2017年2月26日日曜日

自動車の点検の待ち時間に読書。なかなか快適な環境。村上春樹『騎士団長殺し』を読み始めました。やはり「ドン・ジョバンニ」に由来?グレート・ギャツビー風の人物が気になります

本日は車の定期点検のため,某日産のお店に出かけてきました。「1時間ほどで終わりますよ」ということで,一通り説明を聞いた後は,持参した本を読むことにしました。これがなかなか良い環境でした。次のような感じです。
広めの机(商談用の机を一人で使っていたからですが),肘掛け付きの座り心地の良い椅子(ソファっぽい材質だけれども,かっちりしている),ちょうど良い照明,広々とした空間,適度な雑音,コーヒー付き...10:00前で頭が冴えていたこともあり,非常にじっくりと読書できました。

こういう部屋が我が家にも欲しいものだ,と思ったのですが...考えてみると,モノが少ないというだけで集中できるのかもしれません。

ただし,BGMの方はちょっと気になってしまいました。静かに流れていたので気にしていたのは私だけだったと思うのですが,クラシック音楽が流れると,どうしても耳をすましてしまいます。

今日流れていたのは,ショパンの曲をオーケストレーションした「レ・シルフィード」,ドリーブのバレエ音楽「コッペリア」のワルツ...ということで,「バレエ音楽の中のワルツ集だな」などと選曲の傾向などを考えてしまいます。というわけで,BGMの音楽がなければ,最高でした。

ちなみに読んでいたのは,村上春樹の新作『騎士団長殺し』の第1巻です。図書カードを3000円分ぐらいもらったので,パーッと買ってしまいました。内容の方は,まだ書けませんが...期待どおり(というかいつもどおり)の村上春樹さんの小説のフォーマットの上に,グレート・ギャツビー風の人物が出てきて...という辺りまで読みました。タイトルは,やはりモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の登場人物に由来しているようです。

平日はなかなか読めないのですが,しばらくはこの小説で楽しめそうです。それと,やはりハードカバーの小説を読むというのは良いものです。気持ちの良い紙の質感を感じながら,活字だけを追うというのは,最高の娯楽だと感じます。
この方は最近いろいろな場所で
見かけます。握手してきました。

2017年2月25日土曜日

恩田陸の直木賞受賞作『蜜蜂と遠雷』を読んでみました。ピアノコンクールにリアルに参加している気分になれる,音楽への愛に溢れた小説でした。

第156回直木賞受賞作,恩田陸著『蜜蜂と遠雷』を先週から読み始め,昨日,読み終えました。もともとクラシック音楽を扱った小説などを読むのが好きなのですが,その中でも傑作なのではないかと思いました。
http://hon.bunshun.jp/articles/-/5522

この作品では,芳ヶ江国際ピアノコンクールという架空のコンクールのエントリーから本選までをじっくりと描いています。コンクールには,出場者(コンテスタント),審査員だけではなく,コンテスタントの師匠や友人,マスコミ,ホールのステージマネージャー,そして聴衆など沢山の人物が関係しています。その全体を絶妙の濃淡を付けて描き切っているところが凄いところです。主役となるコンテスタントたちを浮かび上がらせながら,作品全体として,実にリアルな雰囲気が伝わってきました。

ピアノコンクールを描いた本としては,中村紘子さんの『チャイコフスキーコンクール』が有名ですが,全体の感触も似ていると思いました。この作品に出てくる,芳ヶ江国際ピアノコンクールは,浜松国際ピアノコンクールをモデルにしているようですが,恩田さんは相当しっかりと取材をされたのではないかと思います。

主要なコンテスタントは,風間塵,栄伝亜夜,マサル・カルロス・レヴィ・アナトール,高島明石の4人です。彼らがどういう成績になるかは,読んでからのお楽しみです。それぞれに魅力的なキャラクター設定となっており,全員応援したくなります。

王道を行くピアニスト,マサル。かつての天才少女ピアニスト,亜矢。音大出身だけれども今は楽器店勤務の高島。そして,小説のタイトルに関連する風間塵。塵は養蜂家の息子でピアノを持っていないのに伝説のピアニストからの推薦状を持ってコンテストにいきなり参加します。
この4人の演奏曲目がリストアップされています。実際に聞いてみたくなりますね。
この「蜜蜂」という言葉については,恐らく,何かと何かを結びつける媒体のアナロジーとして使っているのではないかと感じました。音楽の作り方や音感について「天賦の才(ギフトという言葉もよく出てきていましたが)」を持った塵が,コンクールに参加することで,審査員,聴衆,そしてコンテスタントたちに大きな影響を与えていきます。

マサルと亜矢は,「実は幼なじみだった...」ということが判明し,もともとつながりは在ったのですが,コンクールの中でお互いの演奏を聞き合う中で,それぞれがそれぞれの演奏からインスパイアされ,どんどん演奏が変わって行きます。この若い演奏家たちは,普段はどこにでもいそうな若者なのですが,ステージに上がり,ピアノを演奏し始めると,生き生きと,神がかってきます。この辺が,いかにもフィクションらしいところであり,読んでいてワクワクする部分です。

音楽を文章で描くことは,実のところ不可能なのですが,恩田さんの文章からは,それをしっかり描写しようとする気迫のようなものが伝わってきます。音を聞いているわけではないのに,彼らの音楽の持つ美しさ,熱さ,鮮やかさなどがリアルに感じられます。音楽自体を細部にいたるまで表現するのが上手い作家に村上春樹さんもいますが,恩田さんもそれに劣らない描写力があると思いました。

全体で約500ページ。しかも2段組になっているので,かなりの文章量の作品ですが,音楽ライターのようなことをしている私にとっては,「音楽を文章で描こうとすると,これくらい掛かりますよね」と共感してしまいました。私自身,音楽を聞いた後,感じたことをまとめているうちに,あることないこと(?)どんどんイマジネーションが広がり,ついつい文学的な意味合いなどを付け加えていってしまいます。それと,良い音楽の場合,単純に一言で「よかった」で済ますには「惜しい」と思わせるところがあります。相反することが同居していることが良い音楽の条件のような気もします。そんなこんなでどうしても,長い描写になってしまいます。

そういう私としては,この小説中の音楽を描いた部分の描写については,長く感じなかったのですが,音楽に関心のない人が読んだ場合,もしかしたら「長すぎる」と感じるかもしれません。この本は本屋大賞ノミネート作ということで,「本屋さんが売りたい本」でもあるのですが,やはり,特にピアノ音楽に関心のある人が読むとしっかり楽しめると思います。

ピアニストというのは,実際のところ,コンクールで優勝したとしてもプロとして活躍するのはとても大変な職業だと思いますが,こういう作品を読むと,ピアノという楽器だけを使って,自分の世界観を表現していくことの凄さを感じ,尊敬をしてしまいます。

この作品は「音楽」がテーマですが,もう一つの隠れたテーマは「自然」です。「音楽は自然から生まれたものだが,今度は自然に音楽を返したい」といった言葉が最後の方に出てきました。風間塵は,音楽と自然その媒介者であり,実際に演奏することにより,そのことを実現していたことになります。電気機器を使わず,叩いたり,こすったり,吹いたりすることで音を出すクラシック音楽の楽器自体,自然の一部とも言えます。自然から出た音を自然に返す,というのは,ちょっと漠然としているけれども,とても良い表現だなと感じました。

途中「音楽というその場限りで儚い一過性のものを通して,我々は永遠に触れていると思わずにはいられない」といった文章が出てきました。コンサートで生演奏を聞きながら,私も時々そういうことを思ったりします。人間を取り巻く「自然」は,永遠に続くものであり,音楽を通じて,それに触れているともいえるのかもしれません。

というわけで,読んだ後,この感想文を書いているうちに,いろいろと音楽を聞いてみたくなりました。音楽への愛に溢れた小説だと思いました。

本のジャケットを外してみると...ピアノのような光沢のある黒い表紙。この辺にもこだわりを感じました。
ちなみに見返しの方は光沢のある白。こちらもピアノのイメージですね。

2017年2月18日土曜日

この1週間の疲れを癒しに石川県立美術館へ。ゆったりと常設展を鑑賞。自分のコレクションのように楽しめるのが良いですね。その後,21美へ。気持ち良い快晴でした。

本日の午前中は,この1週間の気分転換も兼ねて,石川県立美術館の常設展を観てきました。どうもこのところ,仕事関係でストレスのたまることが多く,休日でも仕事のことが頭から離れません(2月になってから演奏会に行っていないこともありますね)。そういう時には,美術館に行くのが良いと思っています。

本日の午前中は,予想に反して快晴だったので,まずこれだけで気分転換になりました。
県立美術館から歴史博物館方面を見たところ
現在,石川県立美術館では大きな展覧会は行っておらず,常設展示の方だけを観てきました。ちょうど2月16日に入れ替えになった新展示です。常設といっても,2カ月に一度ぐらいは展示内容を変えていますので,ちょうどオーケストラの定期演奏会を聞きに行くような感じで,時々ふらふらと出かけて観に行っています。実は,県立美術館の友の会にも入っているので,常設展示の方は会員証を見せるだけで,何回でも出入りできます。21世紀美術館ほど,お客さんが多くないこともあり,展示室を独占しているような感じになり,お宝を自分で所蔵しているような感覚になれるのが良いところです。

さて現在の展示ですが,前田育徳会尊経閣文庫展示室では「天神信仰と文房具」,その他の展示室では「石川の工芸:女性作家のきらめき」「九谷の美」「近代現代絵画優品展」「人体彫刻考える2:奏でる」といった色々な展示を行っていました。
優品展では,冬から春に移行しつつある今の季節に相応しい絵画が展示されていました。各作品の色合いには,どこか共通する優しい暖かさがあるのが特徴で,じっと見入ることで,ストレスの解消になりました。今回は,タイトルを読む前に絵を観て,どういうタイトルだろう,いつの時代の作品だろうと考えながら観たのですが,そうやって観ると,作品と対話するような感じになり,飽きずに観ることができました。

必然的に具体的な風景を描いた作品が多かったのですが,その中では,森本仁平「早春の岸辺」という作品の透き通った静謐感が特に気に入りました。次のような作品です。
http://www.ishibi.pref.ishikawa.jp/about/old/siryo/11exhibi/06/list_3room.html

尊経閣文庫の「天神特集」も面白かったですね。加賀藩3代藩主利常以降,「前田家の祖先は菅原道真」ということになっており,加賀藩では伝統的に天神画像を収集していたようです。掛け軸に描かれている絵には,「怒った表情の道真,梅が描かれている,杓を持っている,丸めた縄の上に座っている」といったパターンと中国風の作風のものとの2種類とがありました。理不尽な理由で太宰府に流されたこと怒りや不憫さなどを表現しているようですが,不機嫌そうな表情の絵ばかりある,というのもなかなか面白いものです。

人体彫刻については,「奏でる」をテーマに,楽器を持った彫刻ばかりを集めていたのが面白かったですね。会場の入口に展示の趣旨として,「彫刻というのは「重み」を表現するものだが,音楽には形はなく,人間の中に直接入って行く。芸術は音楽のようなものを求めている」といったことが書かれていました。この言葉はとても面白いと思いました。その分,音楽は跡形もなく消え去ってしまうのですが,軽やかな浮遊感が音楽という芸術の大きな魅力の一つだと思います。そして,楽器を持った彫刻群ですが,ただ楽器を持っているというだけで,どこか浮遊感が出てくると思いました。彫刻と音楽の対比というのはとても面白いと感じました。

といった感じで,じっくりと楽しんできました。

その後,天気が良かったので,金沢21世紀美術館まで行ってみました。いつも混んでいる印象のある21美ですが,土曜日でも午前中ならば,駐車場にも大体余裕がありますね。

ただし,県立美術館の方で結構歩き疲れたこともあり,ちらの方は館内各所を通り抜けるだけにしておきました。実際,美術館めぐりは,ウォーキングと同様な運動になると思います。
この新オブジェもすっかりおなじみになりました。晴れると風景画はっきり写って特に面白いですね

入口付近は相変わらず盛況でした

「雲を測る男」も大変気持ち良さそうでした。

2017年2月3日金曜日

本日は節分。いつの間にか恵方巻を食べる日になりましたね。帰宅すると,いろんな季節の食べ物が待っていました。これはこれでなかなか楽しい日です。

明日2月4日は立春,そして,本日2月3日は節分です。豆まきをする日なのですが...近年は恵方巻という太巻寿司を食べる日ということになっているようです。家に戻ると,色々な節分便乗商品が並んでいました。

まずは恵方巻...と家族は言っていましたが,ただの切れ目の入っていない鉄火の太巻のようでした。恵方巻の定義というのは一体どういうものでしょうか?

続いて豆まき用の豆...鬼の面付きの落花生でした。鬼の金棒風のパッケージに入っていました。

しかし,誰か蒔くのかな,と思っているうちに,ざっと別の箱に移して(ぴったりの量でした),皆次々に食べ始めてしまいました。

最後に子どもが買ってきた,恵方巻風ロールケーキ。メープルハウスの商品です。外観は次のような感じ。

箱を開けて,写真に撮影してみると,一瞬,太巻に見えそうです。

7種類の「具(?)」が入っているとのことでした。それほど甘くはなく上品な味じでした。やはり,外側が海苔っぽく見えるのが面白いですね。コーヒーと一緒に美味しくいただきました。

さて,明日からは暦の上では春。毎年,1月は長く感じるのですが(私だけ異常?),2月になったとたん,急に速く日が過ぎ去る気がします。気を引き締めていきたいと思います。

2017年2月1日水曜日

映画「シーモアさんと,大人のための人生入門」をシネモンドで鑑賞。ピアノ音楽の素晴らしさとシーモア・バーンスタインのメンターとしての素晴らしさをゆったりと実感できました

数日前,仕事が終わった後,シネモンドで「シーモアさんと,大人のための人生入門」という映画を観てきました。きっかけは,映画館の割引券を持っていたことです。作品としては何でも良かったのですが,自己啓発書っぽいタイトルとピアニストが主役であることに引かれ,ご利益があるかもと思って,この作品を観ることにしました。
シネモンドの入口です。「シーモアさん」の一つ前に,大ヒット作「世界の片隅で」を上映していました。
観た感想は,「邦題には偽りがあるかな」というものと,「ピアノ音楽は素晴らしい」というものでした。

この作品は,アメリカのピアノ教師,シーモア・バーンスタインのピアノレッスンの様子を次々と撮影した,イーサン・ホーク監督によるドキュメンタリー映画です。考えてみると,非常なシンプルな構成なのですが,そこで語られるシーモアさんの含蓄のある言葉と穏やかな語り口,そして,そこで演奏されるピアノ独奏曲の数々。それらが一体となって,一種,癒しにも似た時間が続きました。

シーモアさんのプロフィールは次のとおりです。ここに書かれているとおり,演奏者としてのキャリアは50歳で止め,その後はピアノ指導者としての道を歩みます。
http://www.uplink.co.jp/seymour/aboutseymour.php

現在89歳という年齢を見て驚いたのですが,テクニックは衰えておらず,穏やかな表情,穏やかな語り口にぴったりの,音を聞かせてくれました。そこで使われている言葉については,いちいちメモしたくなるほどでした。かなりゆっくりと明確に話していましたので,英会話の勉強にもなると思いました。とても聞きやすい英語でした。

覚えているのは,「宗教は外に解決を求めようとするが,実は自分の中に既に解決はある」といった言葉です(不正確かもしれません)。「日めくりシーモア」という感じで,シーモアさんの言葉を集めた日めくりカレンダーでも作っていただければ,部屋に飾ってみたいものです。

レッスンで使われているピアノ曲も素晴らしい曲ばかりでした。ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ,モーツァルトの幻想曲K.475,シューベルトの即興曲op.90-4,シューマンの幻想曲op.17-3...考えてみると,各作曲家の晩年の作品が多かった気がします。すべての音に意味があるような,一種神秘的な雰囲気がありました。「音楽と宇宙の秩序が一致するという考えはギリシャ時代からの伝統」といったことが語られていましたが,シーモアさんの言葉と一緒に聞くと,すべて音符がこれしかない,という配列になっていると感じます。

このところ仕事で,精神的に疲れることが続いています。この映画を観ているときは癒しの時間だったと感じました。シーモアさんについては,ピアノ教師というだけではなく,人生の師,メンターといった風格を感じました。

ただし,日本語タイトルは,やや意訳し過ぎの気がしました。原題は,"Seymour: an introduction"というシンプルなものです。シーモアさんの仕事は,人生相談ではなく,あくまでもピアノレッスンだったので,このタイトルを見て,自己啓発書のような具体的な内容を期待したとしたら,期待外れだったかもしれません。

この作品を観た後は,この作品で取り上げられたピアノ曲をじっくりと聞いてみたくなりました。特に映画の最後の方で,「この曲はあらゆるピアノ曲の中でも最高峰だ」とシーモアさんが語っていた,シューマンの幻想曲op.17の3曲目は実演でも聞いてみたいものだと思いました。

映画が終わった後の東急スクエア