昨日は,濱口竜介監督の最新の映画「ドライブ・マイ・カー」をユナイテッド・シネマ金沢で鑑賞してきました。村上春樹原作の同名の短編(ただし結構長い短編)が原作ということで,コンパクトな作品かなと予想していたのですが...驚きの179分という長さでした。
主人公の家福悠介の役柄が舞台俳優ということで,村上春樹の原作でもチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を引用していましたが,今回の映画版でも,この「ワーニャ伯父さん」を扱ったシーンが重要な役割を果たしていました。
「ドライブ・マイ・カー」はカンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞していますが,村上春樹の原作と「ワーニャ伯父さん」を重ねたシナリオの素晴らしさが評価されたのだと思いました。たまたま,昨年,「ワーニャ伯父さん」を実演で観て,「これは中高年男性には染みる作品だなぁ」と思っていたので,この両者を重ねた発想が素晴らしいと思いました。
西島秀俊が演じる家福悠介は,脚本家でもあった妻の音をくも膜下出血で突然亡くした後(二人は大変仲が良かったが,悠介は妻が不倫をしていたことは知っており,色々な秘密が明かされないままの状態),広島で行われる演劇祭の講師として長期に渡り広島に滞在し,ワークショップを行うことになります。そこで上演する作品が「ワーニャ伯父さん」。オーディションで選んだ,韓国,台湾,日本の俳優と一緒に作品を仕上げていくというのが映画の中盤の展開です。
この部分,演劇好きでない人が見ると,「長いなぁ」と思うのかもしれません。が,演劇を作っていく独特の過程がとても魅力的に描かれていると感じました。
このワークショップの会場まで,家福は”こだわりのマイカー(サーブという赤い外車)”で毎日1時間ぐらいかけて往復します(この時間を利用して,カセットテープ(これもこだわり)に妻の声で吹き込まれた「ワーニャ伯父さん」のセリフを聞くのも日課という設定)。ここで出てくるのが三浦透子演じる,渡利みさきという23歳のドライバー。
この家福とみさきの物語が原作の短編の核で,映画でもはこの辺の話が大きな見どころでした。何より,三浦透子さん演じる「寡黙だけれどもプロフェッショナルなドライバー」の雰囲気が,「いかにも村上春樹的キャラクター」(原作のイメージどおり)で,お客さんを引き付けるような存在感がありました。もともと「マイカーへのこだわり」の強い家福なので,他人が運転することを嫌がっていたのですが(演劇祭の決まりなので,仕方なく運転手に運転してもらうという設定),だんだんと彼女への信頼を増していきます。
そして,最後,この家福とみさきの関係が,ワーニャ伯父さん(中年男性)とソーニャ(ワーニャの姪)の関係に重なり合い,演劇祭の舞台での家福が演じるワーニャと韓国の手話で”話す”役者との関係にも重なり合います。「ワーニャ伯父さん」のクライマックスに出てくる,「それでも生きていきましょう」という有名なセリフも,韓国手話で表現していました。この場面での,韓国の若手女優(パク・ユリム)の柔らかな美しさも非常に印象的でした。
この演劇祭のオーディションで選ばれたメンバーについても,それぞれにスピンオフドラマができそうなぐらいのストーリーがあったのですが,最後にこのシーンで全てが統一されたような実感を持ちました。
さらにもう一つ重なっているのが,家福の妻の音の不倫相手だった,若手二枚目俳優の高槻と家福の物語。この高槻も「ワーニャ伯父さん」のオーディションに合格しており,当初はワーニャ役を演じるはずだったのですが...期間中に殺人事件を起こしてしまい(自己を抑制できない性格),出演できなくなります。
家福と高槻は,音という同じ女性を愛していたことになるのですが,2人の会話を通じて,過去の音の秘密がだんたんと明らかになっていきます。家福を演じる西島秀俊と高槻を演じる岡田将生。”マイカー”の中での2人の語り合いの中で亡くなった妻・音の姿が蘇り,2人の本心が見え隠れする...といった濃密な時間。この場面の2人の演技が素晴らしいと思いました。
この2人の男性に愛される,音役は,霧島れいか が演じていました。男性と性交をする中でシナリオの発想が出てくるといった”秘密”(この部分が「R12指定」でしょうか。村上春樹の別の短編のエピソードを加えていました)があるのですが,この辺も霧島さんの雰囲気にぴったりでした。
音は,ドラマが始まった前半だけにしか登場しないのですが,この霧島さんの存在感なしには,後半のドラマが成り立たないような魅力を感じました。映画の構成自体も,この音が亡った場面(1時間近くあった?)の後,ようやく「ドライブ・マイ・カー」というタイトルが出てくるという構成で,「堂々たる大作」の風格を出していました。
演劇のワークショップの途中で,主役を演じるはずだった高槻が脱落することになり,ワーニャ役は,「家福さんにやってもらうしかない」ということになるのですが,家福としてはなかなか踏ん切りがつきません。その決心をするため,ドライバーのみさきの生地(北海道の廃れた村)まで行ってみるという展開になります。
みさきにも色々な暗い過去があり,さらには家福と音の間の「今は亡き子供」とみさきの年齢が同じということも判明。家福とみさきの2人が,色々な過去に決着をつけるためのドライブになります(途中,北陸自動車道も通っていたので,金沢も通過していたはず)。
この静かなロード・ムービーといった展開も良い感じでした。このドライブを経て,二人は「同志」になったとも言えます。この映画には,やたらと煙草を吸うシーンが出てくるのですが(最近の映画でこれだけ喫煙シーンが多い作品も異例),車の中で二人が喫煙し,天井窓から手を出すシーンに,そのことが象徴されているのではと思いました。
というわけで,あれこれ書き出すとキリがないぐらい色々な要素が重なり合った作品で,それを村上春樹のストーリーを核として見事に再構成した,素晴らしい作品だと思いました。
PS. クラシック音楽のアナログレコードを聴くシーンも出てきました。この辺にも,村上さんらしさへのこだわりを感じました。