2016年12月29日木曜日

午前中,粗大ゴミを戸室新保埋立場で廃棄。たまたまBGMで聞いていたチャイコフスキーの「悲愴」となぜか気分が一致。お試しください。

本日から年末年始の休みです。まずは家の掃除です。今年は趣き(?)を変え,まずは粗大ゴミを積極的に処分することにしました。

夏頃から,物置や家の外に通常のゴミ回収では引き取ってもらえないような大型の粗大ゴミやスキー,スキー靴,何だかよく分からないものが溜っていたのですが,それらを車に乗せて,戸室新保の埋立場で捨ててきました。料金設定は500kgまでは1400円で,引き取りに来てもらうことを考えれば,やや割安なのではなかいと思います。

車の後部座席をたたんで,詰めるだけ粗大ゴミを詰め込み,スタート。金沢大学角間キャンパスの横の県道を通り,次第に山奥に入って行きます。車の中で聞いていた音楽は,先日,生演奏を聞いたばかりのチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のCD。カラヤン指揮ベルリン・フィルによる1970年代前半の演奏(EMIの方の録音)でした。

第1楽章から聞いていたのですが,妙に雰囲気にマッチしていました。昨日降った雪がかすかに残る物哀しい雰囲気。車通りが少なく,結構不親切な道案内。将来埋立場を予定している空き地が寒々しく広がり,その中を通り抜けていくうちに,埋立場の料金所が見えてきました。

書類を記入しゲートを通る時点で金額が分かったのですが,もしかしたらゲート付近が秤になっていたのかもしれません。予定通り500kg以内1400円でした。ただし,電化製品については色々条件があるようで,私が持ち込もうとしたものはNGでした。

ゲートを潜り,いよいよ廃棄場へ。係の人が数名,手招きする方にバックで車を付け,持ってきたものを次々と捨てていきます。文字通りゴミを埋め立てた上に立っているということで,SF映画などに出てきそうな超現実的な雰囲気がありました。昨晩,キャリー・フィッシャー追悼として,たまたま「スター・ウォーズ(第1作,エピソード4)」をビデオで観たのですが,その前半あたり(中古ロボットなどを回収していました)に出てきそうな雰囲気でした。

というわけで,「悲愴」第1楽章的な気分で,廃棄を終え,車に乗り込み,料金所へ。後払いになっていました。この料金所はセルフのドライブスルーのような感じでしたが...あまりにも各種投入口+出力口が多く,思わず笑ってしまいました。「車から降りてお支払いください」と書かれていたのですが,結構幅広く広がっていたので,確かにそのとおりと思いました。記念撮影したのが次の写真です。
ここに映っている投入口以外に,最初ゲートで受付をした時にもらったカード入れる口や小銭を入れるための口も別にありました。一瞬どこに入れるのか迷うほどでした。この投入口のレイアウトにはどういう規則性があるのだろうか,と色々と考えながら支払いを済ませました。

帰り道の頃には,「悲愴」の第2楽章になっていました。この音楽もまた絶妙でした。ゴミを捨て終わった解放感がメインだったのですが,「ゴミを増やしてしまったなぁ」「もっとエコな暮らしをしないといけないなぁ」というちょっと後ろめたい気持ちが加わり,単純に快適に流れるようなワルツにならない5拍子のムードにぴったりでした。

「悲愴」の第3楽章以降が使えるかどうかは分かりませんが,「大掃除用BGM」には良いかもしれません(鼻歌で歌えそうだし)。気持ちが吹っ切れてしまい,シンバル,大太鼓に合わせて粗大ゴミを投げ捨てるというのもありかもしれません。

ちなみに...帰りは道にも少し迷ってしまいました。夜だと結構怖い場所だと思います。これは第4楽章のムードでしょうか。

というわけで,関心のある方は,いろいろお試しください。

2016年12月24日土曜日

石川県立美術館で行われている東京国立近代美術工芸館名品展:近代工芸案内を観てきました。作品は既に本多の森になじんでいる感じでした。

金沢市への移転が決まった東京国立近代美術工芸館(全部ではないのですが)の名品を集めた「東京国立近代美術工芸館名品展:近代工芸案内」という展覧会が石川県立美術館で行わているので,観てきました。

作品数は46点で,一つの展示室だけだったのですが,これぐらいの方が1つずつじっくりと見ることができて良いですね。もともと石川県立美術館には,石川県関係者の工芸作品を多数所蔵し,展示していることもあり,まったく違和感なく,既に本多の森の空気にしっかりとなじんでいました。

そもそも工芸の人間国宝には石川県出身者が多く,今回の展示にも松田権六,氷見晃堂,大場松魚,徳田八十吉...といった石川県立美術館で所蔵しているような作家の作品が並んでいました。また,「近代美術工芸」ということで,意外に金沢21世紀美術館の展示に通じると思いました。21美でも,結構,工芸作品の展示を行っているので(現在も「工芸とデザインの境目」という面白い切り口の展覧会を行っていますね),将来的に,県立美術館,21美と国立美術館のコラボ企画というのも考えられるかもしれません。

工芸作品については,どれが良いのか悪いのか,よく分からないところもあるのですが,最近,見るのが好きになってきました。それぞれの作品ごとに安定した世界があり,それぞれに違った質感とデザインを持っているのが面白いですね。基本的に抽象的なデザインが多く,古い作品でも古さを感じないことがあります。

作品の質感としては,カチッとした剛性感のあるものが好きです。この質感は,やはり実際に3次元のモノを見てみないとしっかり感じられないものだと思います。名品と呼ばれるものは,大体無駄が無く,リアルさがあると思います。あまり作品数が多いと疲れてしまうので,今回ぐらいの作品数が丁度良いですね。

国立美術館とはいえ,金沢市に立地するということで,こういう美術館を支えていくには,工芸作品についての理解であるとか教養のようなものが,今以上に必要になってくると思います。逆に考えると,Web上であるとかモニター上でのアートが多い現代であるからこそ,3次元のモノがアピールする部分もあると思います。

いずれにしても,本多の森に新しい美術館が加わることは,大変楽しみなことです。

本日はクリスマス・イブということで,近所にオープンしたパブロのトロトロのチーズ・ケーキを食べました

12月になって近所にオープンした,パブロという有名なチーズケーキ店(らしいのですが)に「長い列が出来ていた」という理由で,家族がチーズケーキを買ってきました。次のような店です。
http://www.pablo3.com/

昨日のケーキで今年のケーキは打ち止めと思っていたのですが,どうも「長い列」とか「評判」には弱いようです。

焼き立てであることが売り物のようで,買ってきた時は暖かい状態でした。チーズケーキのムースの部分がトロトロで,シュークリームを食べているような感じがしました。
こんな箱に入っていました。
恐ろしくヤンチャな切り方。満腹しました。
というわけで美味しかったのですが...実は,私の場合,トロトロであっても,堅かったとしても,構いません。よく「張り合いがないねぇ」と言われるのですが,ある一定水準以上の美味しいものについては,特に何でも良く,味は「甘い」「やや甘い」,パイ生地は「堅い」「柔らかい」といった感じで,パラメータごとに客観的に判断しようとしてしまいます。しかし,そこまで細かく判断できるわけでもなく,結局,何でも良いということになってしまいます。「これを言ってはおしまい」なのですが,「空腹時に食べるかどうか」と「価格」の方が常に重要だと思っています。

というわけで,「このケーキはこれでないとダメ」という感覚がどうもよく分かりません。どんなに好きだとしても,同じものを食べ続けるよりも,毎回違うものを食べて比較することの方が面白いなぁと思います。

多くの人の場合,「話題の店のケーキを食べました。そして,やはりおいしかった」という,評判とその確認になっているのだと思います。そして,その方が正しいのかもしれませんね。

2016年12月14日水曜日

新潮文庫の夏目漱石がお洒落なジャケットを着用中。没後100年記念で「それから」を購入。さらに西田幾多郎記念哲学館と鈴木大拙館の展示チラシでオリジナルブックカバーも付けてみました

今年は夏目漱石没後100年のメモリアルイヤーということで,NHKではスペシャル・ドラマを色々やっています。先週土曜日に放送していた「漱石悶々」も面白かったですね。漱石の夢と現実が交錯したような独白に独特の面白味がありました。ちなみに「悶々」というのは,漱石の小説の「門」に由来しているのでしょうか?

このドラマに触発されたわけではないのですが,書店の文庫本コーナーに,カラフルなジャケットを着ている漱石が「ももクロZ」のように並んでいたので,ついつい1冊購入してしまいました。購入したのは「それから」です。
実は,漱石の小説の中ではこの作品が好きです。大学は卒業したけれども,就職せずに親のすねをかじって生きている若者を主人公にした恋愛小説ということで...ろくでもない話なのですが,学生時代に読んだとき,どういうわけか波長が合ってしまいました。

新潮文庫版を既に持っているのですが,今の時代の標準からすると活字のポイントが小さく,行間も狭いので,「読むのは厳しいな」という状況でした。というわけで,購入しました。

ちなみにこのジャケットという言葉には2つの意味があります。漱石の着ている「ジャケット」と本が着ている「ジャケット」の二重の意味です(日本では本の「カバー」と呼んでいますが,英語ではジャケットと呼ぶのが普通です。Coverというと表紙の意味になります)。

この文庫本ですが,調べてみると2枚ジャケットを着ており,はがしてみると...通常のジャケットが出てきました。2枚重ねというのも「100周年記念」ならではでしょうか?
ちなみに 30年前に買ったのは次のデザインです。漱石の作品は全部このデザインでしたね。
厚さを比べると,かなり違っていました。

活字の大きさと行間を比べると次のとおりです。写真だと分かりにくいのですが,見た目も紙の色も(すっかり変色していました)結構雰囲気が違います。

文庫本に次のチラシが入っていました。

その裏には,漱石作品を読み進む「順番」を示すガイドが入っていました。確かに「吾輩は猫である」というのは,初心者向けでないと思います。「大人向け」ということで,時間があればのんびり読んでみたいものです。

以下は全く別の話になるのですが,文庫本のカバーにぴったりのチラシを発見したので,試してみました。

現在,鈴木大拙館と西田幾多郎記念哲学館で行っている展示のチラシです。次のような感じで,両館共同で「お揃い」のチラシにしたようです。全体の色づかいがシンプルなのに加え,紙の質がとても良い感じで,こだわりが感じられます。表面がザラザラ,裏面がツルツルという面白い紙でした。

というわけで,ブックカバーを作って,2冊の「それから」に掛けてみました。なかなか良い感じです。 お暇な方はお試しください。

2016年12月10日土曜日

忘年会ウィーク終了。締めは,久しぶりに柿木畠のもっきりやへ。このお店は永遠に不滅かも。

12月の恒例ではあるのですが,この1週間,忘年会が3回集中しました。職場関係2回に加え,昨日はこじんまりとしたプライベートなものが1回。職場関係の宴会は,半分仕事ということで,やはりプレイベートな会の方がリラックスできます。

場所は,1回目が某ホテルの上の階,2回目が某老舗料亭の大広間。そして昨日の3回目は某居酒屋へ。料理と過ごしやすさの点からすると,やはりホテルがいちばんでした。老舗料亭については,サービス内容と建物が古臭過ぎ,それが「昭和の味」のようでもあったのですが,「時代に取り残されてしまったなぁ」という感が無きにしもあらずでした。

昨日行った居酒屋は,「どこもいっぱい。とりあえず」という店だったこともあり,料理の方は「これが治部煮?」といったところもありましたが,まぁ,酔ってしまえばノープロブレムでした。健康診断の結果,お酒を飲み過ぎない方が良いのは明らかな状況なのですが,「毎日飲まなければ良い」ということにして,この日は日本酒3合とウィスキーの水割り2杯を飲んでしまいました。

昨日の参加者は3人のみで,大学時代の某研究室の同窓会的な意味合いもあったので,2次会では,約30年前に皆で一緒によく行っていた,柿木畠の「もっきりや」に行くことにしました。私たちが学生だった頃から,有名な店ではありましたが,ライブをやっていない時には,必ず席が空いていました。行ってみると...ライブはやっておらず,30年間と同様の感じで,やはり空いていました。

当時は,学生でありながらウィスキーのボトル(サントリー・ホワイトであることがほとんどでしたが)を研究室でキープしており,コンパがあるたびにその水割りを飲んでいました。昨日行ってみると,さすがにホワイトはなかったので,こちらもそのころよく飲んでいたフォア・ローゼスの水割りを飲みました。

かわきものでは,当時,常にポッキーを頼んでいたので,昨日もポッキーを注文。「今時のポッキーは結構細いんだ」と酔いながら感心。1人がタバコを吸っていたのですが(店内禁煙ではありませんでした),そのタバコも非常にスリムになっており,ポッキーの細さと不思議に一致してしまいました。

店に入るのは,本当に久しぶりだったのですが,全く雰囲気は変わっていませんでした。マスターはもともと有名な方ですが,アルバイトの方(だと思いますが)の雰囲気も,気のせいか,30年前とあまり変わらない気がしました(相当酔っていたのかも?)。それもうれしかったですね。

そして,隣にいたグループはどうみても,某大学の研究室単位の集まりでした。基本的にこの雰囲気は30年前の私たちと同様でした。というわけで,もっきりやは永遠に不滅なんだなぁ,ということを実感して嬉しくなりました。

歌詞に「ボブ・ディラン」が出てくる「学生街の喫茶店」という曲は,「時は流れた~」で終わります。もっきりやの壁には,昔も今も「As time goes by...」という歌詞が書かれています。さすがに30年経って,お互いに外見的には「時は流れた~」という感じになってしまいましたが,久しぶりにこの店に来て,「時の過ゆくままに」過ごしていた時間の過ぎ方は,今も昔も同じだなと思いました。