2017年9月10日日曜日

8月末にオープンしたばかりの #富山県美術館 で開館記念展「生命と美の物語LIFE:楽園をもとめて」を観た後,浅田彰トークイベントへ。観ごたえ,聴きごたえがありました。

8月末にオーケストラ・アンサンブル金沢の演奏会を聞くために富山市に行ったばかりだったのですが,開館したばかりの富山県美術館の展示と建物を観てみたくなり,9月9日の午後から高速バスに乗って出かけてきました。
この日は,開館記念イベントとして批評家の浅田彰さんのトークイベントが行われるということだったので,「出かけるならば9月9日かな」と思い,以前から密かに予定していました。というわけで,13:30頃から17:00頃までの3時間半ほどを新しい美術館の中で過ごしました。

この美術館ですが,以前,富山県立近代美術館だったものが,全面的に移転新築し,富山県美術館として8月末にオープンしたものです。近代美術館時代に一度行ったことがあり(ただし,相当昔の話です),20世紀の有名な画家の絵が沢山揃っていて,すごいなと思った記憶があります。

新美術館も,基本的に近代美術館時代の方針を継承しているのですが,アートに加え,デザインの視点を付け加えたのが目新しいところです。英文名称の方には,Toyama Prefectual Museum of Art & Design(略称TAD)と確かに「デザイン」が入っています。
建物の設計は,内藤廣建築設計事務所によるもので,富山駅の北側にある運河のすぐそばにあります。建物の中に,家族連れでも楽しめる要素を色々と含めており,近くの環水公園と併せて,ゆったりと過ごすことのできる気持ち良い空間になっていました。

建物については,後で紹介することとして,開館記念展として行われた「生命と美の物語LIFE:楽園をもとめて」について紹介しましょう。開館記念に相応しく,大変充実した内容でした。アートの根源的なテーマである「LIFE」を「すばらしい世界=楽園」をもとめる旅として捉え,いろいろな切り口で集めた近代を中心とした優品がずらっと並んでいました。

その切り口は,「Innocence 無垢,子ども,青春」「Love 愛,エロス,友情」「Daily Life 日常,都市,なりわい」「Emotions & ideas 感情,感覚,思考」「Dreams 夢,幻想,狂気,悪」「Death 死,終焉,祈り,神話」「Primitive 原始,素朴,未開」「Nature 自然,強制」という8つでした。例えば,「Nature」まで入ってしまうと,「何でもあり」「テーマの幅が広すぎ?」のような気がしないでもありませんでしたが,コーナーに分けることで,見やすくなっていました。

私自身,金沢21世紀美術館のような展示点数の少ない美術館に慣れていたので,少々疲れたのですが,充実した絵が次々出てくるのは大変見ごたえがありました。1点1点,別の世界観を描いているようなところもありますので,本当は,複数回に分けて,じっくりと鑑賞できると良いなと思いました。

次にLIFE展示の中から,いくつか印象に残った絵を紹介しましょう。出品リストに気に入った作品をチェックしながら観ていたのですが,帰宅後,Web上で画像が公開されているものを調べてみました。全国各地の美術館から集めており,これだけ揃えるのは大変だっただろうなぁと思いました。



その後,15:00から館内のホールで,批評家の浅田彰さんのトークイベントが行われたので参加してきました。

浅田さんといえば,1980年代に『構造と力』『逃走論』などで注目され,ニュー・アカデミズム・ブーム(読まずに書いているのですが...)を生んだ人という印象が未だに強いのですが,アートやクラシック音楽についての文章を見かけることもあります。今回は,「ミュージアムの意味を考え直し,開館記念展「LIFE」の見方を具体的に示すということで,浅田さんがどういう観点でアートをとらえているのかを知るために参加することにしました。「有名な人を生で見たい」という理由ももちろんあります。

トークの方は,まず前置きのような形で,美術館のあり方についての浅田さんの考え方が示されました。美術館については,近年,「敷居の高さを改善すべき」「外に向かってインタラクティブに開いていくべき」といった意見が増え,TADについてもその点を考慮した建物になっているが,本来の機能を失われないようにすべき,と語っていました。

その本来の機能について,(あえて挑発的に語っていたのですが)「エリート主義的な価値を伝える」という表現を使っていました。敷居を低くして,楽しい場所にし過ぎるよりも,「なんだかよく分からないけれども,圧倒された」的なインパクトを与えることが重要ということになります。確かにそのとおりと思いました。浅田さんの言葉の中では,「美術館というのは,のっぺりした現実から引き離すきっかけになる場」という言葉が印象に残りました。美術館の意義については,最後の質疑応答で,もう一度,触れられました。

その後,今回の「LIFE」展の中から,浅田さんがピックアップした個別の作品について,作品の画像スライドを使いながら説明されました。浅田さん自身,展覧会については「クロノロジック(時間順)に並べるのが本当は好き」とのことでしたが,「LIFE」展のように,章立てをすることで,鑑賞の補助線になることの意味も認めていらっしゃいました。

最初に,高橋由一,岸田劉生,藤田嗣治,岡本太郎,横尾忠則と続く,近代の日本美術史的な話がされました。これらのアーティストの作品が全部揃っていたので,確かに時代順に並べても面白いと思いました。この中でもっとも熱心に語られていたのが藤田嗣治でしたす。次のような変遷は,とても面白いと思いました。
  • 国内の画壇と対立して,フランス留学
  • 「乳白色の時代」でパリで大スターになり成功するが,日本国内ではやっかみを受け,評価が低かった
  • その後,メキシコで土俗的な壁画を描くようになったが,それほど成功せず
  • 太平洋戦争中,戦争記録画を描くようになり,その異様な迫力で民衆の指示を得た
  • しかし戦後,戦争への協力の責任を藤田が負わされてしまう。
  • 傷ついた藤田は,再度日本を捨て,フランスに帰化。「ポスト・ヒストリカル・パラダイス」を求めて,女,こども,動物...しか描かなくなる。
  • 今回,この時代の「校庭」という作品が展示されていたのですが,確かに「歴史」という補助線を入れると,非常に面白く鑑賞できます。
http://www.polamuseum.or.jp/collection/006-0485/

対照的に岡本太郎については,アーティストというよりは「当時のパリの知的最前線をなで斬りにした理論家」といった評価をされていました。
岡本太郎「傷ましき腕」

横尾忠則さんについては,「昨日会ったばかり」とのことでした。グラフィック・デザイナーから画家に転身後,「へたうま」的作品が多く,「どうなんだろう」と思っていたが,驚くべき執念で無視できないアーティストになっていったと評価されていました。
横尾忠則「想い出と現実の一致」

その後,ダリ,折本立身,デュビュッフェといった方の作品について,鑑賞の補助線となるお話をされました。ダリ作品は,彼が持っていたジェンダートラブルとそれからの堤防の意味があること。折本さんの「パン人間」は認知症の母に対する作品で,「高みからの愛」ではなく,自分も怪物になって語り合う作品であること。デュビュッフェの作品は,戦争中痛みつけられた身体を「アールブリュット」という形で表現したものであること...こういった話をされ,なるほどと思いました

ただし,「アールブリュット」については,あくまでアウトサイダー的な芸術であり,これをメインに取り上げることについては疑問を持たれていました。

神原崇,カンディンスキーの作品については,音楽との関連性について触れていました。カンディンスキーの「楽譜のように見える」作品は,私も以前から音楽との相性が良いなぁと感じていました。

最後にマルセル・デュシャンの作品について,「霊廟としての美術館」をやめ,「スーツケースに入るものにしてしまった」と説明されていました。展示を見た時はよく分からなかったのですが,なるほどと思いました。デュシャンの「泉」(美術館内にトイレを置いただけの作品。丁度100年前の作品)も同様ですが,美術館に置くと何か考えさせるものになる,というのがデュシャンの試みのようです。

そう考えると,何でもありの美術館ではなく,浅田さんが言われたたとおり「伝統を守る美術館」のようなスタンスが残っていないと考えさせるきっかけにはならないのかもしれませんね。

このデュシャンの作品は,ネット上にアートがパッケージ化されつつある現代につながると語っていました。この「何でも情報化(データ化)」されることについて浅田さんは,最後に疑問を提示されました。ここで最初に語られた美術館のあり方の話につながります。「美術館はまだ来ない人やいない人のためにあるもの。分からないことを感じるのが美術館の意味である」「美術館は開かれた迷路へのポータルになるべき」といった言葉が次々出てきて,さすが浅田さんだなぁと思いました。トークの中でも,ものすごく沢山の固有名詞や専門的な用語が出てきましたが,それらを全部すっきりと整理されており,すごいと感じました。

その後,質疑応答になりました。最後に書いたとおり,あまりにも鮮やかに知的な雰囲気で説明されていたので,質問し辛い空気はありましたが,質問された方の切り口もすばらしく,面白い話が続きました。次のような内容でした。

Q 絵の中に文字が入っている作品についての評価は?

A 正統に対するもの,とすれば面白いものと言えるのでは。

それに関連して,何でもコンセプトとデータになってしまうことは問題であるということを浅田さんは言われました(例:アナログレコードからCDに変わって,人間に聞こえない周波数がカットされているが,聞こえないものが豊かにしている部分もあるはず)。

また,データ化が進んだ社会は驚くほど脆弱であるという指摘もされました(例えば,アメリカ上空で水爆が爆発した場合,多くのデジタルデータに影響があるはず(この辺は私の書き方が不正確かもしれません))。アーティストの多くは「本当に残そうと思ったらマイクロフィルム」と言っているとのことです。全部デジタル化するのではなく,美術館がアナログなデータを保存することは重要である。私もそのとおりと思いました。

その後,これに関連して,次のような質問がありました。これは個人的に大変興味がある内容でした。

Q 言葉もデジタル・データ同様に近似的なものでは?

A イメージというのは大変魅惑的である。言葉はデジタルデータ以上にもっとばっさりと切っている(例:単純に「青い」とか「赤い」とか表現している。無限のニュアンスを表現仕切れない)。しかし,イメージの魅惑的で至福の世界(母と子が見つめ合っているような世界)に入り込んでしまうと逃げ出せなくなる。至福を求めた結果,それが無くなった時には悲惨なことになる。充満したイメージの魅惑はとても危険である。これを安定化させるには,父親に象徴される「社会」を代表させるものが入ってくることが必要。文字や言葉の力は,イメージが持っている危険から救ってくれるものである。

イメージと言語の間の苦闘については,偶像崇拝禁止という形でずっと続いている。近年,SNSの世界ではイメージ中心で言語の方は,ほとんど「いいね」だけになっていることは危険かもしれない。

この辺については,ジャック・ラカンの考え方に基づくもので,私のまとめ方が間違っている可能性があるのですが,音楽の評論にも通じるものがあり,大変面白いと思いました。音楽の場合,時間芸術なので,絵画と違った面もあると思いますが,この辺の話についてもっと聞いていたいと思いました。

最後に,最初の前置きの部分に戻る形で,次のような質問がありました。

Q 美術館は産業に寄与すべきか?

A この点については二枚舌を使えば良い。ニューヨーク近代美術館をはじめ,近代の美術館では,もともとアートとデザインという純粋な美術以外も扱ってきた。クオリティが高ければ,産業的に役立っても問題ない。

その後,建物のデザインになり,金沢21世紀美術館との比較の話になりました。これも金沢市民としては,面白い話題でした。

浅田さんは,21美の方がデザインとしての完成度は高く,「パキパキ」(こういう表現をされていました)に作られていて,シャープである。TADの方は,「男っぽくてざっくばらん」。審美的にいうとやや緩いが,現代的な要望にしっかり応えている使いやすい美術館である,と語っていました。

確かに21美の方は,どこが入口かよく分からない(良い意味での)「使いにくさ」はある一方,「どこを撮影しても絵になる」デザインの良さも持っています。TADの方はそれに比較するともっと,機能的でどーんとして立派な美術館と言えます。

最後にこの日,金沢から出発して,美術館内を見た後,金沢に戻るまでを写真で紹介しましょう。

「美術館をハシゴ」というコンセプト(?)でまずは,金沢21世紀美術館へ。後から考えると,この雰囲気は,やはり21世紀美術館ならではです。

「広坂:21世紀美術館前」から高速バスに乗車。富山地方鉄道のバスでした。

終点のJR富山駅に到着。路上に電車が走っているのは,大変羨ましいですね。

駅の構内です。このまま北口の方に行こうと思ったのですが...建物の中に入っても,北口に行けないことが判明。この点は,金沢駅の方が便利ですね。

駅の構内に市内電車の乗り場がありました。これも面白いですね。

駅員さんに尋ねたところ(地図もスマホも持たずに来たので),「北口に行くには地下道」と教えてもらったので,地下道へ。ただし,下の写真のとおりで「これは遠そう!」と感じてしまいました。

ただしそれほど時間は掛からず北口へ。オーバードホールの前です。

その後,美術館へ。私の発想としては「徒歩」しか頭になかったのですが,この道路は金沢で言うところの「50m道路」の雰囲気で,歩くには幅が広すぎる感じでした。

そのうちに運河のようなものが見えてきました。ここで左折すればよかったのですが,ついつい行き過ぎてしまいました(案内サインが必要?)。

環水公園らしきものが見えて来たので,左折して公園の中を突っ切りました。真ん中奥に見えているのが目標の美術館です。

美術館の入口です。環水公園から美術館に行くときは,大きな道路を渡らないといけないのが少々めんどうですね。

美術館の入口の傍にあったTADギャラリー。折本立身さんの作品の展示を行っていました。

ミュージアムショップです。今回は何も買いませんでした。

その他の展示室は2~3階にありました。

ガラスが大きく,環水公園や運河がよく見えるようになっていました。

こちらは別の方角です。

屋上は,「オノマトペの屋上」という庭になっていました。この日は大変よい天気だったこともあり,大勢の親子連れでにぎわっていました。

その名のとおり,色々なオノマトペが書かれた看板があり,それに関する作品(or遊具)が並んでいました。まずは「ぐるぐる」です。奥に見える白い部分はトランポリンのような感じになっていました。

「ぼこぼこ」です。

「あれあれ」です。黄色い棒に文字が書いてあります。特定のイスに座ってみると,「あ」になります。

「うとうと」です。これは一つ庭に欲しいですね。

 隣りに見えた建物です。意図的ではないと思うのですが,「JUZEN」というのが繰り返されていたので看板までオノマトペに見えてしまいました。

「ぷりぷり」です。漢字ドリルをやってみたくなりそう?

「ひそひそ」です。これは金沢21世紀美術館にも似たものがありますね。

3階のホールの隣にあった大型のタッチパネルです。

展示室から外を見ると...シロクマが見えました。

せっかくなので近づいてみました。妙に存在感がありました。

三沢厚彦さんによる作品でした。
http://tad-toyama.jp/collection/outdoor

展示室の中にもいました。

もう少し滞在していたいところでしたが,帰りのバスもあるので17:00過ぎに美術館を出ました。

今度は迷わずにJR富山駅へ。富山のお酒を1杯200円で売っていたのですが...これには参加せず。

高速バスへ。帰りは北陸鉄道でした。富山地方鉄道のバスの方が座席等はきれいでした。

バスの車窓から。太陽が沈むところでした。

金沢に到着。帰りは香林坊で降りました。19:00頃だったと思います。

開館記念イベントは続々と続くようです。9月23日の舟越桂さんと三沢厚彦さんのトークイベントも面白そうです。