

古典新訳文庫に収録する作品選定についてもこだわりがあります。日本は翻訳大国で,例えばフランスでは既に読まれていない作品が日本では読まれているということがあるそうです。その中で,21世紀に蘇らせる価値があるもの,従来の訳だと本来のイメージが伝わっていないもの,海外では読まれているのに日本では翻訳されていないものなどが選ばれます。作品の解釈やイメージ自身も変え,そのためにどういう訳語や文体にするといったことも考えていくことになります。

その他,「今なぜこの本を?」をまとめた「解説」,著者の「年譜」,訳するに当たっての解釈などを説明した「訳者あとがき」など,いろいろな工夫をしています。文庫の体裁については,文字のフォントを大きくしたり,行間を広げたり,目に対する圧力を弱めています。さらに巻末に付くことの多かった注釈をページの左側に寄せ,人物関係を記した「しおり」も挟んでいます。

人物名といえば,ロシア人名が難解さの原因になっていますが,沢山ある相性を一つに限って,同一人物については2つだけに絞るといったこともしているそうです(例:ドミトリーについては,ミーチャだけにするなど)。

文庫のカバーの装丁については,他の文庫では,大文豪の晩年の写真などを使うことが多く,若い読者に対して気の重いものにしていたけれども,古典新訳文庫については,望月通陽氏のデザインによるものに統一しています。望月さんは1冊1冊読んだ上で,すべて違うデザインを描いているそうで,何気ないけれどもこれはすごいな,と思いました。

このように色々な工夫をしている古典新訳文庫の意義については,「海外の作品を等身大のものにした」「古典を読み,楽しめ,役立つものにした」とまとめられます。そして,これらは,物質的には豊かな時代となった,現代だからこそ必要なものといえます。

続いて,古典新訳文庫の中から,駒井さんお薦めの7冊が紹介されました。次の7冊です。短編集が中心で,長編に読み進んでいくための入門に最適,という観点で選ばれています。それぞれについて,駒井さんから「なるほど」と思わせるような説明があり,どれも読んでみたくなりました。


  1. O・ヘンリー;芹澤恵訳『1ドルの価値/賢者の贈り物他21編』
  2. ドストエフスキー;安岡治子訳『地下室の手記』
  3. バルザック;宮下志朗訳『グランド・ブルテーシュ奇譚』
  4. ロダーリ;関口英子訳『猫とともに去りぬ』
  5. カフカ;丘沢静也訳『変身/掟の前で他2編』
  6. 作者未詳;蜂飼耳訳『虫めづる姫君:堤中納言物語』
  7. カント;中山元訳『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』

この中から,イタリアではよく読まれているけれども,日本では訳されてこなかった『猫とともに去りぬ』を,講演の代金(今回は無料の講演会でした)として購入しました。現代社会の老人問題を寓話的に描いた作品ということで,楽しめそうです。


これまで,古典新訳文庫については,岩波文庫のリメイク的な位置づけのように思っていたのですが,新しい読者を引き付けるための工夫を沢山しており,その「メイキング」の話を聞けたことは,個人的にも(=私の仕事の方にも)大変役立ち,刺激になりました。

この文庫の成功がきっかけとなって,他の文庫についても,どんどん読みやすいものが増えていると思います。現在は出版業界にとっては,なかなか厳しい時代なのですが,オンラインで一時的に流れてくるような情報にあふれている時代だからこそ,古典的な作品をじっくり味わったり,それを基に思索にふける必要があるのではないかと思いました。

講演後の質問にもあったのですが,若い世代の読者が,何年にも渡って生き残ってきた古典的な書物に対して敬意を持ってもらうことが重要だと思います。そのために何かできないかな,と考えているところですが...本以外に,雑多な情報や刺激的で楽しい情報が溢れている現在,なかなか難しいことも確かですね。
創刊10周年記念の平台のコーナー

2016年11月19日土曜日

僻村塾シンポジウム「旅する人の旅の本」@石川県立美術館で作家の池澤夏樹さん,辻原登さん,文芸評論家の湯川豊さんによる汲めども尽きない旅の本の話を聞いてきました。司会は文芸評論家の尾崎真理子さん

昨年に続き,石川県立美術館ホールで白山僻村塾主催のシンポジウムが行われたので聞いてきました。テーマは「旅の本」で,昨年に続き,作家の池澤夏樹さん,辻原登さん,文芸評論家の湯川豊さんという豪華メンバーでした。司会も,昨年に続いて文芸評論家の尾崎真理子さんでした。
会場はこのような雰囲気でした。
ただしシンポジウムといっても堅苦しいものではなく,池澤さん,辻原さん,湯川さんがそれぞれの自著の中から旅に関する作品について語ったり,薦めしたい旅の本について,気ままに語るという内容でした。

以下,メモを取りながら聞いていたので,概要を紹介しましょう。小見出し等については,私が勝手に付けたものです。また私が勝手にまとめたものですので,内容に間違い等があるかもしれませんがご容赦ください。

■今回のテーマ設定について

  • 昨年の「吉田健一」に続くテーマとして,「旅」を設定した。
  • 旅には,「見る,食べる,遊ぶ(#「るるぶ」ですね)に集中できる」といったこと以外にも作家にとって意味があるはず。それについて語り合いたい。
  • 今回の3人のパネリストは,旅に関する本を沢山書いている作家だから,というのも理由の一つ。

■池澤夏樹さんにとっての旅

  • 新しい土地との出会いが好きでたまらないので,道楽のように旅を繰り返してきた。
  • 旅について文章を書くのは,「遠足の後の作文」と同じ # 私も旅に行くたびにブログなどに文章をまとめているので,気持ちはよく分かります。この文章もそういった感じで書いています。
  • 海外に旅行に出かけると,ものすごく開放感があり,それに身をまかせてきた。その場所に,旅に出かけるための口実として小説の場所を選んでいるようなところもある
  • 『すばらしい新世界』については,ネパールの中にあるムスタン王国に行きたくなり,風力発電の話をくっつけることで,小説のフレームとした。
  • ムスタンには道路がなく,ほとんど馬に乗って移動するなど,かなり大変な旅だった。
  • 土地や人を知り,そこに身を置く...というタイプの作家になってしまった。

■辻原登さんにとっての旅

  • 作家になる前,小さな貿易会社で働いていたので,旅といえば「取り引きが成立するかどうか」という怖さの方が大きかった。
  • 「行きたくないけれども行かされている」という感覚がベースにある。『闇の奥』もそうである。
  • 池澤さんとは違い,「楽しい旅」という思いはない。 # この2人の対比が面白かったですね。
  • ちなみに芥川賞受賞作の『村の名前』は,中国の奥地に迷い込み...といった話
  • 辻原さんの出身地の和歌山県では,背後に異界のような熊野山地が広がっている。このことの影響もあるのでは,と尾崎さんが指摘

■湯川さんにとっての旅

  • 『本のなかの旅』では,20人の作家の旅の出てくる作品を取り上げている。
  • 以前から旅行記を読むのは好きだった。勤め人なので,読んで楽しんでいたのが実情
  • 旅を描いた作品には,その作家の正体が割とよく出ていて,大体魅力的である。
  • 渓流に釣りに出かけたとき,このまま戻らなくてもよいかも,と思うことがある。ウィーン近郊の修道院に行った時も,このまま帰らなくてもよいかもという気持ちにとらわれたことがある。
  • 「帰らなくてもよいかも」というのが旅(実際にはそうならず,戻ってくるのだが)

■そのまま住んでみる

  • 池澤さんは,ギリシャ,沖縄,パリ,北海道...と住む場所を変えている。
  • 旅人に対して,その土地が開いている扉は少ないので,池澤さんの場合,1年ぐらいそこに住む計画を立ててしまう。「帰りたくない」を実現したものかもしれない。
  • 「一旦旅立ったら,危険でも止められなくなる」というのが「旅への力」である。動き始めたら,前へ前へという思いが心いっぱいに広がる。

■梨木香歩『渡りの足跡』(池澤さんのお薦め本)に出てくる渡り鳥の旅

  • 渡り鳥を扱った本である。渡り鳥には,ヒナを放棄してでも旅立ってしまうようなところがある。池澤さん自身にも「そういうところがある」とのこと。
  • 梨木さんは,渡り鳥のオオワシがカムチャッカに「渡る前」と「渡った後」の両方を見ているそうである。「これはうらやましい」と池澤さん。
  • その他,シベリアからヒマラヤ山脈を越えてツルが飛んでくる,リスクを考えずがむしゃらに飛んでくる渡り鳥はすごいといった話とか,回遊するザトウクジラ(個体識別可能)にもう一度会いたいとか,「旅する動物」の話題で,盛り上がっていました。

■死に場所を求める情念の旅

  • 尾崎さん「辻原さんの『籠の鸚鵡』には「旅を打つ」という言葉がでてくるが,どこか死に場所を求めている,心中とか道行のような情念の旅という感じがする」
  • 辻原さん「ヤクザが逃げるというような意味で使う言葉。穏やかでない旅である。」
  • 人間は,自分の生まれた土地の風土に影響されると思う。そこに人物を置くと生き生きとするところがある。

■お薦めの旅の本
 最後に3人の皆さんから,お薦めの旅の本が紹介されました。配布されたリーフレットに著者,書名等が印刷されていたので紹介しましょう。尾崎さんによると,「あまり,楽な旅の本はないようですが...」ということでした。

(1)辻原さんのお薦め

  • キングドンーウォード『ツァンポー峡谷の謎』(岩波文庫)・・・6000mの断崖,幻の小人族
  • スティーヴンソン著;吉田健一訳『旅は驢馬をつれて』(岩波文庫)・・・辻原さんは集英社文庫「ポケットマスターピース」シリーズのスティーヴンソンの編纂を担当。こちらもよろしく。
  • レヴィ=ストロース『月の裏側』中央公論新社・・・月の裏側というのは日本のこと。レヴィ=ストロースは日本好き。日本に来た時のことを書いた本

(2)池澤さんのお薦め

  • 梨木香歩『渡りの足跡』(新潮文庫)・・・上述の本
  • ランシング『エンデュアランス号漂流』(新潮文庫)・・・遭難した船からの生還の記録。ノンフィクションから話を膨らませるのがフィクション
  • 松尾芭蕉『おくのほそ道』(日本文学全集)河出書房新社・・・詩集を編むために旅行をしたというのは,これが初めて?「おく」と言いながら,平泉より奥には行っていない。それは歌枕がなかったから。当時の日本文化圏を示している。

(4)湯川さんのお薦め

  • 星野道夫『イニュニュク(生命)』(新潮文庫)・・・一言で説明できません。是非よんでください。ちなみに池澤さんお薦めの『エデュアランス号』は,星野さんも原書を持ち歩いていた本で死後に訳本が出された。
  • 宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)・・・旅での聞き書きの本。「土佐の...」が非常に面白い(池澤さんによると「色ざんげですね」とのこと)。当時,若い女性が旅行しやすかったこともわかる。関連して,柳田国男『雪国の春』にも話が広がっていきました。白拍子が白山信仰や熊野信仰を広める旅,その印としての椿の花...
  • 金子光晴『マレー蘭印紀行』(中公文庫)・・・この本についての言及はありませんでした。

■小説で有名になると100年栄える

  • 尾崎さんから尾崎紅葉『金色夜叉』の中に那須塩原について素晴らしい描写があることを紹介。
  • それに関連して,湯川さんから,大岡昇平が『逆杉』という短編で,那須塩原の地形について正確に書いているとフォロー。
  • 池澤さんは,大岡昇平の地理的描写力は,もともとの合理的な考え方に,兵隊での体験が加わったものとさらにフォロー。
  • 尾崎さんが「大岡さんも辻原さんも同じ和歌山県出身ですね」と言うと,辻原さんが「和歌山県人にはそういうところがあります」...どんどん話がつながっていくのが「さすが」でした。

といったところで,汲めども尽きないシンポジウムは終了。
小説の中で描かれて有名になると,100年間は栄えると言われているそうです(例えば,髙橋治さんが描いた越中八尾の風の盆とか)。「是非そういう作品を期待しています」という流れでお開きとなりました。

今回のようなお話を聞くと,お薦めの本を読んでみたくなります。

というわけで,終了後,受付に置いてあったサイン入りの著書などを購入してしまいました。特に池澤さんの本は厚い本でしたが,是非,年末年始などに読んでみたいと思います。




石川県立美術館周辺の木々の紅葉も進んでいました。美術館の大きな窓から外を見ると,まるで壁画のようになっていました。これは県立美術館の「売り」になるように思いました。


2016年11月5日土曜日

11月3日,石川県立歴史博物館で磯田道史さんの講演会「加賀の藩風を語る」を聞いてきました。石川県の県民性のルーツを解き明かす面白い内容でした。「真田丸」にも関連する話題も出てきました

11月3日の文化の日に,石川県立歴史博物館で磯田道史さんの講演会が行われたので聞いてきました。講演のタイトルは,「加賀藩の藩風を語る」ということで,石川県(というか金沢市民?)の県民性のルーツを前田利家の時代にさかのぼって考えるような内容でした。磯田さんは,石川県では『武士の家計簿』の原作者として有名な方ですので,半分身内のような感じで思っている方も多いと思います。

今回の講演は,10月中旬から行われていた兼六園周辺文化の森ミュージアムの一環として行われたもので,無料だったのですが,整理券をもらうためには応募が必要でした。磯田さんのお話なら必ず面白いだろう,ということで気軽に応募したのですが...倍率は10倍とのことで,当選者(本日は家族と2人で聞いてきました)は大変ラッキーだったと言えます。

講演内容について記載していたのですが,都合により削除させていただきました。ご了承ください。


歴博付近も紅葉が進んでいました