2014年11月26日水曜日

少し前になりますが...11月16日に 三文豪月間特別シンポジウム「秋聲文学の今日性:いま秋聲がおもしろい」を聞いてきました。

少し前ですが,11月16日,金沢21世紀美術館で行われた「三文豪月間特別シンポジウム「秋聲文学の今日性:いま秋聲がおもしろい」を聞いてきました。

金沢には,金沢出身の三文豪のそれぞれに「記念館」があり,毎年11月に当番を決めてイベントを行ってます。今回は,鏡花や犀星に比べると「読まれていない作家」である秋聲がテーマということで,個人的には,「秋聲入門」というつもりで参加してきたのですが...内容はかなり専門的かつ熱い内容でした。秋聲の作品を読んでいる方が楽しめる内容だったと思うのですが,とても熱い雰囲気があり,「ちょっと難しいところがありそうだが,読んでみようかな」と思わせる内容になっていました。

とても内容が詰まっていたので,今回もまたメモを取りながら聞いていました。その内容を紹介しましょう。

■あいさつ
  • まず,上田正行徳田秋聲記念館長のあいさつがありました。
  • 秋聲が亡くなって70回忌になる。岩波文庫から秋聲が消えてしまった。今後,どう継承するかが課題である。
  • 鏡花と犀星には金沢市内に研究会がある。秋聲についても立ち上げたいと考えている。
  • 面白い作品が少ないと言われている秋聲がなぜ面白いのか。秋聲は女性を描くのが巧いと言われているが本当か。といったことを上田館長はこの日のポイントとして挙げていました。
■シンポジウム(前半)
  • シンポジウムは大木志門さん(元秋聲文学館の学芸員で今は山梨大学准教授。”秋聲文学の伝道師”と呼ばれているそうです)が司会でした。大木さんは,まず「秋聲文学が面白いことは確か。それがどうしたら伝わるか?」ということをテーマとして挙げていました。
  • 前半は,「秋聲は作品が多く全貌が見えない作家と言われるが,全集が完成して明らかになったことは?」というような観点から,3人のパネリストから順に発表がありました。

1 松本徹(三島由紀夫文学館長)
  • 三島と秋聲の2人を専門に研究している。この2人で日本の近現代の文学史が収まってしまうところがある。この2人の性格は対局で,文学を幅広く扱うには最適。日本の近現代文学史の中の偉大な作家の二人である。
  • 秋聲は小説一本の人だった。しかし,その小説の内容は,硯友社時代,ヨーロッパの近現代小説風,自然主義...と多様である。
  • 作品の中では『黴(かび)』が空前絶後である。
  • 『仮装人物』では,ジャーナリズムを賑わした山田順子(妻の死後,秋聲と恋愛関係にあった女性で,「今でいうとAKBのメンバーにいても良さそうな若い美女」とのことです)との恋愛の進行を描いたような実験的な作品である。
  • なぜこれだけ多様な作品を書くことができたのか?自分の暮らしにあった文学を着実に紡ぎ出し続けたから,変幻自在に変えることができたのではないか。
2 紅野謙介(日本大学教授)
  • 全集の編集委員の一人だった。ただし,全集には未収録の作品もある。
  • 秋聲はプロフェッショナルな人によく読まれた作家である。
  • 1936年の文芸誌の付録によると,文壇の大家の一人に秋聲も選ばれている。藤村,川端康成,武者小路など今でも知られている人は選ばれていないので,芸術面とは違った尺度で捉えられているのではないか。
  • 漱石から『黴』は高く評価されたが「フィロソフィがない」とも言われている。「だから,すごい」とも言える。
  • 秋聲は,倫理やモラルの追及はしていない。『仮装人物』では,今の芸能人がやっていることと同じことをしている。戦前のモラルの中で,演劇性と創作性を見せているともいえる。
  • 秋聲は通俗小説も書いているが,そのことを恥ずべきこととは考えていない。純文学で生計を立てることの大変さを純分知っていた。
  • その辺のバランスについての嗅覚を持っていた。通俗小説作家から純文学作家だけでなくプロレタリア文学の作家など,幅広い作家が秋聲のところに集まり,多くの人に愛された。その懐の深さは想像を超えている。
  • 秋聲自身は強いフィロソフィは持っていない。文学について喧々諤々意見を戦わせるような共同体を作り直そうとしたところに意味を見出していた。
3 尾形明子(元東京女学館大学教授)
  • 研究テーマを秋聲にするか花袋にするかで迷った。
  • 山手の女性の感覚には,『爛(ただれ)』などの作品に対する拒絶反応がある。花袋の方が分かりやすいと思い,花袋を研究テーマに選んだ。
  • 1999年にパリで勉強していた頃,先生から秋聲の『縮図』の話が出てきて驚いた。その先生は「これが日本だ」と語った。
  • 例えば,盆栽は「小さいけど宇宙」を作っている。秋聲がやったこともこれであると分かって興奮し,その後,作品を多数読んだ。
  • 長谷川時雨主宰の『女人芸術』という雑誌は,女性が自由に発言できる場所として出てきた。そこにいつも秋聲の名前が出てきている。秋聲の女性作家への関わりはもっと考えてもよい。
  • 林芙美子も秋聲の影響を受けている。直系の弟子のように感じる。
  • 『仮装人物』は,山田順子をよく描いていて気持ちよい。
■現代日本文学巡礼のフィルム
  • 後半の最初では,昭和前期に流行していた「円本」の宣伝用フィルムの中に秋聲と山田順子が写っている部分が会場のスクリーンに流されました。これは秋聲が写っている唯一の動画ということでとてもきちょなものです。
  • それ以外にも,死の直前の芥川龍之介が,自宅の木に登っている映像があったり,佐藤春夫が豪邸に住んでいたり,菊池寛が将棋を打っていたり...解説付きでみると,なかなか面白い映像の連続でした。
  • 秋聲と山田順子の映像は,それぞれ50代と20代ということで,「秋聲の息子の一穂と順子の組み合わせの方が自然に見える」というような感想を語っている人もいました。
■シンポジウム(後半)
  • 大木:後期の秋聲文学のモダンさの根はどこにある?
  • 松本:金沢という土地の影響がある。明治時代の金沢は,日本の中でも最も都会的な空間だった(東京は田舎者の集まりだった)。秋聲は金沢という土地が洗練された文化を持っていることを痛感したのではないか。その地に戻ったのではないか。当時の金沢は,四高に優秀な人材が集まっていた。活版印刷も始まり,歴史的に見ても珍しい時代だった。新聞の読み手は男だったが,明治末以降,婦人雑誌が急速に増えた。その書き手が秋聲だった。
  • 大木:秋聲は外では洋服,家の中では和服だったが。秋聲の文学にもハイブリッドなところがる。秋聲はレベルの高い英語教育を受けていた。
  • 松本:最初の頃はかなりバタ臭い。それが段々と抜けていく。秋聲文学には,異例なほど擬態語が沢山でてくるが,これは浄瑠璃の影響と考えられる。それで,高度な写実性と凝縮的表現を持ったリアリズム小説を書いている。
  • 大木:秋聲のリアリズムは他の作家と比べるとどうか?花袋の平面描写と違うのでは?
  • 尾形:花袋の方が平易。秋聲は難しい。秋聲の文章は時空間が入り乱れていて,付き合うのに時間がかかるが,ハマると分かる。『仮装人物』は成熟した作品で読みやすい。どこか爽やかでもある。花袋の作品は,みんな泣きぬれた感じがある。秋聲の作品は,男女が対等な感じで,近代の男女のようである。花袋や藤村の作品にはそれはない。
  • 紅野:藤村はずるいところがある。インテリ男の悩むような話で,自分自身の救済が目標になっている。秋聲にはそういうゴールがない。開き直りがある。悩めるインテリのようなものは出てこない。これは女性モノを書いていたことが大きいのではないか。青鞜に加われなかったような女性がじたばたして生きている姿を描いている。
  • 松本:フィロソフィーのなさとつながるのでは。秋聲の実家は日蓮宗で,金沢に居ながら浄土真宗の影響もあまり更けていない。精神構造が自由なのではないか。
  • 大木:秋聲が読みにくいのは,頭叙法になっているから。後で説明を加える形になっている。その不思議な文章はどこから来ているのか。秋聲とプルーストは同じ年。ジョイスやウルフの同時代の作家である。前衛的な作家とつながりがあるのか?
  • 松本:秋聲の文章は,「思い出す」「反芻」といった精神作用と密接につながっているのでは。独特の文章にヨーロッパ的文章表現が不用意に加わっている。俳諧的な感覚もある。晩年はそれらがもっと簡潔になっている。
  • 紅野:『足跡』という作品辺りで何かが変わっている。他の作家は時系列的に並べるが,秋聲は,眺望がきかない感じである。自分の頭の中の不透明な記憶の感じを再現している。
  • 松本:『あらくれ』では,語りの要素も加わっている。
  • 紅野:説話的な『あらくれ』から『仮装人物』に変わり,融通無碍というか雑駁な感じになっている。
  • 尾形:最後にはくっきりとした像を結んでいると思う。
  • 松本:フィロソフィは邪魔である。
  • 紅野:それが抜けたものを体現したのが大きい。
  • 松本:対照的に三島はフィロソフィの塊である。この2人を並べると色々な風景が出てくる。二人とも映像に移されるのは好き。
  • 紅野:先ほどのフィルムでは,演技して映像に写っている。自分のイメージとの落差は,『仮装人物』のテーマと繋がっているのではないか。秋聲自身そういうことにいちばん気づいていた。
  • 大木:いつも時代に乗っかっている。自分のやり方で乗っかっているのが面白い。秋聲はアパート経営にも乗り出していますね。
  • 松本:これは大きい。他の貧乏な作家の面倒まで見ている。あれだけの変幻自在さ見せた秋聲は,本当の日本人である。
■質疑応答
  • 質問:秋聲は,色々姿を変えているが,なぜ最後まで自然主義作家と呼ばれたのか?
  • 尾形:リアリズムの手法を守っていたから。
  • 松本:このことに惑わされなかったから。秋聲自身は,好きなようにやって,普通の人間として見えてくるものを正確に描いた。
  • 大木:リアリズムのあり方はいつも同じではなかった。自然主義という言葉は批判のための言葉だった。秋聲は,それを理解しなおし,モダニズムを加えて,ブラシュアップした形で鍛えなおしたのではないか。
  • 紅野:自然主義というのは,「分類の記号」「レッテル」である。人間の真実を描くことだが,秋聲はそのレッテルを再構築した。文学の歴史では,カテゴライズとそれへの戦いということは起こる。
  • 松本:秋聲の恋愛の相手は,バタ臭い山田順子から,日本的な女性である小林政子に変わるが,それとも関係あるのでは。
徳田秋聲について,これだけ集中的に熱く語られる機会は初めて?ということで,ついつい熱心にまとめてしまいました。これを機会に,1作品ぐらい秋聲の作品を読破してみたいと思います。