2016年8月27日土曜日

いしかわ環境フェア2016にお天気キャスターの井田寛子さん登場,その後 ウクレレパイナ2016 in 金沢,金沢オクトーバーフェスト2016。夏休み最後のイベントですね。

8月最後の土日,子どもたちの夏休みも終盤。日本テレビでは恒例の24時間テレビをやっていますが,本日は,金沢市内でもあれこれ定番の「夏の最後」のイベントをやっていました。

まず石川県産業展示館で行っていた いしかわ環境フェア2016 へ。今年はゲストとして,気象予報士の井田寛子さんが登場しました。井田さんといえば,今年の3月までNHKのニュースウォッチ9の気象情報の担当でしたが,4月からはTBSの「あさちゃん」に移動してしまいました。「朝のニュースはやはりNHK」なので,4月以降は全く井田さんをお見かけしていません。久しぶりにお会いした感じでした。

仕事から疲れて帰った後,NW9で井田さんと井上あさひさんの穏やかで落ち着いたやりとりを見るのが,いちばんの「癒し」だったので...「生で井田さんを見たい」ということで本日は出かけてきました。

今日のテーマは「2050年の天気予報」ということで,内容的には地球温暖化の影響を警告するアル・ゴアを思わせる内容でしたが,そこは井田さんらしく,とても分かりやすいものでした(ちなみに,昨晩のNHK「スーパープレゼンテーション」にアル・ゴアが出ていましたね)。データに基づいて「2050年の天気予報」を作るとこうなる,という面白い試みでしたが,このままだと「不都合な」ことになるということが伝わってきました。

その後,NHK金沢放送局の気象情報担当の池津さんも登場し,子どもたちも交えて,いろいろと環境問題について考えてもらう,という内容となっていました。
左が池津さんです。子どもたちと「竜巻」の実験中
映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンも置いてありました。
ブースを回り,クイズに答えると,粗品をもらえる,というのが恒例です。
その後,市内中心部でやっていた2つのイベントをざっと眺めてきました。

まず,しいのき迎賓館裏で行っていた ウクレレパイナ2016 in 金沢。この日は「今にも雨が降りそう」な天気で,主催者の皆さんは冷や冷やしたと思いますが,無事雨は降らず,グループでの演奏やソロでの演奏などが続いていました。

ラ・フォル・ジュルネ金沢の「吹奏楽の日」と同じ場所ですね。

結構,ハワイアンな人がウロウロしちえました。
超絶技巧の奏者も登場していました。
お隣の いしかわ四高記念公園 では金沢オクトーバーフェスト2016。これは夜の方が本格的に賑わいそうですが,昼間からかなり大勢の人が集まっていました。

ステージでは既に盛り上がっていました。

こういった看板を見ると...飲みたくなりますねぇ


こちらの方は,やはり仕事の後に一杯というのが良いかな。今年も天候があまり良くなさそうなのが気がかりですが...。

PS. 兼六園下で「リアルなマリオカート」が走っているのを見かけました。結構注目を集めていました。やや遠いので分かりにくいですが...


2016年8月21日日曜日

中島義道講演会「哲学する場所をつくる:哲学塾について」を西田幾多郎哲学館で聞いてきました。哲学してみたくなりました。

西田幾多郎記念哲学館では,毎年,夏期哲学講座という講座を行っています。今年で36回目とのことで,すっかり定着しており,2日間に渡って,哲学についての勉強をするために全国から受講生が集まってきます。その最初の講義だけが,一般公開されていましたので,聞いてきました。


講師は,カントを中心とした哲学についての専門書だけではなく,多数の一般向け著作,エッセーを多数書かれている中島義道さんでした。中島さんの著作は,数冊読んだことがあります。中島さんの著作については,恐らく,現代の日本社会で生きにくさを感じている人が読もうとするのではないかと思います。

実は私もそうです。「何で生きるのだろう」「幸福な人生とは」といったことが分からないまま,社会の中で不特定多数の人と関わりながら働くのはつらいものだ,と思ったりしています。この問いには,誰にでも当てはまる「これだ」という答えが出せないので,曖昧にしたままにならざるを得ません。正直なところ,ストレスに満ちた社会の中で働かずに生きていけないかな,と思ったりもしているのですが, そう甘いものではなく,その代わりに色々と現実逃避を行っている状況です。

中島さんの著作にも,そういったことをモチーフとしたものが多いですね。これだけ著作が多いということは,同様なストレスを持った人が多いということなのだと思います。ただし,中島さんの文章自体は読みやすいのですが,内容的には,暗く,厳しく,時に闘争的で,しつこく,さらには一般的に見るとひねくれたことを書かれていることも多いですね。

というわけで,今回は,「こういう文章を書かれている中島義道さんというのは,一体どういう方なのだろう?」「一度,お会いしてみたい」ということを第一の目的に聞きにいくことにしました。
講演会の雰囲気
その印象なのですが...哲学をすることが本当に好きな方なのだな,と感じました。中島さんは,講演の最後の方で「哲学は最も深い常識でなければならない。方法のために現に事実的なものを無視してはならない」という西田幾多郎の言葉を引用されていました。著作の過激さから予想されるほど「変わった人」というわけではなく,「深い常識」を持った方で,アカデミックな哲学(「哲学史」ということなのかもしれませんが)ではなく,「現に事実的なもの」を重視されている方だと思いました。

講演の内容は,中島さんが「こういう場所が欲しい」と思って作った「哲学をする場所=哲学塾」についての話題が中心でした。その哲学塾設立に至るまでの話は,中島さんの著書などにも書かれていた自伝的な内容になります。紆余曲折はあったのですが,東大の大森荘蔵先生にあったことが大きなターニングポイントになったようです。

「死ぬ意味が分からずに死ぬのは嫌」ということが,中島さんの人生の根底にあり,こういった哲学的な問題について,アカデミズム以外の場所で考える場所を色々と作っていきます。「哲学の道場」とか色々な実践を繰り返し,現実的な意味で色々なご苦労をされてきたようですが,そういった経験のすべてを糧として,大学の教員を辞めた後,「哲学塾カント」を始めます。

この話が大変面白いものでした。「何の役にも立たない(中島さん自身がそう言っていました)」ことのために,全国から専門家でない老若男女が集まって来て,哲学の勉強をしているのが感動的である,とのことでした。江戸時代末の松下村塾のような,私塾をイメージしているような感じでした。哲学をするには,いくらかの忍耐力があれば,東大の学生でも普通の人で対して変わりはない,と語っていたのも印象的でした。

「哲学は病的なものと近い」ということで,過去,中島さんが開いてきた塾には,道場破りが目的の人,精神的に病気の人など,色々と扱いにくい人も参加していたのですが,「お金を取る」ということによって,ある程度のフィルターを掛けることができたそうです。こういう参加者の多様性自体,哲学を勉強する上での素材にはなると思うのですが,公共的な場所を運営していく上では,やはり,非常識な人であっても最低限の普通さは必要ということは言えそうです。最後の方で,「自分は優れているから私について配慮せよ,といった匂いのある人は嫌いだ」と語っていましたが,この辺は哲学の問題は別として,そのとおりだと思いました。中島さんは,「哲学をしていることは偉いことではなく,労働に参加していないことに対してすまないと感じている」と語っていましたが,そういう意識も必要なのだと思います。

「哲学は危険なものだ」とも語っていました。言葉の使い方によって,すぐに自己弁護できてしまうからで,何についても上げ足を取られる危険があるからです。ここでも西田幾多郎の「人生問題」という言葉を引用していましたが,「実生活を見ているかどうか」が哲学においても重要になると言えます。

最後の質疑応答の際に,なぜカントを研究しているのか,という質問が出されました。その答えとして,「現代の哲学では,あれもない,これもない...という議論ばかりで論理的な正しさ,ロゴスへの信仰が失われてきているが,私はこれを信じたい。カントは,ロゴスについて最も信頼を置いてきた哲学者なのでその研究を行っている」ということを語っていました。

この話を聞いて,カントや西田の哲学について...その片鱗だけでも...学んでみたくなりました。中島さんは最後に「嫌な仕事をして,いやいや生きている人でも,何かを学んでいける場所が哲学塾」と言われていました。哲学病にかかって,真剣に哲学を勉強していれば,他の病気にはかからないとのことでしたが,これは結構,実用的な面でも心強い言葉なのではないかと感じました。

以上についての まとめ方は不正確かもしれませんが,私の感想込みということでご容赦ください。

講演会の前に西田哲学館も一回りしました。以前から比べると,少しレイアウトを変えたようで,リーフレットなども鈴木大拙館と似た感じの「大きな文字で書かれた格言」のようなものになっていました。これを見て,全部集めて束ねると「毎日修造」のような日めくりカレンダーのようにして使えるのでは?とひらめきました。というわけで,やってみました。
ちょうど良いクリップがあったので,束ねて鴨居にかけてみました
いかがでしょうか?31枚揃えて「毎日幾多郎」として「おみやげ」にして面白いかも。

参考までに,我が家にある「日めくり」です。他人からもらったものもあるのですが,結構ありました。流行なのかもしれませんね。
こちらは「毎日修造」。31枚セットです。


こちらは瀬戸内寂聴の日めくり

2016年8月19日金曜日

石川県立能楽堂で行われた紺野美沙子さんによるスペシャル朗読会へ。山本周五郎『鼓くらべ』はこの場所にぴったりでした。

兼六園周辺文化の森ミュージアムウィークのイベントの一つとして石川県立能楽堂で行われた,女優・紺野美沙子さんによるスペシャル朗読会に参加してきました。
開演は18:30,まだまだ能楽堂の外は明るかったですね。

朗読された作品は,加賀藩を舞台とした山本周五郎の『鼓くらべ』でした。この作品の内容にも関心があったのですが,何といっても「紺野さんを間近で見られる」ということをいちばんの目当てに出かけてきました。

紺野さんが水色のすっきりとした着物で舞台に登場すると,客席からは「ほー」っと言う声が聞こえてくるようでした。すらりとした長身にぴったりの着物でした。間近で見る紺野さんからは,イメージどおりの品の良さと親しみやすさが伝わってきました。
開演前の客席(最終的には満席に近くなっていました)。
このイベントですが,前半は今回の朗読の「BGM」として参加した小鼓の住駒幸英さん,笛の吉野晴夫さんと紺野さんによるトークショーでした。この内容が予想以上に面白いものでした。

紺野さんは,プライベートも含め金沢や石川県には何回も来られているそうです。紺野さんは,とてもゆったりと話してくださいましたので,リラックスして聞くことができました。お2人の邦楽器奏者とのトークでも,お2人の語った内容をしっかりと繰り返してくれたので,大変分かりやすく伝わってきました。

今回の朗読作品は,鼓の演奏がモチーフということで,住駒さんによる楽器紹介があったのですが,「鼓の皮は馬の皮でできている」「馬の皮の場所によって用途が違う」「調紐(しらべひも)の握り方で音程が変わる」「鼓は何年も打ち込まないと良い音が出ない。いつもの公演では100年ぐらい経ったものを使っている」など,「へぇ,なるほど」というお話の連続でした。

もう一つの楽器の能管については,解説していただいた吉野晴夫さんのキャラクターにもよると思うのですが,結構アバウトな楽器だという点が面白いと思いました。特に「能管の穴は等間隔になっていないので,ドレミファ...が出せない。楽器によって違う」というのが結構衝撃的でした。そのこともあって,邦楽器のお囃子は,(ひな人形の五人囃子のように)同じ楽器は1つずつとのことです。オーケストラで使われているような楽器(同一の楽器が沢山集まっている)とは全く別の次元の楽器といえます。

その他,金沢で能楽が盛んな理由(前田のお殿様のせい),明治以降も石川県では廃れなかった理由(加賀藩では職人や町人も能楽のプレーヤー(兼業していた)として活躍していた),能楽堂の舞台にある4本の柱の名称など,加賀宝生の能楽についての知識を得ることができました,

後半は朗読でしたが,「スペシャル朗読会」ということで,2人の邦楽奏者による演奏に加え,照明を使った演出もされていました。

山本周五郎の『鼓くらべ』は,教科書などにも採用されている有名な作品とのことですが,私自身,これまで読んだことはありませんでした。物語は,能楽が盛んな加賀藩で毎年正月に行われている「鼓くらべ」(鼓の技を披露し,競い合うもの)がモチーフになっています。主人公はお留伊という15歳の少女です。彼女は自分の技に自信があり,「鼓くらべ」で,相手を負かすことばかり考えているのですが,そこに不思議な老人が現れ...といったお話です。

紺野さんの朗読には大げさなところはなく,2人のベテラン邦楽器奏者の演奏と協力して,ストーリーをしっかりと伝えようとする,といった堅実さがありました。実は...この日は,朝5時頃に起床し,リオ五輪のレスリングなどを見ていたこともあり(前日夜は女子バドミントン・ダブルスも途中までみていたし...),一瞬,ウトウトしてしまいました。その辺を考えると,もう少しドラマティックに演じてもらっても良かったのかな,とも思いました。

この話の後半に「音楽はもっと美しいものでございます」といったセリフが出てきたり,「芸術は競争に相応しいのか?」という問題提起のようなこともされているので,とても面白い題材を扱っていると思いました。

山本周五郎の作品は,非常に沢山,映画化されたり舞台化されたりしていますが,この「鼓くらべ」については,鼓をピアノやヴァイオリンに置き換えると,現代のドラマにリメイクできるかも,と勝手に想像してしまいました。

というわけで,一度,オリジナルのテキストの方もじっくりと読んでみたい作品です。
終了後,あたりはすっかり暗くなっていました。

ミュージアムウィーク全体のリーフレットです。


2016年8月15日月曜日

夏休み,家族で能登一周旅行(パート2)ゴジラ岩・仁江海岸・すず塩田村・窓岩・白米の千枚田・朝市・まれロケ地・総持寺祖院・琴ケ浜・増穂浦・巌門

夏休みの能登旅行。パート1の続きです。2日目の8月12日は,外浦を回りました。

まずは朝食。朝から魚やイカが出てきました。

天気予報は快晴。この予報どおり暑い日になりました。

まず,昨日に続いて禄剛崎へ。今度は家族と一緒に行きました。家族が好きなムクゲの花が咲いていたので撮影。

禄剛崎から眺める日本海。夕方とは違った爽やかな印象です。

こちらも昨日に続いて木ノ浦海岸。

ニ三味珈琲の「海の家」が丁度店を開いたところでした。
そのまま外浦を輪島方向へ。見所が要所要所にあります。まずは,「ゴジラ岩」。大した岩ではないのですが,じっくり見ると海から上がってくるゴジラ...のようにも見えます。ただし,かなり小さいゴジラでした。

仁江海岸です。海岸に降りることができました。下の看板は能登の方言ですね。

すぐ隣りに,「道の駅すず塩田村」がありました。土産物は,塩,塩,塩...でした。
暑さと誘惑に負けて,ここで塩味のソフトクリームを食べました。仁江海岸を眺めることのできる良い場所でした。
ブラックコーヒーに塩を入れてみてください,という案内。本当にまろやかになるのでしょうか?今度試してみたいと思います。

隣りには揚浜塩田と塩の資料館。有料だったこともあり,今回は外から眺めるだけにしておきました。

曽々木海岸の窓岩。岩の中に1か所窓が開いています。この場所ですが,今から40年ほど前に一度来ています。それ以来のことです。そのままの雰囲気で残っており嬉しかったですね。
能登観光の象徴の白米の千枚田。この日は大変沢山の観光客が来ており,駐車場に入るのに少し時間がかかりました。背景の海の青さと千枚田の緑の対比が鮮やかでした。
輪島市内にようやく到着。ギリギリ朝市に間に合いました。
実は,私の母親の出身地が輪島です。取りあえずアワビに注目していたのですが...ちょっと手の出ない価格でした。

朝市の真ん中あたりに場違いな感じであったのが,稲中の美術館跡。バブル時代の遺跡のような感じですが,ちょっと剥げ落ちている部分もあり,それなりに風格がありました。
こちらは重蔵神社。熱心に呼び込みをしていました。
朝市を通り抜けたところにあったのが輪島ドラマ記念館。
そのすぐ傍に,「まれ」のロケにも使われた いろは橋。
記念館の中には,ドラマのタイトルにも出てきていた,おなじみのケーキ。

再度,朝市へ。えがらまんじゅうは,ちょっと食べてみたかったのですが...売り切れでした。
母親が「せっかく来たので”ゆべし”が食べたい」という言うので,結構高いものでしたが,丸ゆべしを購入。一切れずつ味わって食べようと思います。
朝市もいよいよ店じまいです。
アンサンブル金沢のメンバーも演奏したことのある,漆のヴァイオリンが飾ってありました。
朝市の入口付近には,水森かおりのご当地演歌「輪島朝市」の碑がありました。ボタンを押すと...オルゴールのような音が流れてきました。

その後は,「まれ」のロケが行われた西保海岸へ。観光マップにも載っていたので,もっと気軽に行けるかと思ったのですが,非常に狭く曲がりくねった道の連続でした。その道を抜けて,大沢の集落が見えてきました。ドラマで見覚えのある景色ですね。
この海沿いの櫓もドラマに出てきました。
ロケ地マップがありました。
ドラマでは「そとら村役場」になっていた場所には,壁画が残っていました。

さらに足をのばし,ロケの控室になった西保公民館へ。入口にはサイン色紙が色々飾ってありました。よくよく見ると,「高畑祐太」のサインが,「お持ち帰り可」みたいな状態になっているのが印象的でしたね。
公民館の中には,撮影時に使われたものが色々と残っていました。
公民館を出て再度海岸の方へ。間垣には,「民宿おけさく」の看板がさりげなく残っていました。
大沢地区の後は,総持寺へ。この道もまた大変分かりにくいものでした。カーナビなしだと,かなり迷いましたが,何とか到着。まだ昼食を食べていなかったので,取りあえず門前そば。
そばの下にあったのはザルではなく,アテの木の葉っぱ。

続いて総持寺へ。建物の工事をあれこれ行っていました。

再度,海岸に出て,琴ケ浜へ。「まれ」のオープニングで土屋太鳳さんが踊っていた場所ですね。鳴き砂で有名...ということですが,鳴かず。その後,見知らぬおじさんが近寄ってきて,「最近は鳴る場所が減って来てねぇ」と言って,鳴き砂の場所を教えてくれました。「鳴かぬなら,鳴かせてみせよう」という感じでコツが必要な感じでした。

松本清張の「ゼロの焦点」で有名なヤセの断崖へ。
断崖まで近寄ってみましたが,写真だとよく分からないですね。船越英一郎なども突如現れそうな場所でした,
増穂海岸へ。世界一長いベンチ...とのことですが,現在も世界一かどうかは分かりません。
旅行の最後は能登金剛。観光用の遊覧船もあり,「昭和の観光地」という感じの緩さがありました。

こういう感じの景色が広がっていました。
巌門といえば,洞窟が有名です。結構近くまで行くことができました。

以上で能登半島をほぼ1週する旅行はおしまいです。こうやって一巡りしてみると,能登半島は広いと思いました。また,日本海も広く,美しいと思いました。

お土産は,珠洲で買った芋菓子と饅頭(下のとおり,”顔”につられました。自分用の土産)です。

輪島朝市で買った丸ゆべし。まだ開封していません。