2018年7月15日日曜日

#石川県立美術館 で開催中の展覧会 「#若冲 と #光瑤」関連講演会。6月末の #狩野博幸 氏による売茶翁の話に続き,昨日は #渡邊一美 氏による石崎光瑤の生涯と画業をたどる講演を聞いてきました

6月末から,石川県立美術館で展覧会「若冲と光瑤」が行われており,大変賑わっています。やはり,若冲人気が大きいと思います。それとやはり主催の新聞社の力が大きいのだと思います。

私自身,展覧会自体は,6月末に観たのですが,関連して行われた講演会の方も充実していました。次のとおり3回行われたうち,私は,6月24日と7月14日の2回に参加してきました。その内容について紹介しましょう。

  • 6月24日(日)「若冲を支えた人々:売茶翁などなど」狩野博幸(美術史家)
  • 7月7日(土)「色からみた若冲」安村敏信(北斎館館長)
  • 7月14日(土)「至高の花鳥画を求めて石崎光瑤:その生涯と画業」渡邊一美(南砺市立福光美術館副館長)

伊藤若冲(1716~1800)の作品については,近年ブームのようになっており,大都市圏で行われる展覧会などは大人気のようです。今回の展覧会は,この若冲の作品の中で重要文化財に指定されている仙人掌群鶏図襖(大阪・西福寺蔵)が目玉です。ちなみに「仙人掌」と書いて「サボテン」と読みます。若冲が金地の襖に描いた作品はこれだけしかないとのことです。それと,近年,石川県で発見されてMIHO MUSEUMで所蔵している象と鯨図屏風。この2つが各展示室の中心にありました。

そして,今回の展覧会のもう一つのテーマが,富山県出身で金沢で日本画の勉強した日本画家,石崎光瑤(1884~1947)です。この人の展覧会は,昨年も行っていたので「また?」という気がしないでもなかったのですが,その華やかな世界は,大変見応えがありました。若冲の作品の方は,上記の2作以外は比較的地味な感じだったので,個人的な印象としては,光瑤の作品の方が良いのでは?という印象を持ちました。これはやはり,光瑤の方が20世紀に活躍した画家ということもあると思います。

まず,6月24日に行われた,狩野博幸さんによる記念講演「若冲を支えた人々」について紹介しましょう。講演者の狩野博幸さんは,「若冲ブームの火付け役」とのことで,演題は,「若冲を支えた人々:売茶翁などなど」でした。

講演の内容は,「日本人は「孤立した存在」を好む傾向があるが,若冲はそうではなかった。売茶翁と呼ばれた,黄檗宗の僧から煎茶売りに転身した風流人の影響を強く受け,その生き方に精神的に支えられていた」,要約すると,こういったことになります。

まず,予備知識として若冲の活躍した江戸時代の時代背景についての説明がありました。江戸時代は,徳川家康以来,朱子学が重んじられていました。そこでは秩序が重んじられ,それが,士農工商の身分制度のベースになっていました。

この士農工商の中では,工と商の間に線を引くのが正しいとのことです。農工はモノを作っているが,商はモノを動かしているだけであり,商人は「人間のクズ」といった考え方がされていました。そして,この商人だったのが,若冲(青物問屋の4代目)。若冲の絵には高級な画材がふんだんに使われているが,それは若冲が非常にお金持ちだったことによります。若冲は,商人であることに引け目を感じていたが,売茶翁と知り合うことで,その引け目はなくなります。

という具合に,売茶翁との関わりが語られていきました。最高の知識人でありながら士の身分を捨て,茶を売っているだけ。自分からは何も語らないが,多くの人に影響を与えた「ブラックホール」のような人。江戸時代にあっては,この売茶翁のあり方は画期的でした。

その後,前述の「仙人掌群鶏図襖」についての話題になりました。この絵は非常に華やかに見えるのですが,裏側には,「枯れた蓮」という「異常な題材」が描かれています。この絵は,京都で起こった「天明の大火」で,若冲自身,鴨川縁のアトリエを無くしてしまった時に,大阪で描かれています。2011年3月11日の東日本大震災の直後,狩野さんは,テレビの収録のため,この作品を観て,初めて意図が分かったとのことです。つまり,京都の街の再興を託した絵ということです。「枯れた蓮」の絵には,よく見ると,点々と白いツボミが描かれています。表側の「金色」や「仙人掌」は,永遠の象徴。なるほどと思いました。

今回,若冲代表作「植物綵絵」のスライドを観ながら説明があったのですが(この作品,宮内庁所蔵なのです),スライドで観るだけでそのすごさや豪華さが分かる感じでした。この作品をまとめて観る機会というのは,なかなかないと思うのですが,一度観てみたいものです。



さて,昨日,7月14日に行われた,南砺市立福光美術館副館長の渡邊一美さんによる「至高の花鳥画を求めて石崎光瑤:その生涯と画業」の方は,光瑤に焦点を当てた内容でした。前述の通り,今回の展示の印象としては,光瑤の作品のインパクトが残ったので,聞きに行くことにしたものです。

渡邊さんのお話は,光瑤の人生のタイムラインに沿って,その体表作をスライドと共に説明する,大変分かりやすい内容でした。昨年,石川県立美術館で行われた展覧会「燦めきの日本画:石崎光瑤と京都の画家たち」の方に相応しい内容だった気もしましたが,若冲との関わりや共通点も語られ,今回,この2人の作品を並べて展示することの意義を改めて実感できました。

光瑤は,時代によって作風を変えているのですが,特にインパクトの大きい作品は,今回も展示されていた(昨年も展示されていましたが),「熱国研春」「燦雨」「雪」といった,30代に描かれた「出世作」だと思います。

熱国研春」「燦雨は,日本画の技法で熱帯のジャングルの雰囲気を大スクリーンで伝える,見事な作品です。

「雪」については,実物を見ると,非常に厚く塗られているのがすごいですね。渡邊さんの説明では,色々な要素が色々なアングルから描かれており,キュビズム的。曲線の感じはアール・ヌーヴォの雰囲気もある,とのことでした。

石崎光瑶の作品については福光美術館のページに画像がいくつか掲載されています。
http://nanto-museum.com/koyo-ishizaki/

若冲と光瑤の共通点については次のことを上げられていました。

  1. 対象に対する観照力(美の内面まで見ようとする力)
  2. 圧倒的な写形力(絵がうまい)
  3. 色彩の美しさ
  4. 構図のセンス
  5. ポスター的なグラフィック
  6. 浮揚感(この絵は一体どこから見ているのだろう)

光瑤は,京都の美術学校の教員になってから,若冲の素晴らしさについて学生に語っていたのですが(当時は若冲ブームなどかった頃です),学生の中から「若冲らしき絵が豊中の寺の襖にある」という情報を得て,上述の「仙人掌群鶏図襖」を発見します。

この襖絵を光瑤は模写するのですが,今回の展示では,この2つが並べられています。光瑤もびっくり(&感激)しているのではないかと思います。

光瑤の作風は,その後,だんだんと余白が増えてる感じで(一方「燦雨」などは画面中が,光り輝くスコールですね),余計なものを省いた作風になってきます。スライドで紹介された作品は,ポスターにしてもそもまま使えそうな作品が多いと思いました。

今回,出展されていた作品の中では,「晨朝」という作品に惹かれました。富山県立美術館所蔵の作品ですが,見ていてすがすがしい気分になりました。

最後に光瑤の,芸術表現を形作っているものについて,まとめられました。先ほどの若冲との共通点と通じる要素がほとんどですが,次のとおりです。

  1. 実体験。博物学的な好奇心
  2. 深い観照力(趣味の登山の影響もありそう)
  3. 近代的視点に立った徹底した写生
  4. 画力
  5. 古典の研究(晩年までずっと研究していたそうです)
  6. 先を行く意匠力(芸術家はとどまっていてはだめ。常に運動しないといけない)

これをさらにまとめると,「写形(技術面)」「写意(精神面)」「意匠(写形と写意を新しく再構築)」の3つの要素になり,光瑤はこの3つのバランスが素晴らしかったということになります。この3要素の統合については,美術に限らず,アーティストとしての音楽家にも言える普遍的な内容だと思いました。

今回の講演会では,京都での師匠である竹内栖鳳など,京都画壇とのつながりの話も興味深いものでした。光瑤については,2年続けて観たことになりますが,絵の完成度が一環して非常に高いので,富山と金沢に縁のある作家として,一度,純粋に光瑤の作品だけを集め,その世界に浸ってみたい気がします。

今回の展覧会ですが,グッズコーナーも充実していました。昨年は,石崎光瑶の「燦雨」のクリアファイルを買ったので,今回は若冲の鶏のファイルを買ってみました。最近のフォルダーに白い紙を差し込むと色々と見え方が変わるものが多いですね。段々とフォルダー集めも趣味になりつつあります。



PS.今回の展覧会の主催は,北國新聞,石川テレビという組み合わせなのですが,これは結構珍しいですね。北國新聞創刊125周年 石川テレビ創立50周年 石川県立美術館開館35周年記念とのことです。