2016年8月21日日曜日

中島義道講演会「哲学する場所をつくる:哲学塾について」を西田幾多郎哲学館で聞いてきました。哲学してみたくなりました。

西田幾多郎記念哲学館では,毎年,夏期哲学講座という講座を行っています。今年で36回目とのことで,すっかり定着しており,2日間に渡って,哲学についての勉強をするために全国から受講生が集まってきます。その最初の講義だけが,一般公開されていましたので,聞いてきました。


講師は,カントを中心とした哲学についての専門書だけではなく,多数の一般向け著作,エッセーを多数書かれている中島義道さんでした。中島さんの著作は,数冊読んだことがあります。中島さんの著作については,恐らく,現代の日本社会で生きにくさを感じている人が読もうとするのではないかと思います。

実は私もそうです。「何で生きるのだろう」「幸福な人生とは」といったことが分からないまま,社会の中で不特定多数の人と関わりながら働くのはつらいものだ,と思ったりしています。この問いには,誰にでも当てはまる「これだ」という答えが出せないので,曖昧にしたままにならざるを得ません。正直なところ,ストレスに満ちた社会の中で働かずに生きていけないかな,と思ったりもしているのですが, そう甘いものではなく,その代わりに色々と現実逃避を行っている状況です。

中島さんの著作にも,そういったことをモチーフとしたものが多いですね。これだけ著作が多いということは,同様なストレスを持った人が多いということなのだと思います。ただし,中島さんの文章自体は読みやすいのですが,内容的には,暗く,厳しく,時に闘争的で,しつこく,さらには一般的に見るとひねくれたことを書かれていることも多いですね。

というわけで,今回は,「こういう文章を書かれている中島義道さんというのは,一体どういう方なのだろう?」「一度,お会いしてみたい」ということを第一の目的に聞きにいくことにしました。
講演会の雰囲気
その印象なのですが...哲学をすることが本当に好きな方なのだな,と感じました。中島さんは,講演の最後の方で「哲学は最も深い常識でなければならない。方法のために現に事実的なものを無視してはならない」という西田幾多郎の言葉を引用されていました。著作の過激さから予想されるほど「変わった人」というわけではなく,「深い常識」を持った方で,アカデミックな哲学(「哲学史」ということなのかもしれませんが)ではなく,「現に事実的なもの」を重視されている方だと思いました。

講演の内容は,中島さんが「こういう場所が欲しい」と思って作った「哲学をする場所=哲学塾」についての話題が中心でした。その哲学塾設立に至るまでの話は,中島さんの著書などにも書かれていた自伝的な内容になります。紆余曲折はあったのですが,東大の大森荘蔵先生にあったことが大きなターニングポイントになったようです。

「死ぬ意味が分からずに死ぬのは嫌」ということが,中島さんの人生の根底にあり,こういった哲学的な問題について,アカデミズム以外の場所で考える場所を色々と作っていきます。「哲学の道場」とか色々な実践を繰り返し,現実的な意味で色々なご苦労をされてきたようですが,そういった経験のすべてを糧として,大学の教員を辞めた後,「哲学塾カント」を始めます。

この話が大変面白いものでした。「何の役にも立たない(中島さん自身がそう言っていました)」ことのために,全国から専門家でない老若男女が集まって来て,哲学の勉強をしているのが感動的である,とのことでした。江戸時代末の松下村塾のような,私塾をイメージしているような感じでした。哲学をするには,いくらかの忍耐力があれば,東大の学生でも普通の人で対して変わりはない,と語っていたのも印象的でした。

「哲学は病的なものと近い」ということで,過去,中島さんが開いてきた塾には,道場破りが目的の人,精神的に病気の人など,色々と扱いにくい人も参加していたのですが,「お金を取る」ということによって,ある程度のフィルターを掛けることができたそうです。こういう参加者の多様性自体,哲学を勉強する上での素材にはなると思うのですが,公共的な場所を運営していく上では,やはり,非常識な人であっても最低限の普通さは必要ということは言えそうです。最後の方で,「自分は優れているから私について配慮せよ,といった匂いのある人は嫌いだ」と語っていましたが,この辺は哲学の問題は別として,そのとおりだと思いました。中島さんは,「哲学をしていることは偉いことではなく,労働に参加していないことに対してすまないと感じている」と語っていましたが,そういう意識も必要なのだと思います。

「哲学は危険なものだ」とも語っていました。言葉の使い方によって,すぐに自己弁護できてしまうからで,何についても上げ足を取られる危険があるからです。ここでも西田幾多郎の「人生問題」という言葉を引用していましたが,「実生活を見ているかどうか」が哲学においても重要になると言えます。

最後の質疑応答の際に,なぜカントを研究しているのか,という質問が出されました。その答えとして,「現代の哲学では,あれもない,これもない...という議論ばかりで論理的な正しさ,ロゴスへの信仰が失われてきているが,私はこれを信じたい。カントは,ロゴスについて最も信頼を置いてきた哲学者なのでその研究を行っている」ということを語っていました。

この話を聞いて,カントや西田の哲学について...その片鱗だけでも...学んでみたくなりました。中島さんは最後に「嫌な仕事をして,いやいや生きている人でも,何かを学んでいける場所が哲学塾」と言われていました。哲学病にかかって,真剣に哲学を勉強していれば,他の病気にはかからないとのことでしたが,これは結構,実用的な面でも心強い言葉なのではないかと感じました。

以上についての まとめ方は不正確かもしれませんが,私の感想込みということでご容赦ください。

講演会の前に西田哲学館も一回りしました。以前から比べると,少しレイアウトを変えたようで,リーフレットなども鈴木大拙館と似た感じの「大きな文字で書かれた格言」のようなものになっていました。これを見て,全部集めて束ねると「毎日修造」のような日めくりカレンダーのようにして使えるのでは?とひらめきました。というわけで,やってみました。
ちょうど良いクリップがあったので,束ねて鴨居にかけてみました
いかがでしょうか?31枚揃えて「毎日幾多郎」として「おみやげ」にして面白いかも。

参考までに,我が家にある「日めくり」です。他人からもらったものもあるのですが,結構ありました。流行なのかもしれませんね。
こちらは「毎日修造」。31枚セットです。


こちらは瀬戸内寂聴の日めくり