2018年7月29日日曜日

石川県立美術館 #広重展 。昨日,名古屋市博物館の #神谷浩 さんの講演を聴いた後,鑑賞。見方を変えてくれる内容でした。#東海道五十三次 の実物も良かったですがコンパクトな図録も良い感じ。買ってしまいました。

7月27日,石川県立美術館で「広重展:雨,雪,夜:風景版画の魅力をひもとく」が始まりました。それに合わせて,この展覧会の監修者でもある,名古屋市博物館の神谷浩さんの講演会が行われたので聞いて来ました。石川県立美術館では,大勢の人が鑑賞した「若冲と光瑤」展が終わったばかりでしたが,この「広重展」の方も充実した内容でした。私は神谷さんのお話を聞いた後,展覧会を観たのですが,神谷さんの意図通り「広重もすごい」と実感できました。
展覧会場前のパネル
講演会の意図は,「北斎や若冲ばかりが高く評価されているが,広重ももっと評価されるべきということを知ってもらいたい」という点でした。そのため,今回は,」同時代の浮世絵師,北斎との比較で,広重の面白さを色々な面から解き明かすという内容になっていました。

今回の展覧会の目玉は,広重の代表作『東海道五十三次』の保永堂版全作品でした。永谷園のお茶漬けの「付録」でお馴染み(今は違うでしょうか?)の「見慣れた」作品で,一見,各宿場の名所,名物を描いていると思われているのですが,神谷さんのお話を聞いて,考え方を改めました。

神谷さんは,目でなじんでいる作品については,絵をじっくり見ることなく「ああこれか」で終わってしまうことが多いが,今回の展覧会では,そうならないようにキャプションを工夫したとのことでした。

その典型が「広重は,各宿場の名所・名物を描いている」という誤解です。中には,そういう作品もありますが,絵の中に書かれている「宿場名」よりは「朱色」で印が押してある「季節,時刻,天候等の記述」の方が重要とのことでした。具体例を上げて説明されたので,とてもよく分かりました。
  • 庄野 本当は山でないのに傾斜が描かれている。「白雨」ということで,夕立を描きたかった作品
  • 亀山 「雪晴」の印がある。雪晴れの朝の透明感を広重は描きたかった。
  • 蒲原 静岡県ということで,本当は雪は滅多に降らないのに,「夜の雪」を描いている
  • 土山 「春の雨」。実は人物の気持ちの方が伝わってくるような作品。
  • 日本橋 「朝」旅の始まりの緊張感と早朝の風情が見事に描かれている。
言われてみると,そのとおりと思いました。

展覧会のチラシです。ご存知「日本橋」です。
「蒲原 夜之雪」「庄野 白雨」などが入っています。
続いて北斎の作風との比較が行われました。

まず,北斎です。北斎の特徴は「デッサン力」「構成」「イマジネーション」「質と量」にあります。デッサン力は,北斎漫画を見れば一目瞭然で,どれも重心が崩れていません。神谷さんは「異常な上手さ」とおっしゃられていました。しかも,描けば描くほど凄くなり(こんなに描かなくても良いのに描き出すと止まらなくなる感じ),「質と量」が比例しています。

「構成」については,「富嶽三十六景」を例に,同心円的な構成,富士山の相似形を色々組み込む構成の説明がありました。人物を配置する場合も,絵の構成を主眼にして,配置するなど,ドライな感じがするとのことです。

一方,広重の方は,「季節」「天候」「時間」+「人物描写」ということが,まず,ポイントになります。広重の描く題材は,今回の展覧会のサブタイトルにもなっているとおり,「雨・雪・風」といった天候,「夜・月・朝」といった時間などが中心で,「歌謡曲」のタイトルにも通じるような詩情があります。神谷さんは,日本人は北斎よりも広重が好きな人が多い,とおっしゃっていましたが,「みんなが懐かしく思うものをちゃんと描いている」のが広重と言えます。

ただし,「構成」「視点」についても,北斎に劣らない斬新さがあります(「デッサン力」については,明らかに北斎に劣っているとのことです)。例えば,スピード感を出すときに「V字」の構図を使ったり,「鳥の視点」「犬の視点」から描いた作品があったり(論理的な西洋人にとっては驚き),「出し惜しみ」(全部を描かなかったり,後ろ姿を描いたり)によってイマジネーションを広げたり,北斎同様に,西洋の印象派の画家たちにも大きな影響を与えています。
V字の構図。神谷さんによると
「牛の描写はイマイチだけれども,風が吹いている感じがする」

「亀山 雪晴」この作品は素晴らしいですね。
ちなみに国際的な評価については,北斎が非常に高く「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」(雑誌「LIFE」の企画)の中に日本人で唯一入っているのが北斎です。

北斎は,当時から画家としての格がずっと上で,お金持ちでもあったのですが,その分,広重の方は,人物を描いた場合の,北斎にはない「ゆるい安堵感」のようなものが魅力になっています。

今回,こういう話を伺った後に鑑賞しました。「東海道五十三次」以外にも,色々な作品が展示されていましたが,やはり,この出世作がいちばん魅力的と感じました。構図面でもすっきりしたものが多く,キリッと締まった感じの作品が多いと思いました。

「広重ブルー」と呼ばれる,青の色合いを実物で確認できたのも良かったですね。刷の質感,紙の質感には,生で見ないとわからないものがありました。

神谷さんは,講演会の中で,「図録を是非購入してください」と宣伝されていたので,手にとって見てみたのですが,まず判型がコンパクトな横長というのが良かったですね。何となく旅のお伴のノートといった感じでした。紙質の方も本物を思わせる,ちょっとマットな感じがありました。全作品について,分かりやすい解説も付いており,「もう一度じっくり振り返るのに良いかも」と思い,購入してしまいました。2000円でしたが,結構お買い得なのでは,と思いました。
大きさを比較するため,図録と文庫本を比較。高さは文庫本と同じです。
この「広重展」関連のイベントですが,8月18日(土)には,この図録の解説を神谷さんと一緒に描かれた,前田詩織さんによる「広重とめぐる東海道」という講演会があります。それと,元オーケストラ・アンサンブル金沢の首席チェロ奏者,ルドヴィート・カンタさんによる,ロビーコンサートも行われるようです。こちらは,8月15日(水)10:30~と13:00~の2回です。一体どういう作品を演奏してくれるのでしょうか?

SNSで広報してください,とのことです

2018年7月15日日曜日

#石川県立美術館 で開催中の展覧会 「#若冲 と #光瑤」関連講演会。6月末の #狩野博幸 氏による売茶翁の話に続き,昨日は #渡邊一美 氏による石崎光瑤の生涯と画業をたどる講演を聞いてきました

6月末から,石川県立美術館で展覧会「若冲と光瑤」が行われており,大変賑わっています。やはり,若冲人気が大きいと思います。それとやはり主催の新聞社の力が大きいのだと思います。

私自身,展覧会自体は,6月末に観たのですが,関連して行われた講演会の方も充実していました。次のとおり3回行われたうち,私は,6月24日と7月14日の2回に参加してきました。その内容について紹介しましょう。

  • 6月24日(日)「若冲を支えた人々:売茶翁などなど」狩野博幸(美術史家)
  • 7月7日(土)「色からみた若冲」安村敏信(北斎館館長)
  • 7月14日(土)「至高の花鳥画を求めて石崎光瑤:その生涯と画業」渡邊一美(南砺市立福光美術館副館長)

伊藤若冲(1716~1800)の作品については,近年ブームのようになっており,大都市圏で行われる展覧会などは大人気のようです。今回の展覧会は,この若冲の作品の中で重要文化財に指定されている仙人掌群鶏図襖(大阪・西福寺蔵)が目玉です。ちなみに「仙人掌」と書いて「サボテン」と読みます。若冲が金地の襖に描いた作品はこれだけしかないとのことです。それと,近年,石川県で発見されてMIHO MUSEUMで所蔵している象と鯨図屏風。この2つが各展示室の中心にありました。

そして,今回の展覧会のもう一つのテーマが,富山県出身で金沢で日本画の勉強した日本画家,石崎光瑤(1884~1947)です。この人の展覧会は,昨年も行っていたので「また?」という気がしないでもなかったのですが,その華やかな世界は,大変見応えがありました。若冲の作品の方は,上記の2作以外は比較的地味な感じだったので,個人的な印象としては,光瑤の作品の方が良いのでは?という印象を持ちました。これはやはり,光瑤の方が20世紀に活躍した画家ということもあると思います。

まず,6月24日に行われた,狩野博幸さんによる記念講演「若冲を支えた人々」について紹介しましょう。講演者の狩野博幸さんは,「若冲ブームの火付け役」とのことで,演題は,「若冲を支えた人々:売茶翁などなど」でした。

講演の内容は,「日本人は「孤立した存在」を好む傾向があるが,若冲はそうではなかった。売茶翁と呼ばれた,黄檗宗の僧から煎茶売りに転身した風流人の影響を強く受け,その生き方に精神的に支えられていた」,要約すると,こういったことになります。

まず,予備知識として若冲の活躍した江戸時代の時代背景についての説明がありました。江戸時代は,徳川家康以来,朱子学が重んじられていました。そこでは秩序が重んじられ,それが,士農工商の身分制度のベースになっていました。

この士農工商の中では,工と商の間に線を引くのが正しいとのことです。農工はモノを作っているが,商はモノを動かしているだけであり,商人は「人間のクズ」といった考え方がされていました。そして,この商人だったのが,若冲(青物問屋の4代目)。若冲の絵には高級な画材がふんだんに使われているが,それは若冲が非常にお金持ちだったことによります。若冲は,商人であることに引け目を感じていたが,売茶翁と知り合うことで,その引け目はなくなります。

という具合に,売茶翁との関わりが語られていきました。最高の知識人でありながら士の身分を捨て,茶を売っているだけ。自分からは何も語らないが,多くの人に影響を与えた「ブラックホール」のような人。江戸時代にあっては,この売茶翁のあり方は画期的でした。

その後,前述の「仙人掌群鶏図襖」についての話題になりました。この絵は非常に華やかに見えるのですが,裏側には,「枯れた蓮」という「異常な題材」が描かれています。この絵は,京都で起こった「天明の大火」で,若冲自身,鴨川縁のアトリエを無くしてしまった時に,大阪で描かれています。2011年3月11日の東日本大震災の直後,狩野さんは,テレビの収録のため,この作品を観て,初めて意図が分かったとのことです。つまり,京都の街の再興を託した絵ということです。「枯れた蓮」の絵には,よく見ると,点々と白いツボミが描かれています。表側の「金色」や「仙人掌」は,永遠の象徴。なるほどと思いました。

今回,若冲代表作「植物綵絵」のスライドを観ながら説明があったのですが(この作品,宮内庁所蔵なのです),スライドで観るだけでそのすごさや豪華さが分かる感じでした。この作品をまとめて観る機会というのは,なかなかないと思うのですが,一度観てみたいものです。



さて,昨日,7月14日に行われた,南砺市立福光美術館副館長の渡邊一美さんによる「至高の花鳥画を求めて石崎光瑤:その生涯と画業」の方は,光瑤に焦点を当てた内容でした。前述の通り,今回の展示の印象としては,光瑤の作品のインパクトが残ったので,聞きに行くことにしたものです。

渡邊さんのお話は,光瑤の人生のタイムラインに沿って,その体表作をスライドと共に説明する,大変分かりやすい内容でした。昨年,石川県立美術館で行われた展覧会「燦めきの日本画:石崎光瑤と京都の画家たち」の方に相応しい内容だった気もしましたが,若冲との関わりや共通点も語られ,今回,この2人の作品を並べて展示することの意義を改めて実感できました。

光瑤は,時代によって作風を変えているのですが,特にインパクトの大きい作品は,今回も展示されていた(昨年も展示されていましたが),「熱国研春」「燦雨」「雪」といった,30代に描かれた「出世作」だと思います。

熱国研春」「燦雨は,日本画の技法で熱帯のジャングルの雰囲気を大スクリーンで伝える,見事な作品です。

「雪」については,実物を見ると,非常に厚く塗られているのがすごいですね。渡邊さんの説明では,色々な要素が色々なアングルから描かれており,キュビズム的。曲線の感じはアール・ヌーヴォの雰囲気もある,とのことでした。

石崎光瑶の作品については福光美術館のページに画像がいくつか掲載されています。
http://nanto-museum.com/koyo-ishizaki/

若冲と光瑤の共通点については次のことを上げられていました。

  1. 対象に対する観照力(美の内面まで見ようとする力)
  2. 圧倒的な写形力(絵がうまい)
  3. 色彩の美しさ
  4. 構図のセンス
  5. ポスター的なグラフィック
  6. 浮揚感(この絵は一体どこから見ているのだろう)

光瑤は,京都の美術学校の教員になってから,若冲の素晴らしさについて学生に語っていたのですが(当時は若冲ブームなどかった頃です),学生の中から「若冲らしき絵が豊中の寺の襖にある」という情報を得て,上述の「仙人掌群鶏図襖」を発見します。

この襖絵を光瑤は模写するのですが,今回の展示では,この2つが並べられています。光瑤もびっくり(&感激)しているのではないかと思います。

光瑤の作風は,その後,だんだんと余白が増えてる感じで(一方「燦雨」などは画面中が,光り輝くスコールですね),余計なものを省いた作風になってきます。スライドで紹介された作品は,ポスターにしてもそもまま使えそうな作品が多いと思いました。

今回,出展されていた作品の中では,「晨朝」という作品に惹かれました。富山県立美術館所蔵の作品ですが,見ていてすがすがしい気分になりました。

最後に光瑤の,芸術表現を形作っているものについて,まとめられました。先ほどの若冲との共通点と通じる要素がほとんどですが,次のとおりです。

  1. 実体験。博物学的な好奇心
  2. 深い観照力(趣味の登山の影響もありそう)
  3. 近代的視点に立った徹底した写生
  4. 画力
  5. 古典の研究(晩年までずっと研究していたそうです)
  6. 先を行く意匠力(芸術家はとどまっていてはだめ。常に運動しないといけない)

これをさらにまとめると,「写形(技術面)」「写意(精神面)」「意匠(写形と写意を新しく再構築)」の3つの要素になり,光瑤はこの3つのバランスが素晴らしかったということになります。この3要素の統合については,美術に限らず,アーティストとしての音楽家にも言える普遍的な内容だと思いました。

今回の講演会では,京都での師匠である竹内栖鳳など,京都画壇とのつながりの話も興味深いものでした。光瑤については,2年続けて観たことになりますが,絵の完成度が一環して非常に高いので,富山と金沢に縁のある作家として,一度,純粋に光瑤の作品だけを集め,その世界に浸ってみたい気がします。

今回の展覧会ですが,グッズコーナーも充実していました。昨年は,石崎光瑶の「燦雨」のクリアファイルを買ったので,今回は若冲の鶏のファイルを買ってみました。最近のフォルダーに白い紙を差し込むと色々と見え方が変わるものが多いですね。段々とフォルダー集めも趣味になりつつあります。



PS.今回の展覧会の主催は,北國新聞,石川テレビという組み合わせなのですが,これは結構珍しいですね。北國新聞創刊125周年 石川テレビ創立50周年 石川県立美術館開館35周年記念とのことです。