2017年10月28日土曜日

石川県立美術館で #為末大 講演会「禅とハードル」を聴いてきました。アスリートとしての人生と「十牛図」を重ね合わせた,分かりやすく,深い内容。自分の人生も振り返りたくなりました

兼六園周辺文化の森秋のミュージアムウィークの関連イベントとして,元陸上選手の為末大さんによる「禅とハードル」と題した講演会が行われたので,午後から石川県立美術館のホールに出かけて来ました。
本日は日本伝統工芸展も観てきました
この講演会は,石川県立歴史博物館で行われてる秋季特別展「禅と心とかたち」の関連として,当初は歴博で行われる予定でしたが,恐らく応募者数が多数だったため,県立美術館の方に変更になったようです。
開始前のステージ
ここ数年,色々な方の講演会を聞いてきたのですが,為末さんの今回の講演会は,その中でも特に内容が素晴らしいものだったと思います。為末さんのハードル競技のアスリートとしての選手人生を禅の悟りの過程を示した「十牛図」と重ね合わせて,分析するという内容で,大変説得力があり,分かりやすい内容となっていました。

その理由は,為末さんの選手人生自体,オリンピックや世界陸上といった大きな大会が節目になっており,見事に「十牛図」と重なっていたこと,各大会での映像が「エビデンス」の形でしっかりと残っており(今回も動画が投影されました),なるほどと実感できたことによると思います。そして,各大会が終わった後の,為末さん自身による自己分析が素晴らしく,単に陸上競技だけに止まらず,すべての人の人生を考える上での参考となると感じました。

為末さんの語り口は,饒舌に流れるようにしゃべると言うのではなく,謙虚さとユーモアを交えつつ,簡潔かつ,しっかりとメッセージを伝えるものでした。とても気持ちよく聴くことができました。

今回の講演は,ワルシャワ大学で行った「禅とアスリート」に関する講演と同じスライドを使っており,禅に関する講演を行いのは,2回目とのことです。為末さんは,最初の方で「禅については詳しくないのですが」と語っていましたが,それは恐らく謙遜で,禅以外にも,世阿弥,荘子,論語などを引用した,幅広い教養を踏まえての内容になっていました。

「アスリートの名言(?)」といえば,「毎日修造」を思い出しますが,今回の為末さんの講演の中にも,キラっと光る言葉が沢山ありました。「毎日為末」というわけではありませんが,今回の講演の中核だった「十牛図」との対応を中心に講演の内容をご紹介したいと思います。

為末さんと,「十牛図」の出会いについては,特に説明はなかったのですが,現役時代の末期にアメリカに住んでいた頃に,鈴木大拙の本に出会い,禅に興味を持ったと語っていましたので,その頃に読まれたのだと思います。

「十牛図」というのは,「悟りにいたる10の段階を図と詩で示したもの」(ウィキペディアによる)です。「牛」が「真の自己」を示すということで,人間の生き方とのアナロジーで捉えることができそうです。

ちなみに,プレゼンテーション用のスライド作成法の本に「Zen」というタイトルを持つ有名な本がありますが,為末さんのスライド自体も,白い空白を沢山使ったシンプルなもので,「禅の雰囲気」がありました。タイトルにぴったりのプレゼンだったと思います。

1 尋牛(じんぎゅう):牛を探す

  • スポーツの多くは,意味も分からず「型を記憶」する形で始まる。
  • 世阿弥の言葉の「守・破・離」の中の「守」の段階であり,色々と試された結果が残っているので,洗練されているものである。
  • 最初は意味が分からず,後から「なるほど」と分かるのが型である。# この「型文化」は,茶道を初めとして,日本文化に特に多いと思います。西洋音楽の楽器の基礎練習なども同様かもしれないですね。
  • ただし,「型」だけに捕らわれていると,「守」よりも先に進めなくなる弊害がある。
  • 「型」だけでもインターハイ選手は出せるが,オリンピック選手は出せない。自分の頭で練習の意味を考えないと,トップレベルには慣れない。
  • かつては「型文化」の弊害で伸び悩む人が多かったが,近年は指導者も変わってきている。


2 見跡:足跡を見つける

  • 為末さんは,小学生の頃からものすごく足が速く,野球部の盗塁要員として活躍。
  • 陸上のカール・ルイス選手の走りを見て,「ここまで行けばスターになれる」とあこがれて陸上の世界に入る
  • 高校時代,ハードルに転向。親からは「こうした方が良い」と言われたことはなく,すべて自分の責任で選んできた。
  • 大学時代からは,自分で自分をコーチする形でやってきた。
# この経験が自己分析の鋭さにつながっている気がしました。


3 見牛

  • 型を覚え,体が自由に動かせるようになった状態
  • テレビゲームには,スーパーマリオのようなタイプと,シューティングゲームのようなものがある。マリオの方は主人公を外から客観的に見るタイプ,シューティングゲームの方は,自分自身が主人公であり画面上には見えない。スポーツでは,この2つの視点の行き来が必要
  • その他,対人ゲームだと「相手の視点」が必要になる。
  • スポーツについては,少し離れたところにいる周りの人からの方がよく見えることがある。世阿弥の言う「離見の見」と同じこと
  • 荘子に「蟻と百足」の話が載っている。蟻が「百本の足を動かすのはすごい」と感心して百足に言ったところ,百足は自分の足を見てしまい,かえって足が絡まってしまった,といういう話。
  • この話同様,スポーツ選手は次第に頭を空っぽにして体を動かすことが難しくなる(例:以前はキャッチャーのミットだけを見て投げていたのに,指先が気になるようになってしまったピッチャー)。空っぽにできるひとが勝負強い人とも言える。
  • スランプになると,視点が硬直化してしまい,「もうおしまい」という考え方から逃れられなくなる。狭くて近い話ばかりになってしまう点が問題。
  • 「どこに意識を置くか?」が重要。「今と自分」はコントロールできるが,「過去と他人」はコントロールできない。また,自分自身の中にもコントロールできない部分がある。
  • 常に何かの欲求を持っている自分をどうするか?例えば,「自分は強い」というモデルを自分に押しつけすぎると,耐えられなくなってしまう。

4 得牛:牛を捕まえた

  • 2000年のシドニーオリンピックでの経験が,心について考えるきっかけになった。
  • 為末さんは,このとき初めてオリンピックに出場したが,途中まで1位だったのに大切な場面で転倒してしまう。これまで大きな失敗をしたことがなかったので,大きなショックを受けた。
  • しばらく落ち込んだが,「底に足がついた」と感じた時に反転した。その瞬間に納得し,失敗について考え始めた。
  • 「考える」場合,「どうするか?」と「なぜなのか?」の2種類があるが,最初に「どうするか?」を考えるとあいまいになる。まず,深い原因を突き詰めるため「なぜ」をくり返した。
  • オリンピックの敗因については,「向かい風が強く歩幅が縮まっていたにも関わらず,緊張感で分からずそのまま走り,最後にほころびが出た。緊張感でピッチが上がってしまい,歩幅があわなくなった...といったことを考え,海外でのレースの経験不足が原因と気づく


5 牧牛

  • オリンピックの翌年の世界陸上では,スタート前に風向きを調べるなど落ち着いており,日本人初となる銅メダルを取り,日本新記録を出す。
  • このことによって「失敗の意味」が変わった。過去は変えられないと考えていたが,意味が変わることに気づき,自分の中の納得感が変わった。
  • ただし,逆の場合もあり,次回はスランプになり,予選落ちしてしまった。

# 他の部分もそうなのですが,為末さんの場合,自分自身でいろいろなことに気づけるのが素晴らしいと思います。
6 騎牛帰家

  • 世界陸上でメダルを取ってから有名になり,ちやほやされるようになり,目標は達成できた。
  • しかしその後,「燃え尽き症候群」になった。
  • 新しい目標が見つけられず,オーバーワークになり,ケガをしてしまい,結果も出なくなった。

# この辺は自分自身でコーチングをすることの難しさもあったのかもしれないですね。

7 忘牛存人:牛を忘れてしまった段階

  • スランプになった後,「本来の自分」について考えるようになった。自分らしい理想の走りを目指すようになった。

# ここで自己の振り返りをしっかりできるのが素晴らしいと思いました。

  • ウサイン・ボルトのようには,なろうと思ってもなれない。
  • 「こうあるべき」ということがドミノ倒しのように倒れ,自分のオリジナル(前半をとばして,ハードリング技術を磨く)を考えるようになって,また勝てるようになってきた。

 
8 人牛倶忘:牛も人もからっぽ 悟った状態

  • その後,フィンランドでの世界陸上で銅メダルを取るなど持ち直した。
  • このメダルについては,風と雨の天候の中,7レーンで走ったことが大きかった。中止になるかどうか微妙な中,経験の少ない他の選手たちは,ウォーミングアップをくり返し,疲れていった。為末さんは短いウォーミングアップで済むタイプだったので,直前までアップはしなかった。また,為末さんは冷静な判断で,スタートダッシュで他の選手に「出遅れた!」と思わせることに賭けた(7レーンだと後ろから見えるので)。
  • このレースでは,「Zone(忘我)」の感覚になり,すごく集中できた。時間や空間の感覚が変わり,途中のハードルを飛び越えている時の記憶が全く残っていない。

# こういう感覚をもう一度味わって見たかったとのこと。他の場所で,「居酒屋で時間・空間の感覚がなくなるのと同じか?」という質問があったそうですが,それとはもちろん違いますね。
9 返本還減

  • 30歳を過ぎ,練習しても成績が上がらず,能力が失われていくことを実感。グランドに出ても,以前は自分が中心だったのが,変わってしまっていることを実感し,つらかった。
  • 引退直前の頃は,「まだやれる」と「もうおしまい」が交錯
  • ただし,自分に向き合い,「自分を知る」という点で人生の中で大きな意味があった。
  • なりふり構わずに,やるしかないという状態になり,気がすんだ

10 入鄽垂手(にゅうてんすいしゅ)

  • この部分で,為末さんの好きな論語(雍也第6の20)の中のフレーズが紹介されました。次のとおりです。 これは芸術にも言える言葉かもしれません。

これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
  • 自分を思い切り表現しつくせば人生はそれでよい。

# この言葉は特に印象に残りました。

  • 毎日毎日が勝負。今この瞬間に一生懸命にやれば道が開けるかも,という状況が心地よかった。
  • 最後にぐるっと回って,最初に陸上競技を始めた時の走りに戻った

最後は「自分と向き合って,何かをつかんで欲しい」という言葉で閉められました。

その後,質疑応答になりました。今回は質問も多く,しかも講演内容をさらに含ませてくれるものばかりでした。これも為末さんの講演の素晴らしさの反映だったと思います。

質問1 雑念を払うトレーニングとして座禅は良いのか?

スポーツの場合,ポッカリと空白の時間を作ることは重要。これがないと,次が起こらないのでは。ケガをした後,良くなることがあるが,距離を置くことで複雑なものがシンプルになるという効果もある。

質問2 「練習の意味」については,コーチが伝えるのが良いのか,自分で分からせるのが良いのか?

「自分がみつけた」という感覚を持つことが重要である。

質問3 最初,短距離だったのをハードルに転向した理由は?

高校生になり100mの記録が伸び悩んだ。400mハードルのレースを見て「複雑で走りにくそう」に見えた。この競技ならば,頭で考えれば,根性で勝てると思ったから。

質問4 日本のスポーツについては,「○○道」という形で勝ち負け以上のものを目指しているようだ。日本特有か。

これと同様の質問をアフリカで受けたことがある。日本人はスポーツを手段として捉え,スポーツの奥になる何かをつかもうとしている気がする。それは複数のスポーツを通じて共通のものかもしれない。つかめないことは分かっていても,追いかけること自体が人生だと考えているのでは。海外の場合,技を獲得することに主眼があり,現役引退の際もドライな感じである。

質問5 ナンバ歩き(手と足が同時に出るような歩き方)について

ナンバ歩きはネジリを入れない歩き方で力が入りやすいので,腰に良いのでは。相撲の四股を練習に取り入れた陸上選手もいた。

質問6 いろいろな業界でのトップを極めた人に共通する点は?

「無邪気さ」「屈託のなさ」「引きずらなさ」があるのでは?

質問7 魅力的な人は,信念や生き方の軸が定まっている。その見つけ方は?

自分の人生を振り返って,経験を束ねてみると,何を大事にしていたのかが見えるはず。この束ねるコンセプトを見つけるべきでは。

というような形で大変,面白く,分かりやすく,しかも深い内容でした。最後の質問のとおり,私自身についても,これを機会に人生を振り返ってみたいと感じました。

為末さんは,現役時代から金沢には,練習の関係でよく来ていたそうです。禅との関係では,鈴木大拙館にも関心がありそうです。機会があれば,また別の切り口で色々なお話を伺ってみたいものだと思いました。
県立美術館のお隣の歴史博物館

現在,歴博で開催中の禅関連の展示のポスター