2013年11月4日月曜日

11月4日は泉鏡花の誕生日。生誕140年記念シンポジウム「泉鏡花:愛と幻想の光と影」を聞いてきました。荒俣宏さんは,さすがという博識ぶりでした。「帝都物語」も読みたくなりました。

本日11月4日は泉鏡花の140回目の誕生日です。それを記念して泉鏡花記念館主催で,シンポジウム「泉鏡花:愛と幻想の光と影」が金沢市文化ホール(大ホールではなく会議室の方でした)で行われたので聞いてきました。お目当ては,作家・評論家・博物学者(その他,いろいろ肩書きがありそう)の荒俣宏さんでした。

今回はシンポジウムということで,秋山稔泉鏡花記念館長さんが司会的役割を担当し,荒俣さんともう一人のゲストの田中励儀同志社大学教授のトークを交えて進むと言う形でした。

まず,各パネリストと鏡花の出会いから話は始まったのですが,荒俣さんは中学生の頃から幻想文学に興味があり,師と仰ぐ平井呈一氏の薦めもあって,鏡花を読むようになったとのことです。小村雪岱による本の見開きの木版画が素晴らしいとか,鏡花の小説では「まえがき」の部分で「本を出すのにお金がかかったので沢山買って欲しい」といったことが書かれているとか,非常に具体的に面白さを紹介して頂きました。

田中さんは高校生の頃に読んだ「外科室」がきっかかで,鏡花を読むようになったとのことです。司会の秋山さんも田中さんも同じことを語っていたのですが,大学生の頃に鏡花全集を読破したことがあるそうです。鏡花作品については,その語り口に一度馴染んでしまえば,「一生はまってしまう」ということになるのかもしれません。
開始前の様子。今回は”ホール”はなく会議室で行われました。
その後,荒俣さんの書いた小説「帝都物語」の中に冷静に時代を読み,先を見通す力のあるキャラクターとして泉鏡花を登場させたこと(映画版では玉三郎が演じたとのこと。見てみたいものです),当時傍流だった幻想小説が当時主流だったリアリズム小説より現在では「あたり前」「面白い」と言われるようになっている点などが語られました。

それと鏡花が関東大震災直後の様子を描いた「露宿」というエッセーが素晴らしいとのことです。他の作家とは違って,冷静にまわりの状況を描いているということで,機会があれば読んでみたいと思います(ちなみに,この作品の原稿は泉鏡花記念館で所蔵しているそうです。)。

私自身,鏡花作品については,「高野聖」「外科室」そしてオペラ版の「天守物語」しか知らないのですが,今回のお話を聞いて,鏡花の世界に浸りたくなりました。荒俣さんは,鏡花文学との付き合い方として次の2点をポイントとしてあげていました。

  1. すぐに放り出さない。鏡花の日本語は独特である。凝りに凝った古典的な用語と(当時の)現代用語とが混ざり合っている。慣れるまで時間がかかる。ただし,2,3作読めば,しっかり鏡花マニアになるはず。
  2. 理解しようとしないことが重要。分かろうと思って読むと分からない。鏡花は最上級のこと(美しさとか)を人間にやらせ,読ませたかったのだろう。極端性がある。弁護士的な読み方はだめ。不思議な感じだなぁという後味を味わうことが大切。
鏡花の世界については,私自身,「独特な日本語」がハードルになってほとんど接していないのですが,一度,集中して浸ってみたいものです。そうすれば,一生の宝になるのかもしれません。

荒俣さんは,震災時の「鏡花の観察力」+「先を読む力」の素晴らしさに関連して,「形のないものがなくなってしまうことを防ぐことが21世紀には重要」といったことを語っていました。このことは,私がいつも聞いている,クラシック音楽の世界にも言えるなと思いました。非合理的な幻想文学の世界は,実際の目に見えないものを描いているのかもしれませんが,そういったことを形にしていること自体に意味があると言えそうです。

荒俣さんは,幅広い知識を持っていらっしゃるので,話が尽きない感じでした。鏡花ネタだけでもまだまだ引き出しがありそうなので,是非,また違った切り口でのお話を聞いてみたいものです。