2017年8月18日金曜日

加賀市美術館で「空と大地の画家 森本仁平展」を観てきました。人物画や風景画の独特の色・静謐さを3つのコーナーに分けて展示。もっと知られても良い,すごい画家だと思います。

夏休みの続きで本日は1日休みを取りました。明日以降の,いしかわミュージックアカデミー関連の演奏会に備えて,家の中で休息していても良かったのですが,どうも昼間ゴロゴロ寝ているよりも,昼間は活動し,夜しっかりと休息を取る方が体調が良い感じなので,本日は,加賀市まで車で出かけ,加賀市出身の画家・森本仁平の展覧会を加賀市美術館で観てきました。
この画家の存在を知ったのは,石川県立美術館の常設展示です。洋画コーナーには,鴨居玲,高光一也など石川県関連の画家の代表作が飾られていますが,その中で,いつみてもパッと目が止まる絵がありました。それが森本仁平の作品でした。

例えば次のような作品です。
「タンクの多い工場」
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/collection/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=1905990&data_id=1861

一瞬,「写真?」と思わせるリアルさがあります。それと同時に静謐な空気感が漂っています。何枚か所蔵作品はあるようで,最初は名前を覚えていなかったのですが,どの絵を見てもハッとします。そのうちに作者の名前を覚えました。一言で言うと「好みの作家」です。

今回の展示では,その森本さんの作品が3つのパートに分けて,56枚ずらっと展示されていました。平日の午後ということで,ほぼ展示室を独占する形で楽しんできました。


今回は森本さんの個展ということで,配布資料の中には森本さんの年表も入っていました。それを読むと,1945年の終戦直後,ものすごくドラマティックな体験をされていることが分かりました。

終戦時,森本さんは朝鮮半島に取り残され,ソ連の捕虜となってシベリアに連行される途中,脱走。1000キロを40日以上かけて山岳地帯を踏破して,家族と合流。その後,さらに38度線を越えて,ソウル経由でプサンから帰国。

そのままドラマになりそうな経験です。

そういう思いで見ると,初期(といっても50歳以上ですが。93歳で亡くなられているのですが,晩成型の画家といえます)のシュールレアレズム風の作品であるとか,自分の内面を厳しく見つめるような肖像(例えば「空の肖像」(1974年)など)からは,その人生経験がにじみ出ているような気がします。
http://ishibi.pref.ishikawa.jp/collection/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=170035&data_id=1859

「絵をかく自画像」という1997年(86歳の時の作品)の自画像が展示のいちばん最初に飾られていましたが,この2つを比べると,晩年の表情の方が随分穏やかで,森本さんの数多くの風景画を観ていると同じような自然さが感じられます。

今回の展示では,「I  リアリズムの時代:社会派画家として」「II 写実に向かう:自己への回帰」「III 詩情を込めて:懐かしき日本の原風景へ」の3コーナーに分けていましたが,森本さんの人生のタイムラインと重ね合わせて,その変化を味わうことができました。個展ならではの楽しみ方だと思います。

さて,森本さんの絵の作風ですが,次のような特徴があると思います。
  1. ハッとさせるほどリアルで巧い。先に書いたとおりです。どの絵も巧く,ムラがないのがすごいと思います。
  2. 構図は常に安定している。風景画については,どの絵も水平線で上下に分かれるような感じです。上が空,下が水や地面ということになります。言ってみればワンパターンで,実は,特に風景画については区別がつかないぐらいですが,どの絵にも静謐さや孤独感が漂っています。風景画の中に人物が描かれているものは一つもありませんでした。
    記念に買った絵葉書。いちばんシンプルな構図の絵葉書を買ってみました。
    その名も「天と地」というタイトルです
  3. 色合いとしては独特のセピア色というか黄褐色をベースに描かれた絵ばかりです。特に「湖畔のはす田」http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/collection/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=1833417&data_id=1888 )という作品がとても気に入りました。色合いについてもワンパターンなのですが,色合いに重苦しさがなく,透明感やキラキラと光る感じが鮮やかに表現されているので,実際の風景から抽出された空気感のようなものを感じることができます。このリアルな雰囲気は,アメリカの画家のワイエスと似ている気もします。
  4. 色合いとセットになっているのですが,絵のマチエール(絵の表面の感じ)は大変滑らかで緻密にしっかりと塗られています。
どの絵もとても完成度が高く,油絵のお手本のようなオーソドックスさや隙の無さがあるのですが,その中に冷たい感じはありません。静謐な孤独感と暖かみが両立している点が,森本さんの絵に魅かれている理由のような気がします。問題は...やはり,どれが?どれも!という感じで風景画については,区別がつきにくい点でしょうか。

その後,加賀市に関連のある作家の絵や工芸作品を集めた常設展を観た後,すぐお隣にあったアビオシティ加賀(アルプラザ)へ。

この商業施設は,美術館の本当に近く(というか渡り廊下でくっついている感じ)でした。さらには加賀温泉駅にも隣接していました。ざっと巡ってきたので写真を紹介しましょう。


遠くに「巨大観音像」が見えます。

こうやってみるとウルトラマンか何かのように見えて,かなりシュールです。その手前がJR加賀温泉駅です。

アビオシティ加賀は演歌歌手が頻繁にショーを行っているようです(たまたまこの時期だったから?)

吹き抜け部分にこのようなステージがありました。座席に座布団が置いてあるのが心憎いばかりです。演歌歌手だけでなく,庄司智春さんなど各種芸人も登場しているようです。
この日は高速道路を使わずに,国道8号線で出かけたのですが,行きは事故があったせいで片側交互通行になっている部分があり(よりにもよって,国道とは思えないような狭い場所だったので),思わぬ時間が掛かってしまいましたが,我が家からの場合は,山側環状~加賀産業道路~国道8号線経由ならば1時間程度で着くことが分かりました。今度は,是非,温泉や料理とセットで出かけてみたいものです。

国道8号線の途中にあった道の駅「こまつ木場潟」です。


2017年8月17日木曜日

夏休みを延長しシネモンドで映画「この世界の片隅に」+片渕須直監督のあいさつへ。テンポ感,色調,キャラクターすべてに統一感。ず~っと映画の世界に入っていたくなるような素晴らしい作品でした

正規の夏休みは昨日までだったのですが,休みを半日延長し,本日の午前中,映画「この世界の片隅に」をシネモンドで観てきました。
シネモンドの入口です。ポスターには片渕監督のサインが入っています。
この映画を観に行こうと思ったのは,昨年,最初シネモンドで上演された時に「観よう,観よう」と思いつつも何となく見逃してしまったこと,その後,多くの映画賞を受賞し,大変評価が高い作品であること,そして,この作品の監督の片渕須直さんが,この日シネモンドに来館し,舞台挨拶とサイン会を行うという情報を得たこと。この3つです。実は,本日もやや体調は悪かったのですが,監督の来館が最後の一押しをしてくれました。

観た感想は素晴らしいの一言です。ストーリーのテンポ感,映像の色合い,主人公のキャラクターに統一感があり,ず~っと映画の世界に入っていたいと思いました。

この作品は,昭和8年から昭和21年までの広島市と呉市を舞台とした,ヒロイン北條すず(旧姓浦野)とそのまわりの人たちの日常生活を描いたアニメーションです。当然,戦時中の苦労(広島が舞台なので,もちろん原爆投下も出てきます)が描かれるのですが,少々意表を突くくらいに明るく平穏なタッチが続きました。戦時中を描いた映画というと,暗い,重い,辛い...ちょっと見たくないかな,という先入観を持ってしまうのですが,戦時中といっても,日本人全員が同じ気分に覆われていたわけではなく,「現在と同じような日常もあった」ということがしっかりと描かれていました。何よりもこのことが新鮮でした。

ストーリー展開は,特に最初の方はとても速く,すずさんの幼少時などは,ポンポンとあっという間に終わりました。ただし,その中に,その後の様々な「出会い」の種がしっかりと印象的に描かれていました。

描かれている絵の美しさも素晴らしいものでした。呉から見る海と山と空が水彩画を思わせるような優しい色合いを基調として描かれていました。ストーリーの前半に出てくる,戦争が本格化する前の広島の風景を見るだけで,切ない気分になりました。すずさんは,絵を描くのが得意という設定でしたが,映画の映像全体がすずさんの描く絵と重なり合っているようにも思えました。

そして,すずさんのキャラクター。声は,のんさんが担当していましたが,その名のとおり,のんびりとした優しいキャラクターで,辛いことも辛いと思わず,気負いなくサラリとやり過ごしてしまうような不思議さな魅力を持っていました。これは広島の方言の力にもよると思うのですが,全体にのんびりとした雰囲気が漂っていました。

のんさんと言えば,何といっても「あまちゃん」が代表作ですが,役柄にピタリとはまった時は,そのキャラクターそのものになってしまう天性の資質があると思います。すずさんそのものだったと思いました。

もちろん,恋愛があったり,三角関係っぽいムードがあったり,意地悪い小姑が登場したり,ドラマもあるのですが,それらがすべて,すずさんのキャラクターの力によって,常に淡く優しい雰囲気を持ったものになっていたと思います。

スト―リー,映像,キャラクターの全ての面で,濃さであるとか,押しつけがましさがなく,その点が,ずっと「この世界」に入っていたい,という心地よさにつながっていたと感じました。

***以下,色々とネタバレになります。***

しかし,その世界が後半は少しずつ変化していきます。つまり,すずさんが苦労し始めます。呉への執拗な空襲と広島への原爆投下です。この前半の世界と後半の世界の対比が,この作品のハイライトとなります。

全体のサラリとしたトーンの中で,最もドラマティックに強調されていたのが,姪の晴美とともに,投下された時限爆弾の爆発に遭遇してしまうシーンです。その結果,晴美を亡くし,自分も右手を失うことになります。そこまで描かれてきた「戦争中だけれども,のんびりとしたところもある日常」の後だと,その残酷さと哀れさが強く焼きつけられました。

原爆の方は投下の瞬間については,「今,何か光った?」という感じで,ダイレクトには表現していませんでした。これは,ドラマを「すずさんの体験した日常」として描くという方針(?)によるのだと思います。昨年の大河ドラマ「真田丸」では,真田信繁自身が体験しなかった「関ケ原の戦」をスルーしていましたが,それと似た感じだなと思いました。

原爆投下後の広島については,すすさんが見た焼け跡と,すずさんがかつてスケッチブックに描いていた広島の風景とをオーバーラップさせることで,その悲惨さが強調されていました。すずさん自身,右手ではもう絵を描けないので,その悲しみとも重なっていると思いました。

この作品では,身近な人との日常生活や自分の生活圏の自然の美しさが,穏やかに継続することのありがたさが,しっかりと描かれていました。戦争というのは,この日常生活や自然を無情に破壊してしまうものと言えると思います。

戦時中でも平穏な日常生活があったこと。しかし,戦争がその平穏が生活を破壊してしまったこと。しかし,負けずに生きていくと新しい生活日常が立ち上がってくること。この作品の中では,こういったことが,気負うことなく,美しい映像で描かれていました。生と死の繰り返しが愛おしいものに思えてくる,素晴らしい作品だと思いました。



さて,この日は,上演後に片渕監督による挨拶がありました。この映画は,インターネット上で制作資金を調達する「クラウドファンディング」で作られたものです。監督の挨拶からも,「自分の作品であるだけではなく,お客さんの作品でもある」というの思いが伝わってきました。というわけで,舞台挨拶の写真撮影もOKで広めてもらっても良いということでした。その内容を簡単にご紹介しましょう。

  • この映画がシネモンドで上映されるのは3度目。上演回数は合計で105回目となる。
  • 上映後の挨拶の時,出番を外で待っていると,映画の最後の方の音声が館内から聞こえてくる。今日もすずさんは頑張っているなと感じる。
  • 1年前の今頃は映画の完成のための追い込みの時期で大変だった。
  • 戦争を扱った映画ということで8月に上映されることが多いが,日常生活の営みや人生を描いた作品なので8月以外でも上映して欲しい作品である。
  • この作品には,日本大学芸術学部(監督の出身大学)の関係者も関わっている。例:「白いうさぎのような波」の絵,すずさんが爆弾を受けた後の黒地の部分の絵など
  • 昭和20年8月15日に終戦を迎えた後,1週間ほどで普通の生活に戻っている。ラジオではまずラジオ体操が戻った。ジャズピアノで弾く軍歌といった番組もあった。
  • この作品に登場している,すずさんとけいこさんが今も生きていれば92歳と101歳になる。そんなに遠い話ではない。きっとずっとその生活は続いているのではないかと思う。
監督は「マイマイ新子と千年の魔法」でも舞台挨拶をされたようです。
最後にしっかり監督のサインもいただいて来ました。
サインしやすい,色紙のような白い表紙のパンフレットです。大変読み応えがありそうなので,今から読もうと思います。
サイン会の列です。午前中にも関わらず多くの人が参加していました。

2017年8月15日火曜日

枕元のラジカセで聞くカセットテープはなかなか良い感じ。大昔を思い出しました。というわけで...カセットテープの廃棄作業は難航しそう

先週末から頭痛が治らず,せっかくの夏休みなのに半分寝て過ごしている状況です(ただし,夏休みを家で過ごす時はいつもゴロゴロしているだけなので大差はないのですが...)。CDを聞いたり,本を読んだり,居眠りしたり,家族を近所まで車で送り迎えしたり...を繰り返しています。涼しいのが救いです。

少しずつ回復しつつあるので,本日は朝から枕元にラジカセを置いて,大昔にエアチェックしたカセットテープを聞く,というのをやってみました。この病床(というほどのものではありませんが)とラジカセという組み合わせは,昔よくこの形で聞いていたので,懐かしくなりました。それと,やはりカセットテープはラジカセで聞くのがいちばんと思いました。
今残っているラジカセはこれだけです。1990年代前半のものです。
カセットテープについては,恐らく200本ぐらいは残っているのですが(これでも整理しました),今後,聞く機会はほとんどないだろう,ということで「1回聞いたら捨てよう」と決意して,聞き始めました。一時期は,カセットを音声ファイル化することも考えたのですが,CDだけでもかなりあるので,聞く時間を考えると,残しておく選択肢はないかなという結論になりました。

段ボール箱の中に詰めてある中からランダムに取り出したのが,ハイドンのチェロ協奏曲第1番(ヨーヨー・マのチェロと小澤征爾指揮ウィーン・フィルによる1982年ザルツブルク音楽祭のライブ)とシューマンのチェロ協奏曲(リン・ハレルのチェロとマリナー指揮アカデミー室内管弦楽団。こちらも同年のザルツブルク音楽祭のライブ)でした。

次のような感じで曲名が書かれていました。無名の会社の安いテープに録音したものです。当時は何故か曲名などは全部英語で記入していました(色々,間違っていそうですが)。

ハイドンのチェロ協奏曲第1番については,今度の土曜日に新倉瞳さんのチェロで聞く予定なので,丁度良いと思い聞き始めました。ラジカセだと音の迫力はないしクリアさもないのですが,耳元で語り掛けるように聞こえるのが良いですね。一度聞き始めたら基本的に「ずっと聞く」という形になるので,落ち着いて聞ける気もします。それと,何といってもヨーヨーマの演奏が鮮やか過ぎて,高音部などはヴァイオリンの音を聞くような美しさでした。

というわけで,捨てるつもりで聞いたのですが,このテープについては残しておこうかなという気分になっています。たまたま,今日は村上春樹の「ドライブ・マイ・カー」という短編を読んでいたのですが,「車の中でカセットテープを聞くのが好き」という中年の主人公が出てきて,「やれやれ」という感じになっております。

今後も「枕元鑑賞」をしながら廃棄していこうと思っているのですが,作業はなかなか進まないかもしれませんね。

2017年8月7日月曜日

#佐藤正午 『月の満ち欠け』(岩波書店) 読みやすい丁寧な文体の中から,時空を超えた人と人のつながりが見えてきました。ただし...かなり複雑。もう一度読んでみたいと思います。

先日直木賞を受賞したばかりの佐藤正午の小説『月の満ち欠け』を読んでみました。今年は例年になく,比較的新しいハードカバーの小説を読んでいるのですが,やはり文庫本で読むよりも,どこか贅沢な気分にさせてくれます。それと―これも個人の好みの問題だと思いますが,ハードカバーの方が物理的に読みやすいと思います。

今回佐藤正午さんの作品を読もうと思ったのは,「岩波書店初の直木賞受賞作品」という話題性と,作家の中にもファンが多いという佐藤正午さんの作品を一度読んでみたいと思ったからです。読んだ結果は,「一度読んだだけでは,すっきりしない部分もあったけれども,全体に漂う雰囲気はいい」というものでした。

小説のジャンルとしては,夫婦と娘を中心とした家族ドラマで,非日常的な派手な冒険は出てきません。主人公が誰かも分かりにくいのですが,最初の場面に登場する,小山内堅という青森出身の男性の亡き妻と亡き娘がドラマの起点となります。ストーリーの詳細は書けないのですが,「生まれかわり」がテーマになっています。

途中次のような文章が出てきます。
神様がね,この世に誕生した最初の男女に,2種類の死に方を選ばせたの。ひとつは樹木のように,死んで種子を残す,自分は死んでも子孫を残す道。もうひとつは,月のように,死んでも何回も生まれかわる道。...人間の祖先は,樹木のような死を選びとってしまったんだね。でも,もしあたいに選択権があるなら,月のように死ぬほうを選ぶよ...そう,月の満ち欠けのように,生と死を繰り返す。
このセリフを誰(女性)が言ったか?...は,明かさずにおきますが,ストーリー自体が,入れ子構造のようになっており,読んでいくうちに,どんどん謎が深まって行くような,ミステリアスな雰囲気があります。じっくりと進む濃厚な時間が続いた後,パッと次の段階に切り替わるなど,地味だけれども飽きさせることのない展開が良いと思いました。

佐藤さんの文体には,きっちりと状況を描く丁寧さや端正さがあるのですが,登場人物がどんどん増えてくることもあり,実は...途中で人間関係がよく分からなくなってしまいました(途中,休みながら読んでいたこともあると思います)。人と人の間の網の目のようなつながりを描くことに主眼だったと思うので,故意に複雑にしているような気もしました。

というわけで,この作品については,「2回読んだ方が楽しめるのでは(まだ,1回読んだだけの状態ですが)」と思いました。2回目は,しっかり登場人物の人間関係をメモしながら,読んでみようかな,と目論んでいます。

そして,この小説を読みながら,生物学者の福岡伸一さんがよく言われている「動的平衡」ということを思い出しました。
生体の中で合成と分解を繰り返している反応で,合成と分解が同じ速度で進んでいるため,一見変化が起きていないようにみえる状態(出典:朝倉書店「栄養・生化学辞典」)
このことにより,人間の体を構成する個々の細胞は生死を繰り返して入れ替わっても,その人の持つ記憶であるとか同一性はずっと維持されている,といったことになります(多分,こういう理解で良いと思いますが...)。この『月の満ち欠け』に出て来た,個々の人間は,月の満ち欠けのように生死を繰り返しますが,ドラマ全体として見ると,基本的な人間関係はずっと維持されている。小説全体を通じて,そういう印象を持ちました。

というわけで,繰り返しになりますが,もう一度しっかりと読み返してみたいと思います。

参考文献として挙げられていたのが,次のような本でした。それ以外にトルストイの『アンナ・カレーニナ』も象徴的に使われていました。こういった「本と本のつながり」も面白いと思いました。

2017年8月5日土曜日

朗読会「能楽師×浪曲師による泉鏡花『天守物語』」を金沢能楽美術館で聞いてきました。安田登さん,玉川奈々福さんの迫力のある生声と映像美をしっかり味わいました。本公演も楽しみ

今年は,金沢出身の文豪・泉鏡花の代表作『天守物語』が書かれて100年目です。それを記念して,10月8日と9日に金沢21世紀美術館のシアター21で『天守物語』が上演されます。その演出を担当する,能楽師・安田登さんと浪曲師・玉川奈々福さんによる朗読会が,その関連企画として金沢能楽美術館で行われたので聞いてきました。
数年前,オペラ版の『天守物語』を観て以来,この作品の妖しさと激しさが合体したような世界が好きになり,10月の公演も観に行こうと思っています。とはいえ,『天守物語』は(鏡花作品はみんなそうですが),やはり言葉が難しいので,今回の朗読会は,予習のつもりで聞きにいきました。

今回は朗読会ということでしたが,通常の朗読とは違い,金沢出身の映像作家・モリ川ヒロトーさんによるプロジェクションマッピングのような映像が全編にわたり背景に投影され,要所で音楽も入っていました。そして,安田さんと玉川さんが2人で分担する形で朗読を行いました。

鏡花のオリジナルの脚本を全部読んだわけではなく,一部カットしていましたが,お2人の素晴らしい声による朗読で,『天守物語』の世界が生き生きと伝わってきました。言葉はよく分からなくても,声を聞いているのが気持ちよく感じる部分もありました。

安田さんの話によると,能楽の基本構成である「序・破・急」を,この作品に当てはめるのに苦心をしたとのことです。『天守物語』については,「序・破・急」の構成は当てはめにくいので,前編(化け物編)と後編(恋愛編)に分け,それぞれに「序・破・急」を当てはめる演出にしたとのことです。今回の朗読もそのことを反映しており,前編は主役・富姫を安田さんが能の発声で担当,後編は玉川さんが担当ということで,様式的には,2つの作品の朗読を聞いたようなイメージとなっていました。その点がまず面白いと思いました。

安田さんの声は,間近で聞くと腹に響くような迫力があり,ピリッと空気が締まるようでした。玉川さんの方は,浪曲師ということで,色々なキャラクターを声色で描き分けていました。声優のような感じだなぁと思いました。玉川さんの声も大変クリアで聞きやすく,後編の富姫からは,気風の良さのようなものを感じました。

前編の化け物編の方は,やはり朗読だけだと分かりにくい面はあったのですが,この辺は本番でどう表現されるのか期待したいと思います。ちなみに,安田さんのお話によると,色々なパフォーマンスを合体した「何でもあり」の妖怪の世界になるようです。

本日は,『天守物語』の朗読に先立ち,夏目漱石の『夢十夜』の中の第3夜の朗読も行われました。漱石は能の勉強をしており,後期の作品を解釈するには謡の知識が不可欠とのことでした。今回は,朗読というよりは,安田さん自身,本物の能のように立ち上がって演技をしながら語っていましたので,漱石原作による能を観るようでした。玉川さんは三味線で伴奏をしていましたが,これも大変味わい深いものでした。

『夢十夜』の第3夜は,目の見えない6歳の息子を背負っているうちに重~くなってきて...という展開で,夏の夜に相応しい怪談的な要素もありました。パフォーマンスの完成度としては,こちらの方が上だと思いした。

『天守物語』の方は,オペラをピアノ伴奏による演奏会形式で聞くといったイメージがありました。その分,セリフに集中できたのは,とても良かったと思いました。そして,前述のとおり,お2人の声の魅力が素晴らしいと思いました。今回の鑑賞については,能楽美術館の入館料(300円)だけで済んでしまったのですが,大変密度の高い時間を過ごすことができました。10月の本公演にも期待したいと思います。
3階の研修室で行われました。初めて入る部屋でした。


今回,久しぶりに能楽美術館に入りました。波津彬子さんによる本公演のポスターも大々的に飾られていました。これは目立ちますね。
美術館の展示の方は「水辺の能楽:水紋の美」というテーマでした。能の衣装のデザインは,「何か」を象徴しているのですが,それを理解しておくと,より深く楽しめるのでは,と思いました。




能面の表情や動作の「型」は,現代の常生活でも使えそう?
本日は,能楽美術館以外にも,金沢21世紀美術館で始まった新しい展覧会も観て来たのですが,こちらについては別途紹介したいと思います。


夏の朝は,窓外の虫と鳥のポリフォニー+朝日で目覚め。少々寝不足気味になります。

夏の夜は,日中ほどでないにしても,暑くなるのは当たり前です。我が家の場合,激しい雨風の日以外,2階については,ほぼ窓(網戸付き)を開けて過ごしています。夜になれば,幾分,涼しい風が入ってくるので,何とか冷房なしで過ごせます。

その分,朝方になると窓外の騒々しさが気になります。どちらが先か分からないのですが,鳥の啼き声がボリュームアップし,窓の外が明るくなってきます。以前はそうでもなかったのですが,この鳥の啼き声と明るさに結構敏感に反応してしまい,5時頃に目が覚めてしまいます。

8月4日のNHK「らららクラシック」では,ベートーヴェンの「田園」交響曲を取り上げていました。その第1楽章は,田園をイメージさせる細かいモチーフの積み重ねでできている,と宮川彬良さんが説明されていましたが,それと同じような状況になっているのです。通奏低音的に虫がボソボソボソと一定の調子で啼く上に,色々な鳥が丁度フルートやオーボエが演奏するような感じで,高音で合いの手を入れます。

一言で言うと,のどかな場所に住んでいるということなのですが,これに付き合っていると,寝不足になってしまいます。アイマスクをして,耳栓をして寝ようかなとも思っているのですが,そうなると目覚ましの音(ラジオの音ですが)を聞き逃してしまいそうな恐れがあります。

というわけで,「田園」暮らしも,良いような...悪いような...感じです。そんなに郊外に住んでいるわけではないのですが,金沢の郊外の「夜から朝のサウンドスケープ」は大体こんな感じではないかと思います。