2011年11月23日水曜日

美術館の中で時間と幸福感について考えてみました。

このところ仕事が集中しており,時間的な余裕がありません。正確には精神的余裕がないと言う方が正しいのかもしれません。時間がかかったとしても,どれだけで終わる,という見通しがあれば,精神的な余裕はあるのですが,その見通しがまだ立っていないのです。

頭の中に不安な要素がある時には,気分が落ち着かず,時間を味わう余裕が出てきません。今は,そういう状況です。ただし,気分を変えるのも仕事のスキルの一つでしょう。快晴の祝日の午前中ということで気分転換に21世紀美術館に行って,新しい展覧会を見てきました。

展覧会を見ながら考えたのが,「時間を味わえることが幸せなのかもしれない」ということです。その時,重要なのが「個人の体のリズム=心拍数」だと思います。

タイプとしては,緊張して心拍数が増していった後,何かを達成して,満足感を得るというパターンと心拍数は変わらずにその時間を味わうというパターンがあると思います。若いうちは,前者のパターンを好むことが多いのですが,歳を取って,体力が落ちて来た場合,後者のパターンの方が良いのではないかと感じています。若い人の場合でも,前者は,毎日ではなく,時々で良いと思います。

後者については,「誰でもどこでも」可能というメリットもあります。取りあえず一つのことに浸る時間を作り,そのことに満足できれば良いのです。その時に役立つ媒体が音楽,美術,文学...といった芸術・文化と呼ばれるものと言えそうです。教養と呼ばれているものも同様だと思います。宗教もそうかもしれません。

こういったものは一般に「役立たないもの」と言われていますが,平凡な時間に価値を付けるという役割を果たしている気がします。「良い時間の過ごし方を提供する素材」さらに言い換えると「退屈な時間のつぶし方」ということになります。

そういった時に邪魔になるのが,情報量の多さです。選択肢や情報が多すぎると,時間を味わうことはできません。すべてが同時並行になり,すべてが速読のような感じになります。気持ちの落ち着きがなくなり,心拍数が高めになります。そういう意味で,現代の大都市圏で,後者のようなパターンを味わうことは,前者よりも難しくなっている気もします。

金沢の場合,(私にとってですが)リアルな世界にある情報量が丁度良いと思っています。お店の数も人の数もイベントの数もそれなりで,多過ぎません。「味わう」ためには,刺激もないといけませんが,その具合をどう感じるかは,人それぞれだと思います。

北陸地方やブータンの幸福感の指数が高いのは,(私も含め)情報量の少なさをデメリットと感じないという人が多いからではないかと思います。モノを捨てたり,整理することが流行しているのも,世の中の多くの人が情報量の多さに辟易しているからだと思います。

自分の心拍数に合った,アンダンテぐらいのテンポで時間を過ごし,何かを味わいつつ生きる術を身につけること。これが理想でしょうか。

...などと考えているうちに,何と何と,美術館の駐車券を紛失してしまいました。実は,私にとって「券を探す」というのは日常茶飯事なのですが,本当に無くしたのは,初めてかもしれません。駐車場の職員の方に事情を説明し,何とか350円で済みましたが,やはり考え「ながら」というのには注意しないといけません。前向きに考えると,駐車場の親切なおじさんたちと良い時間を過ごすことができたということになりますが,モノの置き場を忘れるという性質(?)は治りません。困ったものです。