2016年2月28日日曜日

鈴木大拙館で「両鏡相照(りょうきょうあいてらす)」のギャラリートークに参加。学習院大史料館学芸員の長佐古美奈子さんの解説で,学習院時代の幾多郎,大拙の展示を鑑賞

学習空間に飾ってあった2人の肖像
本日の金沢は春が来たような気候で,午後から自転車に乗って,鈴木大拙館に出かけてきました。この館は,展示物がものすごく少ないので,展示よりは「水鏡の庭」の雰囲気に浸ることが主目的になるのですが,最近は出かけていなかったので,チラシに書いてあった「ギャラリートーク」という言葉に釣られて聞きに行くことにしました。

今回の展示で初めて知ったのですが,石川県出身の西田幾多郎と鈴木大拙は,同じ年(明治42年)に学習院の教員になっています。ただし,幾多郎の方は一年限りで京都帝国大学に移っていますので,重なっているのはこの1年だけということになります。

今回の長佐古さんの解説では,まず学習院という学校についての説明があった後,明治末期,この2人が学習院でどう過ごしていたかについて,展示されている文書や写真などを参照しながら説明がありました。

当時の給料が今の金額に直すとかなりの高額であったり,大拙は毎週20コマも英語の講義をしていたとか,幾多郎の方は結構適当(?)な授業をしていたとか,しかし,1年後に幾多郎が学習院を離れる時には「一大打撃である」と書かれていたり,大拙が修学旅行の引率をしていたり(北京に修学旅行というのは,さすが学習院?)...解説を聞きながら展示を見ると大変楽しめました。

この2人が学習院で勤務することになったのは,金沢の第四高等学校の校長だった北条時敬とのつながりがあったようです。こういった人間関係を解き明かすのも面白そうです。

その後,「水鏡の庭」へ。いつ行っても静かで,時々,チャポンと水紋が広がります。晴れた日だと本当に気持ちの良い場所です。

この鈴木大拙館は「解説をしない」ことをモットーにしているのですが,今回のようなトークイベントがあれば,また出かけてみたいと思います。

その後,旧第四高等学校校舎=石川四高記念文化交流館へ。長佐古さんのお話では,学習院の校舎も四高の校舎も,学校建築の父と呼ばれた同じ久留正道が設計したということです。



こうやって見ると「学都」としての金沢の雰囲気を醸し出している建築といえそうです。 

夕方からは車検に出していた,我が家の自家用車を某日産の店まで取りに行きました。本日からサッカーJ2も開幕しましたが,ツェーゲン金沢のメンバーのサイン入りユニフォームが飾ってありました。本日は負けてしまいまいたが,こちらの方もJ1目指してがんばって欲しいですね。




2016年2月27日土曜日

作家・和田竜 講演会「歴史小説を紡ぎ出す」(石川県立図書館)を聞いてきました。人気歴史作家の小説作法はとても興味深いものでした。

毎年,石川県立図書館で行われている真柄教育振興財団による講演会があったので参加してきました。毎回,有名作家のお話を無料で聞けるということで,スケジュールが合えば聞きに行っています。今年は作家・和田竜(りょう)さんの講演会でした。

私自身,和田さんの小説を読んだことはないのですが,最新作の『村上海賊の娘』が2014年の本屋大賞(本屋さんが選ぶ,いちばん売りたい本)1位に選ばれるなど,今注目の歴史小説作家です。

例年は,文字通りの「講演会」で作家が一人でしゃべるスタイルでしたが今回はFMいしかわのアナウンサー,松岡理恵さんが聞き手役となっていました。松岡さんからは,事前に募集していた質問をベースに「聞いてみたいな」と思わせる質問をバランスよく尋ねていただいたので,大変スムーズにトークを楽しむことができました。

今回をメモを取りながら聞いていたので,概要を紹介しましょう。以下の見出しは,ほぼ松岡さんの質問に対応しているのですが,私が勝手に付けたものです。

# その他,支障がありましたら修正・削除等を行いますので,お知らせください。

■石川県について

  • 和田さんが金沢に来るのは今回が初めて。金沢の後,七尾城にも行ってみたい。
  • 金沢の原点である,金沢御堂に関心がある。実際に歴史的な事件が起きた場所に行ってみるのが好きで,実際の城を見るよりは,「ここに城があったんだなぁ」という,想像する方が好きである。
■読書について
  • 小さい頃はほとんど本は読んでいなかった。母親から強制されたこともあったが,ますます苦痛になった。親は子どもが自分で本を手に取るまで我慢すべきでは。
  • 大学生になって,司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んでからその魅力にはまった。
  • その後,龍馬が生まれた土佐や亡くなった京都などに出かけた。アイドルを追っかけて,実家まで行く(?)のと同じように,本を読むたびにその舞台となった場所に一人旅をしていた。
  • ちなみに和田さんのお名前の「竜」も,「竜馬がゆく」にちなんだもの(1968年のNHK大河ドラマ「竜馬がゆく」のブームの影響を受けたもの。)。そのこともあり,竜馬のイメージはずっと持っていた。
  • 司馬遼太郎の描いた竜馬は,スーパーマンのように描かれている。自分では意図していないのに,他人から好かれるようなところがあり,若者が読むと希望を与えてくれるようなキャラクターになっている。
  • 自分の魅力を他人が発見してくれるかも...と思わせてくれる点で,学生時代だから感動できた面もある。
■影響を受けた3冊の本
(1)司馬遼太郎『竜馬がゆく』
  • 今述べたとおり,まずは,この本。
  • 一人一人の行動が歴史という大きな流れを紡いでいくことに気づかせてくれた。
  • (歴史小説は難しくないか?という質問に対し)特に思わなかった。司馬さん自身「外国人に向かって書いている」と言っていたとおり,難しくならない工夫をしている。和田さん自身,司馬さんと同様の意識で執筆しているとのこと。司馬さんの小説によく出てくる「余談だが...」の後に続く話題も,そういった意識の反映と思われる。
(2)山田太一のシナリオ
  • もともとシナリオライターになりたいと思っていた。山田太一のシナリオはバイブルだった。
  • 特に鶴田浩二とまだ若かった水谷豊が出演していた「男たちの旅路」が良かった。オンエアのかなり後に図書館でシナリオを読み,映像を観たが,最終的に古書店で買って読んだ。
  • 山田太一のセリフにはリアリティがあり,自然である。
  • 例えば,「ふぞろいの林檎たち」の中で,柳沢慎吾とその母親役の吉行和子が交わす「日常そのまま話していそうなセリフ」は,書けそうで書けない。ストーリー展開に関係はないが,こういうセリフがあると人物の厚みが増す。その結果,感動的なセリフがより感動的になる。
  • シナリオを書くとき,いきなり議論を書いてしまいがちであるが,重要なセリフばかり書いていると,感動的なセリフを書いても感動的にはならない。
# なるほど,そのとおり,と思いました。例えば「寅さん映画」の泣き笑いも似た感じかもしれません。

(3)海音寺潮五郎の史伝シリーズ
  • 司馬遼太郎以外にも,海音寺潮五郎や山本周五郎の歴史小説も好きである。
  • 海音寺潮五郎が書いている,史伝シリーズはフィクションを入れずに,色々と資料を調べて書いたもので,「このぐらい調べているんだ」「これだけしか調べていないんだ」という「按配」がが分かる。
  • 海音寺さんは,このシリーズについて「後世に残すために引用しても良い」と言っているがありがたいことである。
■小説家になるまでの話
  • 映画監督になりたかったが,既に,会社が監督を雇う時代ではなかったので,まずテレビ・ドラマの制作会社に入り,アシスタント・ディレクターとして働いていた。
  • この仕事は大変だった。やはり物語の根幹を考えることをやりたくて,ADを辞めて,働きながらシナリオコンクールに応募するようになった。
  • その5年目に「忍ぶの城」で城戸賞を受賞した。4年目の時に既に「戦国モノ」の脚本で良い線まで行っており,選考に残っていたので,「忍ぶの城」が受賞した時は,嬉しかったが「まあそうだよね」という実感もあった。
  • コンクールで落選していた頃は落ち込んだが,新しいアイデアが浮かぶと,それに向かって突き進む楽しみの方が上回っていた。
■「のぼうの城」について
  • プロデューサの久保田さんから,原作となる小説を書けと言われて書いたのがこの作品。
  • 時代劇を映画化するのはお金が掛かり,売れる見込みがないのに発行してくれた。さらに,書店員の地道な動きが大ヒットにつながり,映画になった。
  • 映画化に際しては,シナリオのどこをカットするかなどで,犬童一心,樋口真嗣の2人の監督とかなりやり取りがあった。
  • この2人は,映画技術についての知識がものすごく豊富である。ここまで知っていないと映画監督はできないんだなと思った。
■どうやって執筆しているか
  • 資料は大体,東京都立中央図書館か国立国会図書館で調べている。この両図書館には必要な本がすべて揃っている
  • 図書館で資料を読んだ後,必要な部分をコピーすると膨大な量になる(段ボール2,3箱)。これを精読し,付箋を貼るなどして,後で参照できるように使いやすくしている。自己流のやり方で,分からなくなることもあるが,これでやっている。
# この手順は小説のための調査以外にも応用できるかもしれませんね。
  • (学問的に,意見が分かれるような事柄についてはどうしているか?という質問に対して)面白い方(ドラマとして面白くなる方)を取るようにしている。
  • 執筆中の気分転換は「歩き回ること」
  • 編集者とのやり取りについては,大きなものでなければ,ほとんどそのまま言うことを聞いている。
■現代の出来事との関係
  • 一時期,「名ばかり店長」が話題になったことがある。忍者の世界にの上下関係にも通じるものがあり,小説に反映したことがある。
  • ただし,現代と戦国時代については,違っていることが面白いのでは。「命の重さ」や「戦う感覚」などは,現代とは全然違う。現代では重いことでも視点を変えると,大したことでなくなる場合がある。この「視点を変える」ことを重視している。
  • 現代は「物語よりも現実の事件の方が面白い」と言われることある。現実に負けないように書くということもあるかもしれないが,歴史小説についてはちょっと違うのかも。
  • 和田さん自身は,「爽快感をもって,翌日をがんばって生きていけるような活力を与えられるように」ということを意識しているとのこと。
■お酒を飲みながら執筆
  • 和田さんは,常にビール(350ml)×2本+日本酒2合を飲みながら,原稿用紙5枚ぐらいのペースで執筆しているとのこと(年取ったらできなくなるシステム)
  • こうなったきっかけは,大学生の時,飲みながらシナリオの構想を考えたところ,面白いものになったことによる。酒に酔うと,ノリのある文章になる。セリフは反射であり,ノリが重要である。
  • ただし,その前提としてセリフだけのシナリオを作ったり,全体のコンストラクション(伏線などの計算)はまず作っておく必要がある。これについては緻密な作業になるので,シラフでやっている。
# この執筆方法は大変面白いですね。この影響を受けて,私自身,今,日本酒(1合)を飲みながら執筆しています。やってみての感想ですが...確かに構想がしっかり出来ていれば,良い感じで書けそうです。

■『村上海賊の娘』について
  • 執筆に4年間かかった。これまでは既にシナリオなどのベースがあったものを小説化していたが,この作品についてはそのベースがなかったので時間がかかった。
  • 基本的な調査,コンストラクション,シナリオ作成,2年間連載があり,その後,修正を行ったので,3年間ぐらいずっと同じことをやっていた感じ。リズムを持って規則的に書いていた(ただし,昼夜逆転だったが)。
ここで,この作品の主役の京姫のキャラクターを説明する文章を松岡さんが朗読
  • 主役の京姫のキャラクターは,時代劇としては異例(バタ臭い感じの容貌で性格も悪い)
  • 和田さん自身の好みの女性としたとのこと(つまり,「露悪的だが自分の欲望をきちんと表に出せる人物」)
■キャラクターづくりについて
  • キャラクター作りはセンスである。
  • 姫のキャラクターについては,「元気」「素直」だけだと面白くない。例えば,「自分の欲にまっすぐ」「ずるさ」などを入れる方が面白い,普通のセンスだけではつまらない。そういったことを思えるかどうかがポイントである。
  • この小説では,「大学生が社会に出て,色々苦労をする」ということをテーマにした。社会に出ると,まず,これまで自分がやってきたことを無視され,踏みつけにされるところから始まるが,そこからどう復活するかをテーマにしている。

■小説を面白くするには
  • 複数の要素があり,どのファクターが抜けてもだめ。
  • そのファクターには,史実,人物像,ストーリー,矛盾がない,全体的なバランス...がある。調べて考えるしかない。
■次作はどんな話?
  • まだ考えているところであるが,戦国モノになるだろう。
  • 戦国時代についての資料を読んでいるところである。
■石川県を舞台にすることは?
  • 調べれば,題材が出てくるかも。
  • 海音寺潮五郎は,江戸時代の加賀騒動について書いている。ただし,これについては書かないだろう。
  • 加賀藩については,江戸時代が面白そうである。
■会場からの質問
(Q1)『村上海賊の娘』ではなぜ女性を主役にしたか?
  • これまでは男対男の話ばかり描いてきたので,毛色を変えたかった。
  • また,海賊にいちばんイメージの合わないものを探した。
  • しかも,家系図が見つかって海賊の娘の存在が分かり,史実的にも矛盾していなかった。
(Q2)和田さんにとって歴史とは?
  • Q1同じ高校生からの質問でした。
  • 質問者は,「歴史」については,現代の問題を解決するために役立てるものという認識を持っているが,和田さんにとっては?もしかしたら「食い扶持」でしょうか?...という結構すごい質問。
  • それに対し和田さんは,ちょっと苦笑しながら,確かに食い扶持ではあるが,自分自身にとっての娯楽だからという理由を上げました。また,質問者同様,現代を解決するための材料の意味もある,とのことでした。
  • ただし,過去の出来事については,Aの方向の理由になることあれば,Bの方向の理由になることもある。頼り過ぎると判断ミスすることもある,とのこと。
以上のとおり,大変興味深い内容が詰まった講演会でした。充実の90分でした。

そして,終了後,これも毎年恒例になっていますが,和田さんの著作を持参した人に対してサイン会が行われました。例によって,私も参加してきました。文庫本で申し訳なかったのですが,現在読んでいる途中の「忍びの国」の標題紙に大きく書いていただきました。


2016年2月14日日曜日

東京都美術館でボッティチェリ展を鑑賞。その後,東京駅から日比谷公会堂まで散策。重厚な建築が多く見ごたえがありました。

日比谷公会堂が耐震化等に伴う大規模改修の工事のため,一時休館することになりました。その最後のイベントとして,井上道義指揮新日本フィルによる「ショスタコーヴィチ交響曲第9番・第15番演奏会」が行われました。

この演奏会は,「500組1,000名を招待」ということで,多分当選するだろうと思って応募したところ,やはり当選したので,北陸新幹線に乗って,日帰りで聞きに行くことにしました。「かがやき」だと,8時頃金沢を出ても午前中に着くので,まず,上野の東京都美術館でやっている「ボッティチェリ展」を観てきました。

まず新幹線からの景色です。北陸の方は曇り気味でしたが,富山県付近からは立山連峰が見えました。

本当は東京までのチケットだったのですが,上野で降りました。午前10時過ぎでした。親切にも,北陸新幹線用の記念撮影ポイントがありました。

上野駅内のオブジェ。

本当は上野公園口に出るつもりだったのですが...よく分からなくなってしまい,別の出口へ。駅の外に出ると,「近道」の案内が出て来たので,これを信じて地下道へ。


正岡子規記念球場の隣を通って美術館方面へ。

巨大がオブジェが出現。島根県のキャラクターで,島根県の物産展をやっていました。屋根から耳が突き出ているのが良いですね。

東京都美術館に着きました。近くを通ったことはありますが,この館で展覧会を見るのは今回が初めてでした。

10:30頃でしたが,既に大勢の人が入っていました。

会場はLBF,1F,2Fの3フロアに分かれていました。ボッティチェリ自身の作品は主に1Fの展示場にあり,その前後は「ボッティチェリ時代のフィレンツェ」「ボッティチェリの師」「ボッティチェリの弟子」という構成になっていました。

展示場の最初に「東方三博士」が展示されていました。朝日新聞が主催者の一つということで,朝日新聞の号外が置いてありましたが,その1面もこの作品でした。この作品で面白いのが,ボッティチェリ自身が描かれている点です。絵の右側に「どうだ」という感じでカメラ(?)目線で立っているのがボッティチェリとのことです。

ちなみに下の新聞の上に載せてあるのが「書斎の聖アウグスティヌス」です。気に入ったので,後絵で絵葉書を買ったものです。

この「ボッティチェリ」を切り抜いたのが次(展覧会の最後の撮影ポイント)です。



作品の特徴は,チラシに書いてあった「線の詩人」というキャッチフレーズどおり,マンガというか劇画的な感じがする点だと思いました。上に掲げた「書斎の聖アウグスティヌス」も,特に印刷されたもので見ると,劇画っぽく見えますね。

宗教的な題材が多いこともあり,絵全体が装飾的で,その意味を解読すると色々な意図が見えてきそうです。その中ですっきりとしているのが,「美しきシモネッタの肖像」でした。今回出展されていた作品の中では,きっといちばん人気が高かったのでないかと思います。記念グッズコーナーでもこの絵の商品がいちばん多かったと思います。次の写真のいちばん左が,シモネッタのマグネットです(それにしても...シモネッタという名前は,日本語の語感的には,ちょっと嬉しくなりますね。)。ちょっと少女マンガを思わせるような雰囲気があります。

色使いでは赤や青が鮮やかなのが印象的でした。作品としては,上の写真のチラシでメイン・イメージとして使われている「書物の聖母」の色合いが素晴らしいと思いました。赤と青に加え,金箔まで使われており,他の作品よりも高級感が1ランク上のように見えました。

どの作品も女性の表情があまりなく,構図についても他の作者(師匠や弟子など)と区別がつきにくいなど,「当時のフィレンツェの様式」のようなものも感じました。実は,その点で古い時代の絵を観るのはちょっと苦手です。その点で美術史や世界史の知識があるかないかで,より深く楽しめたのかなと思いました(イヤホンガイドというのはそれを補足するものだと思いますが...)。

↑展覧会の最後の撮影ポイントはやかり「書物の聖母」

展覧会を観た後は上野公園を散策。美術館から見た公園内の様子です。20℃以上の好天だったこともあり,大勢の人が出ていました。


ミュージアムショップです。面白そうなものが沢山ありましたが...展覧会のショップの方で購入したので,何も買わずに済ませました。


さきほどの島根県の物産展も「アイランドフェア」の一環だったようです。


島根県の隣では沖縄県の物産展をやっていました。こちらの方が人気が高く,私もついつい,「ちんすこう」などを購入(そのまま家の土産に)。レジ待ちの列で「沖縄に行ったことを思えば安いもんや」と大量に物産を買っている女性がいましたが,「なるほど」という感じでした。


その後,東京文化会館方面へ。東京都交響楽団のトラックが留まっていました。


東京文化会館前のカフェ。HIBIKIという名前でした。


国立西洋美術館は閉館中。次の展覧会はカラヴァッジョ展です。

世界遺産登録を目指しているようです。

上野公園の饅頭のお土産。なかなか楽し気な雰囲気でした。

東京文化会館の入口

次の公演は「イル・トロヴァトーレ」

東京都交響楽団のポスター。なかなか良いキャッチコピーですね。

JR上野駅から東京駅へ。


北海道新幹線のPR用ポスターが目立ちました。

山手線にも北海道新幹線のポスター。

時間があったので,東京駅から日比谷公会堂まで建築物を見ながら歩くことにしました。

丸の内南口からスタート。丸ビル(?)。


天井のない観光バスのスタート地点

丸の内パークビルディング

三菱一号館美術館

フラフラと入ってみると...休館でした。


この辺は飲食店などが集まっており,「いい感じ」になっていました。

丸の内仲通り。自動車通行止めになっていたので,フラフラとこの通りを歩いて
日比谷方面へ



出光美術館

その隣は帝国劇場


道路の案内標識。これだけ「~劇場」が集中しているところも少ないかもしれません。

日生劇場の入口

その隣に東京宝塚劇場

こちらは流石に照明が派手ですね。

中を観てみると...赤いカーペットの大階段が見えました。

東京宝塚劇場の隣は,映画館

さらに帝国ホテル方面へ。中に入ってみました。地下街の案内のタペストリ―です。

帝国ホテルのフロント前付近。

ラウンジは天井が高く,大変ゆったりとした雰囲気でした。

帝国ホテルの入口

帝国ホテルの全景

そして日比谷公園へ

普通の公園でした

ソーラーで動く時計

そして,目的地の日比谷公会堂に到着。逆光ですが...

ショスタコーヴィチの交響曲の公演を聞いた後,帰りはJR有楽町駅から帰ることにしました。有楽町の駅前です。

 というようなわけで,行ったことのない街というのは,ぶらぶら街歩きをするだけで,結構楽しめますね。