2018年11月4日日曜日

#石川県立能楽堂 で #金沢能楽会 定例能を鑑賞。#橋弁慶 #棒縛り #当麻 3時間30分以上「能の時間」に浸って来ました。その後,再度 #秋の空 へ

本日は午後から,金沢能楽会の定例能を石川県立能楽堂で観てきました。


昨日は,金沢能楽美術館に出かけていたので,この週末は能楽三昧といった感じになりました。とはいうものの,能楽堂で能を観るのは...なかなか思い出せません。金沢城公園での薪能は何回か観たことはあるのですが,能楽堂の舞台で,能と狂言をセットでしっかりと観たのは,もしかしたら中学生の時以来かもしれません(金沢市では,市内の中学生全員が学校から団体で観にいっていたはずですが...今でも続いているのでしょうか?)。

今回,能を観ようと思ったのは,9月以降,能楽堂で4回開催していた「能楽講座」を受講したからです。講座では,今回の定例能で取り上げる作品の解説などを聞いたのですが,その後ならば,とっつきにくそうに思える能も楽しめるのでは,という期待があったからです。さらには「4回全部受講した人は,本日の能に招待」という特典もありました。

というわけで,本日は無料で観ることができました。 実質的にしっかりと能を鑑賞したのは,今回が初めてのようなものだったのですが,「能楽の時空間の魅力」の一端に触れることはできたと思いました。思惑どおり,「講座を聞けば楽しめる...」とまでは行きませんでしたが,13:00~16:30過ぎまで,約半日,実世界とは別の時間が流れる世界に入ることができました。
本日はこの辺から鑑賞
定例能の構成は,能→狂言→仕舞→能,というのが定番のようです。この日上演されたのは次の作品でした(時間は不正確だと思います)。
  1. 能「橋弁慶」(約50分)
  2. (休憩20分)
  3. 狂言「棒縛り」(約15分)
  4. 仕舞「巻絹」(キリ)(約5分)
  5. 能「当麻」(約120分)
「橋弁慶」は,弁慶と牛若丸が最初に京都の五条大橋で出会うエピソードを能にしたもので,分かりやすい内容だったと思います。弁慶役は,昨日,金沢能楽美術館でお話を聞いたばかりの,藪克徳さんでした。昨日観た時は,小柄な方に見えたのですが,舞台上だと大変大きく見えました。義経役は,渡邊さくらさんという子役で,気持ちよくのびのびとした声を聞かせてくれました。 

藪さんの弁慶は,昨日の鼎談の時とは違う,落ち着きのある立派な声で,懐の深さのようなものを感じました。今回は能舞台のサイド(橋がかりの方)から観たのですが,思ったよりも舞台は横に長く使えるのだなと思いました。 義経の発声法は,いわゆる「棒読み」のような感じで,立ち回りの方もリアルさはないのですが(舞踊的?),定例能の最初の演目に相応しい華やかさがあると思いました。

次の「棒縛り」は,狂言の代表作だと思います。私でも知っている作品でした。主人の留守の間に,勝手に家の酒を盗み飲む悪癖のある二人の使用人を懲らしめるため,主人は,1人は両手を棒にしばり,もう一人は後ろ手に縛って外出します。が,創意工夫+協力によって,2人は結局飲酒をして酒盛りを始めるというお話です。

最後は,戻ってきた主人に見つかるのですが(ディズニーの「ファンタジア」にも出てくる,「魔法使いの弟子」的な設定でしょうか),漫才の原点のような,とても楽しい作品でした。 セリフに繰り返しが多く,結構くどいのですが,それが大らかな気分につながっていると思いました。「なかなか」とか決まり文句で返す感じも狂言らしいと思いました。役者さんの演技にも,大らかで朗らかなユーモアがあり,狂言入門にぴったりの作品だと思いました。

その後,「巻絹」という作品の仕舞(能の一部を衣装なしで演ずるもの)が入った後,この日のメインの作品である,「当麻」が演じられました。

この作品は,事前の講座で2回ほど取り上げられたので,内容は大体把握していたのですが,かなり長い作品ということもあり,それぞれの動作で,何を表現しようとしているのかとか,セリフの内容など,ほとんど理解できませんでした。ただし,能の場合,内容の理解よりは,その時間を一緒に過ごすことに意味があるのかなとも思いました。 

形式的には,夢幻能ということで,後半は「夢」ということになります(事前に「これは夢幻能です」と言われないと分からないのですが...)。前半は,観客代表としてのワキとシテ(主役)との出会い。間狂言をはさんで,後半では,シテは,本来の姿となって登場,というのがそのパターンです。 

この作品の題材は,奈良県二上山の近くの当麻寺に伝わる中将姫伝説でした。能については,実は,観光地紹介のような側面もあるそうなので,当麻寺に伝わる曼荼羅など,見所が紹介された後,終盤,前半は老尼だったシテが,中将姫の精魂となって再登場し,早舞(はやまい)をして終わります。

 前半の最後は,「紫雲に乗って昇天します」ということなのですが,リアルにそうなる訳でなく,超常的な部分は謡で表現されます。もどかしい点は...何を言っているか分からない点でしょうか。シテが杖を舞台に落とすシーンがありましたが,その事が昇天を意味していたのかもしれません。 

シテの舞の方もそれぞれの動作に象徴的な意味がありそうでした。袖をくるっと跳ね上げたり,ドンと足踏みをしたり,扇子を広げたり...この辺の意味が分かるともっと楽しめそうです。が,意識し過ぎないのも良いのかもしれませんね。 

観ていて面白いと思ったのは,小道具については,利用が終わったら,後見の人が,さっと片付けてくれる点です。部屋の片づけの本は,ベストセラーの定番ですが,これは,日本的美学の原点かも知れません。 

能全体としては定型的な「手順」に従っていると思うのですが,昨日の金沢能楽美術館での,内田樹さんの考えだと,その手順がルーティーンに見えないのが良い芸ということでした。この辺については,色々と見比べないと何とも言えないところだと思います。 

今回少々気になったのは,小鼓,大鼓等の打楽器や笛(+かけ声)の音量が結構大きく,シテの言葉がかき消されていた点です。空気を引き締めるような笛のピーッという音とか,皮の音が心地よく聞こえるような太鼓類の音は臨場感たっぷりでしたが、声と重なると、セリフがよく聞こえなる感じでした。正面からだと違った風に聞こえたと思うのですが,もう少しシテをクローズアップするようなバランスでも良いのかな,と感じました。シテは,面を付けていたので,声がややこもってした気がしました。また、今回のシテの佐野由於さんは,やや声量が小さかった気もしました。

見所はやはり,最後の早舞の部分だったと思います。音楽は熱狂的になるわけではないのですが,少しずつ高揚感が増す中で,シテの舞に光が差してくるような雰囲気を感じました。この辺の受け取り方は,もしかしたら,お客さんの「自由」なのかもしれませんね。 この夢幻能のスタイルは,バレエ「くるみ割り人形」のようなものでしょうか。能は,分析したり理解すべきものではないとは思うのですが,色々なパターンを比較してみたいなと思いました。
能楽堂周辺の本多の森の紅葉
能の後は昨日に続いて,「秋の空」へ。昨日とは違って,今にも雨が降りそうな空でしたが,せっかくなので,古本を1冊購入して帰宅。そういえば,能の「当麻」は,小林秀雄の『無常ということ』という有名な評論集の中に収録されていることを思い出しました。読んだことはないのですが,タイトルだけは覚えています。

ちなみに,本日購入した本は,「お酒」についての随筆集。一度,お酒を飲みながら,お酒の本を読むというのをやってみようと思って買ってみました。