2014年11月26日水曜日

少し前になりますが...11月16日に 三文豪月間特別シンポジウム「秋聲文学の今日性:いま秋聲がおもしろい」を聞いてきました。

少し前ですが,11月16日,金沢21世紀美術館で行われた「三文豪月間特別シンポジウム「秋聲文学の今日性:いま秋聲がおもしろい」を聞いてきました。

金沢には,金沢出身の三文豪のそれぞれに「記念館」があり,毎年11月に当番を決めてイベントを行ってます。今回は,鏡花や犀星に比べると「読まれていない作家」である秋聲がテーマということで,個人的には,「秋聲入門」というつもりで参加してきたのですが...内容はかなり専門的かつ熱い内容でした。秋聲の作品を読んでいる方が楽しめる内容だったと思うのですが,とても熱い雰囲気があり,「ちょっと難しいところがありそうだが,読んでみようかな」と思わせる内容になっていました。

とても内容が詰まっていたので,今回もまたメモを取りながら聞いていました。その内容を紹介しましょう。

■あいさつ
  • まず,上田正行徳田秋聲記念館長のあいさつがありました。
  • 秋聲が亡くなって70回忌になる。岩波文庫から秋聲が消えてしまった。今後,どう継承するかが課題である。
  • 鏡花と犀星には金沢市内に研究会がある。秋聲についても立ち上げたいと考えている。
  • 面白い作品が少ないと言われている秋聲がなぜ面白いのか。秋聲は女性を描くのが巧いと言われているが本当か。といったことを上田館長はこの日のポイントとして挙げていました。
■シンポジウム(前半)
  • シンポジウムは大木志門さん(元秋聲文学館の学芸員で今は山梨大学准教授。”秋聲文学の伝道師”と呼ばれているそうです)が司会でした。大木さんは,まず「秋聲文学が面白いことは確か。それがどうしたら伝わるか?」ということをテーマとして挙げていました。
  • 前半は,「秋聲は作品が多く全貌が見えない作家と言われるが,全集が完成して明らかになったことは?」というような観点から,3人のパネリストから順に発表がありました。

1 松本徹(三島由紀夫文学館長)
  • 三島と秋聲の2人を専門に研究している。この2人で日本の近現代の文学史が収まってしまうところがある。この2人の性格は対局で,文学を幅広く扱うには最適。日本の近現代文学史の中の偉大な作家の二人である。
  • 秋聲は小説一本の人だった。しかし,その小説の内容は,硯友社時代,ヨーロッパの近現代小説風,自然主義...と多様である。
  • 作品の中では『黴(かび)』が空前絶後である。
  • 『仮装人物』では,ジャーナリズムを賑わした山田順子(妻の死後,秋聲と恋愛関係にあった女性で,「今でいうとAKBのメンバーにいても良さそうな若い美女」とのことです)との恋愛の進行を描いたような実験的な作品である。
  • なぜこれだけ多様な作品を書くことができたのか?自分の暮らしにあった文学を着実に紡ぎ出し続けたから,変幻自在に変えることができたのではないか。
2 紅野謙介(日本大学教授)
  • 全集の編集委員の一人だった。ただし,全集には未収録の作品もある。
  • 秋聲はプロフェッショナルな人によく読まれた作家である。
  • 1936年の文芸誌の付録によると,文壇の大家の一人に秋聲も選ばれている。藤村,川端康成,武者小路など今でも知られている人は選ばれていないので,芸術面とは違った尺度で捉えられているのではないか。
  • 漱石から『黴』は高く評価されたが「フィロソフィがない」とも言われている。「だから,すごい」とも言える。
  • 秋聲は,倫理やモラルの追及はしていない。『仮装人物』では,今の芸能人がやっていることと同じことをしている。戦前のモラルの中で,演劇性と創作性を見せているともいえる。
  • 秋聲は通俗小説も書いているが,そのことを恥ずべきこととは考えていない。純文学で生計を立てることの大変さを純分知っていた。
  • その辺のバランスについての嗅覚を持っていた。通俗小説作家から純文学作家だけでなくプロレタリア文学の作家など,幅広い作家が秋聲のところに集まり,多くの人に愛された。その懐の深さは想像を超えている。
  • 秋聲自身は強いフィロソフィは持っていない。文学について喧々諤々意見を戦わせるような共同体を作り直そうとしたところに意味を見出していた。
3 尾形明子(元東京女学館大学教授)
  • 研究テーマを秋聲にするか花袋にするかで迷った。
  • 山手の女性の感覚には,『爛(ただれ)』などの作品に対する拒絶反応がある。花袋の方が分かりやすいと思い,花袋を研究テーマに選んだ。
  • 1999年にパリで勉強していた頃,先生から秋聲の『縮図』の話が出てきて驚いた。その先生は「これが日本だ」と語った。
  • 例えば,盆栽は「小さいけど宇宙」を作っている。秋聲がやったこともこれであると分かって興奮し,その後,作品を多数読んだ。
  • 長谷川時雨主宰の『女人芸術』という雑誌は,女性が自由に発言できる場所として出てきた。そこにいつも秋聲の名前が出てきている。秋聲の女性作家への関わりはもっと考えてもよい。
  • 林芙美子も秋聲の影響を受けている。直系の弟子のように感じる。
  • 『仮装人物』は,山田順子をよく描いていて気持ちよい。
■現代日本文学巡礼のフィルム
  • 後半の最初では,昭和前期に流行していた「円本」の宣伝用フィルムの中に秋聲と山田順子が写っている部分が会場のスクリーンに流されました。これは秋聲が写っている唯一の動画ということでとてもきちょなものです。
  • それ以外にも,死の直前の芥川龍之介が,自宅の木に登っている映像があったり,佐藤春夫が豪邸に住んでいたり,菊池寛が将棋を打っていたり...解説付きでみると,なかなか面白い映像の連続でした。
  • 秋聲と山田順子の映像は,それぞれ50代と20代ということで,「秋聲の息子の一穂と順子の組み合わせの方が自然に見える」というような感想を語っている人もいました。
■シンポジウム(後半)
  • 大木:後期の秋聲文学のモダンさの根はどこにある?
  • 松本:金沢という土地の影響がある。明治時代の金沢は,日本の中でも最も都会的な空間だった(東京は田舎者の集まりだった)。秋聲は金沢という土地が洗練された文化を持っていることを痛感したのではないか。その地に戻ったのではないか。当時の金沢は,四高に優秀な人材が集まっていた。活版印刷も始まり,歴史的に見ても珍しい時代だった。新聞の読み手は男だったが,明治末以降,婦人雑誌が急速に増えた。その書き手が秋聲だった。
  • 大木:秋聲は外では洋服,家の中では和服だったが。秋聲の文学にもハイブリッドなところがる。秋聲はレベルの高い英語教育を受けていた。
  • 松本:最初の頃はかなりバタ臭い。それが段々と抜けていく。秋聲文学には,異例なほど擬態語が沢山でてくるが,これは浄瑠璃の影響と考えられる。それで,高度な写実性と凝縮的表現を持ったリアリズム小説を書いている。
  • 大木:秋聲のリアリズムは他の作家と比べるとどうか?花袋の平面描写と違うのでは?
  • 尾形:花袋の方が平易。秋聲は難しい。秋聲の文章は時空間が入り乱れていて,付き合うのに時間がかかるが,ハマると分かる。『仮装人物』は成熟した作品で読みやすい。どこか爽やかでもある。花袋の作品は,みんな泣きぬれた感じがある。秋聲の作品は,男女が対等な感じで,近代の男女のようである。花袋や藤村の作品にはそれはない。
  • 紅野:藤村はずるいところがある。インテリ男の悩むような話で,自分自身の救済が目標になっている。秋聲にはそういうゴールがない。開き直りがある。悩めるインテリのようなものは出てこない。これは女性モノを書いていたことが大きいのではないか。青鞜に加われなかったような女性がじたばたして生きている姿を描いている。
  • 松本:フィロソフィーのなさとつながるのでは。秋聲の実家は日蓮宗で,金沢に居ながら浄土真宗の影響もあまり更けていない。精神構造が自由なのではないか。
  • 大木:秋聲が読みにくいのは,頭叙法になっているから。後で説明を加える形になっている。その不思議な文章はどこから来ているのか。秋聲とプルーストは同じ年。ジョイスやウルフの同時代の作家である。前衛的な作家とつながりがあるのか?
  • 松本:秋聲の文章は,「思い出す」「反芻」といった精神作用と密接につながっているのでは。独特の文章にヨーロッパ的文章表現が不用意に加わっている。俳諧的な感覚もある。晩年はそれらがもっと簡潔になっている。
  • 紅野:『足跡』という作品辺りで何かが変わっている。他の作家は時系列的に並べるが,秋聲は,眺望がきかない感じである。自分の頭の中の不透明な記憶の感じを再現している。
  • 松本:『あらくれ』では,語りの要素も加わっている。
  • 紅野:説話的な『あらくれ』から『仮装人物』に変わり,融通無碍というか雑駁な感じになっている。
  • 尾形:最後にはくっきりとした像を結んでいると思う。
  • 松本:フィロソフィは邪魔である。
  • 紅野:それが抜けたものを体現したのが大きい。
  • 松本:対照的に三島はフィロソフィの塊である。この2人を並べると色々な風景が出てくる。二人とも映像に移されるのは好き。
  • 紅野:先ほどのフィルムでは,演技して映像に写っている。自分のイメージとの落差は,『仮装人物』のテーマと繋がっているのではないか。秋聲自身そういうことにいちばん気づいていた。
  • 大木:いつも時代に乗っかっている。自分のやり方で乗っかっているのが面白い。秋聲はアパート経営にも乗り出していますね。
  • 松本:これは大きい。他の貧乏な作家の面倒まで見ている。あれだけの変幻自在さ見せた秋聲は,本当の日本人である。
■質疑応答
  • 質問:秋聲は,色々姿を変えているが,なぜ最後まで自然主義作家と呼ばれたのか?
  • 尾形:リアリズムの手法を守っていたから。
  • 松本:このことに惑わされなかったから。秋聲自身は,好きなようにやって,普通の人間として見えてくるものを正確に描いた。
  • 大木:リアリズムのあり方はいつも同じではなかった。自然主義という言葉は批判のための言葉だった。秋聲は,それを理解しなおし,モダニズムを加えて,ブラシュアップした形で鍛えなおしたのではないか。
  • 紅野:自然主義というのは,「分類の記号」「レッテル」である。人間の真実を描くことだが,秋聲はそのレッテルを再構築した。文学の歴史では,カテゴライズとそれへの戦いということは起こる。
  • 松本:秋聲の恋愛の相手は,バタ臭い山田順子から,日本的な女性である小林政子に変わるが,それとも関係あるのでは。
徳田秋聲について,これだけ集中的に熱く語られる機会は初めて?ということで,ついつい熱心にまとめてしまいました。これを機会に,1作品ぐらい秋聲の作品を読破してみたいと思います。

2014年11月23日日曜日

金沢21世紀美術館開館10周年記念「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」関連プログラム 安藤忠雄講演会「地方都市の可能性をつくる」を聞いてきました

11月になってから演奏会に行っていないかわりに,仕事関係も含め講演会やシンポジウムなどのイベントに非常に沢山参加しています。実は,こういった講演会を聞くことが結構好きです。大体は本の著者などの講演会なのですが,いちばん良い点は,90分ほどの間にエッセンスが語られるということです。

語る場合,文章で書かれるよりも正確ではなくなりますが,色々な聞き手がいることを意識して,分かりやすい言葉になります。語られる内容については,体系化されていない場合が多数ですが,著者が今現在考えている本音のようなものが言葉の間からポロッと出てくる面白さがあります。

この日行われた安藤忠雄さんの講演会もそういった形でした。その内容について紹介しましょう。

安藤忠雄講演会「地方都市の可能性をつくる」
2014年11月22日(土)19:30~ 金沢市文化ホール





この講演会は,金沢21世紀美術館開館10周年記念で行われている「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」関連プログラム として行われたものです。そのこともあるのか,21美の客層と重なる感じで,若い人が多い気がしました。講演会が始まる前,ロビーでは既に安藤忠雄さんがサイン会を行っていました。かなり長い列ができており,その雰囲気だけで気分が盛り上がるような感じでした(私もこの列に加わっていました)。




さて,講演会ですが安藤さんは,客席の通路からステージに登場しました。安藤さんは若い頃,ボクサーを目指していた時期があるそうですが,その登場のイメージでしょうか。



以下,私の方で勝手に見出しを付け,かなり「意訳」している部分もあるのですが,概要をまとめてみました。その語り口は生でないと伝わらないですね。

■21世紀美術館について
  • ポンピドゥー・センターのミゲルー氏の企画による型破りな展覧会「ジャパン・アーキテクツ1945-2010」をよく受けたなと思う。その勇気が面白い。何事にも「勇気」や「情熱」が必要。
  • 21世紀美術館が開館した頃,キュレーターの長谷川裕子さんや蓑豊初代館長など個性の強い方々のバトルがあったと思う。しかし,「スムーズにいくと(結果的に)うまくいかない」ものである。バトルの中に面白味がある。
  • 秋元雄史館長は,以前,ベネッセアートサイト直島の企画に関わっていた。直島もベネッセの福武社長の情熱があったから出来たものである。その理想を追って,(安藤さんは)設計に参加した。
  • 個性と個性のぶつかり合いで問題が起こるかもしれないが,情熱や理想がないと人は動かない。
■東北支援について
  • ヴィジョンが今日本から失われている。
  • 資源,エネルギー,食糧問題などについて,どうするか考えるべき。日本はアジアの中でも特に遅れている。
  • 2011年3月11日の東日本大震災後,自分のできる範囲で何ができるか考え,遺児の育英資金を集めることにした。
■日本の建築について
  • ラフカディオ・ハーンは,日本の良さとして「自然,家族,地域,国を踏まえていること」を挙げた。金沢にはそれらが揃っている。
  • クローデルとヴァレリーは日本のことを「世界でいちばん美しい国」と評した。
  • 誰にも負けない,礼儀正しい建築を作るのが大切で,それが日本の国のアイデンティティになる。
  • 日本の建築は世界一のレベルにある。建築現場の人を大切にすべきである。
  • 1868年と1945年。ゼロからスタートした。これから世界が攻めてくる。若い人には挑戦する勇気を持って欲しい。
■独立自尊
  • 福澤諭吉は大阪の適塾で学んだ。自分で考える必要を説いた。
  • 人間の脳の中の左脳は知識を詰め込む力,右脳は想像力を持つ。想像する力の方が挑戦する力になる。
■食事
  • 最近の若い人たちの食事は貧しい。精神的な栄養の面でも不足している。本を読むべきである。
  • あと10年もすると大変なことになる。
■自由,責任,教養,野性,感動
  • 「自由」と「責任」はセットである。
  • 「教養」と「野性」も必要である。
  • 「野性」とは闘争心のこと。最近の若い人に不足している。
  • 「感動」が生きていく力になる。なくなって来たと思ったら美術館に行くのがよい。
■自立心
  • 1997年,東大教授になった。
  • 2004年の入学式でスピーチを行った。そこで「自立心」について,「自立心を持った上で,親や地域を支えなさい」と語った。
  • 最近,入学式に親の参加が多いので,「今日から親と縁を切れ」と言ったが(事前原稿でチェックされたが,言ってしまったようです),他の教員も同様に思っていたらしい。
■建築家の理想
  • サミュエル・ウルマンは,「理想のある間が青春」と言っている。
  • 建築家は建物だけではなく,建物の回りまで考えるものである。京都の高瀬川付近では隣の家の設計まで勝手にしたことがある。
  • 単なる消費物としての建築を作るのではなく,記憶に残るものを作りたい。
  • 感性の豊かな子供を育てたいという思いで,兵庫県立こどもの館を設計した。子供の描いた作品の中から選んだオブジェを作った。
  • 野間自由幼稚園,加賀錦城中学校など心の中に残るものを作った。
■直島について
  • 1988年,最初に直島を見たとき,全面が禿山たったので設計は無理だと思った。しかし,民家や文化は残っていた。
  • 発想力に加え,「必ずなる」という思いの持続がないとできない。
  • 神戸の六甲山も100年前は禿山だったが植林によって現在のような森になった。
  • 直島については,アーティストが来てそこで絵を描いてもらえる場所にした。その見込どおり,白い壁と絵具を用意しておいたら,勝手に描いてくれた。その場にしかない芸術である。
  • 芸術は自分を取り戻すものである。
  • 戦後,「個人を捨てる」ような流れになったが,直島を企画した福武さんは違った。
■地中美術館について
  • モネの作品を購入したのでオランジェリー美術館より良いものを作ろうと思った。
  • モネはかつて日本の浮世絵に憧れていた。
  • 過去と未来のどちらもを見て,生活の中から美意識を見つけるべき。
■大阪の街づくり
  • ユニクロと共同で桜の迷宮を作ろうと思った。10年ぐらいかけてコツコツとやっている。最近,コツコツやることを忘れているのではないか。
  • 大阪を「さくらの都」にしたいと思ったが,抵抗されると思い,あれこれ考え,桜一本ずつのオーナーを募集することでお金を集めることにした。
  • その他,丸ビル,うめきた・水の広場,梅田スカイビル...いろいろやっている。
  • 人間は面白いことを考えるべきである。個人が頑張り,企業は社会参加を行い,役所は大らかな気持ちで受けて止めて欲しい。
  • 1日1万歩歩いているので快調である。ただし,歩くためには歩きたい街を作る必要がある。1か所ではだめである。
■生き方について
  • 人生を楽しく過ごすことを考えるべきである。その中で東北のことも考えるべき。
  • 何かに関わりながら生きたい。社会のためにも生きるし,自分のためにも生きる。
  • 自分なりの考えをもっていれば,必ず道は開けるものである。ただし,勉強はしている。
  • 本の中に1行でも1枚でも,すぐれた文章や写真があればよい。
  • 自分の感性を磨かないと楽しめないものである。そのためには,自分なりの生き方を考えるべきである。
以上のように,かなり幅広い内容について,自身が設計した建築物を中心としたスライド映像を交えて自由に語られました。「なんでやねん」「絶望的です」と,色々な点についてかなり辛辣に語っている部分がありましたが,大阪弁のイントネーションによって,それが中和されているのが面白いところで,深い内容を楽しく聞くことができました。

いちばん印象に残ったのは,やはり安藤さん自身,自分自身の力で自分の信念に従って道を切り開いてきた,という点です。いろいろと衝突しながらも,お金を持っている企業の社長や自治体の長などと正面からぶつかり,自分の理想を建築として次々と実現していっている点が一種,現代のヒーローのように見えます。

それと常に若い世代の育成を意識しているのが素晴らしいと感じました。その点で今回,比較的若い層の聴衆が多かったのは,刺激になったのではないかと思います。

演題と内容は全然違っていたのですが,この辺も含め「安藤さんらしさ」でしょうか。

サイン会では次の本にサインを頂きました。サイン会があると分かっていたので,事前に購入していった本です。15歳の子供向けの本で,自伝的な内容のようです。その方が「分かりやすい」と思い,買ったものです。

次のような感じでピンクのペンでサインをしていただきました。手際よく,「まいど」という感じでテキパキとサインをされていたのが,大阪人的だなぁと感心しました。



2014年11月16日日曜日

石川四高記念文化交流館で作家・上田秀人氏の講演会と「波乱:百万石の留守居役(1)」の朗読。3人の役者によるラジオ・ドラマを聞くような立体的な朗読でした。

我が家は,一応,浄土真宗です。どの宗教にも四季折々の行事がありますが,毎年11月頃に報恩講という法要を自宅で行っています。今日の午前中は,お坊さんに来てもらい,そのお経を挙げてもらいました。

何のためなのかよく分からずにお経を挙げてもらっているのですが,母はいつも「一年無事に過ぎたことに感謝するんや」と言っています。間違って理解しているような気もしますが,感謝することに越したことはないので,冬の始まりの時期の年中行事になっています。その後,家族で昼食には芝寿しのオードブルなどを食べました。

本日は和菓子も買ってありました。

午後からは,金沢市内に出かけてきました。石川県立音楽堂で少し用事を済ませた後,もてなしドームの地下に行ってみると,「雑貨×作家マーケット」というイベントを行っていました。昨年も行っていた記憶がありますが,このところ金沢市ではこういう手作り雑貨を野外で販売するイベントが増えている気がします。なかなか楽し気でした。明日までやっているようです。


その後,香林坊に移動し,石川四高記念文化交流館で「もみじウィークブックフェスタ」の一環で行われた,作家・上田秀人さんの講演会+朗読会に参加してきました。


ちなみに,交流館周辺も「もみじだらけ」でした。
雨の中,色々とイベントをやっていました。


上田さんの名前は,実は知らなかったのですが,加賀藩を題材とした「百万石の留守居役」というシリーズもの時代小説を書いている人気作家ということです。今回は,著者による講演とその作品の朗読が行われるということで,「面白そう」と思い,聞きに行くことにしました。

講演の内容は後からご紹介しましょう。

地元劇団の男女3人の役者さんによよる朗読は,まるでラジオドラマを楽しむような立体感がありました。上田さん自身,朗読が終わった後,「自分の作品が音として読まれるのは恥ずかしい」と言いつつも,「これからこの作品を書くときは,この方たちの声が脳内に聞こえてくることになりそう」とおっしゃられていいました。間近で聞いたこともあり,臨場感たっぷりの迫力のある朗読でした。

この小説は,外様大名である加賀藩・前田家と将軍家との関係を描いたものということで,この日の配布資料には,この小説の人物関係図(徳川家と前田家の系図+前田家の家臣たち関係図という感じでした)のがつけられていました。

歴史小説の場合,似たような名前の人物がたくさん出てくる点が問題なのですが,この人物関係図を見ながら,3人の声色によって描き分けられた話を聞くことができましたので,ストーリーが大変分かりやすく伝わってきました。何よりも,役者さんたちの張りのある声が心地よく感じました。

上田さんによる講演も楽しいものでした。上田さんは,全く原稿を見ず,思いついたネタを次々と紹介していましたが,「剣なくして闘う男たち」というテーマに沿う形で,将軍家と闘うことなく幕末まで生き延びた「前田家のすごさ」に焦点が当てられていました。さすがに加賀藩や将軍家についての知識が豊富で,いちいち「なるほど,なるほど」と頷きながら,聞いていました。上田さんは,かなり早口だったので,聞き逃してしまう部分もあったのですが,「百万石の留守居役」シリーズを楽しむための知識満載の講演会でした。

メモを取りながら聞いていましたので,そのポイントをご紹介しましょう。

■黒田官兵衛のこと
  • まず,今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」の話題から始まりました。
  • 黒田官兵衛は,時流を読むのが巧かった。ただし,私自身はあまり官兵衛を高く評価はしていない。
  • (余談ですが)姫路城は,世界遺産だけあって,一見の価値があります。階段が締められるようになっているなど,面白い仕組みがある。最近,エレベータを付けたのは大胆。
■闘わないことを選んできた前田家
  • 前田家2代の利長は,母まつを人質に出すことで,徳川家と闘わずに済んだ。
  • その後,ほぼ百万石を維持している。これは闘わないことを選んできたから。
  • 3代利常は,鼻毛を伸ばすなどバカを装っていた。城内で立小便をするなど,かなり無茶なこともしていた。色々なキャラクターを使い分ける賢さがあったのではないか。
  • 江戸時代初期の藩主は,カリスマ的な力がないとうまく藩をまとめられなかっただろう。
  • 前田家の場合,2代,3代藩主には,戦の経験があり,それを藩政に生かすことができたことが良かった。戦を行うとお金が掛かることをよく知っていた。
■金沢という場所と将軍家から見た前田家
  • 徳川将軍家から見ると,前田家は邪魔だった。
  • 当時の金沢は北前船が通る,貿易の要所だった。
  • 前田家は,将軍家から狙われていることを分かっていた。それを知りつつ,刀の力なしで生き残ってきた。そこに巧さがある。
  • 利長や利常も将軍家からいじめられているはずなのに,浅野内匠頭とは違ってキレていない。加賀藩が取り潰しになると7~8万人が失職する。それを考えると我慢せざるを得なかった。
■加賀藩伝統の我慢の資質
  • 加賀藩に備わっている我慢する資質は,前田利家からの伝統ではないか。
  • 利家は若い時から,食べていくための苦労を重ねている。
  • 五大老の一人にはなったが,天下を取れないことを自覚し,無理をしないという現実感を持っていた。
■金沢の都市の特徴
  • 金沢という都市自体,戦災にずっと遭っていないが,攻められることを考えた街づくりになっている。
  • 道路は直線的ではなく,細い。そのため,道路の途中で人が見えなくなってしまう。
  • 街中に用水があり,簡単に渡れない。これも戦うことを意識したものである。
  • 寺町は出城のようなものである。
  • 街自体,百万石にしては小さい。城が大きいと兵力が必要だが,金沢城は大きくないので効率的に守れる。
  • こういった街づくりは,観光の面からすると魅力的である。例えば,碁盤の目のような街の多い,中国の人には面白いのではないか。兼六園や武家屋敷だけではなく,観光客にはこういう点も見て欲しい。
■加賀藩の良さ
  • 藩の重臣の「馬鹿さ」が将軍家から見えてしまうと潰されることがあるが,加賀八家はそういう馬鹿はしていない。# 上田さんの小説中で加賀藩の家臣が色々と悪いことを勝手に語っているが,これは「創作上のはなし」で,関係者がいたら「すみません」とのことです。
  • 加賀藩は分家をせず,百万石の石高を維持しているのも良い。そのことにより,江戸城に行った際も特別の扱いになっている。
■礼儀作法のチェック
  • 前田家と将軍家が対面する場合は,はいつも1対1になっている。その分,不作法があった場合目立つので,取り潰される可能性も高い。その面でも藩主は馬鹿では務まらず,才覚が必要となる。
  • 江戸幕府は,武力ではなく礼儀によって各藩を押さえつけてきた。幕府が決めた礼儀(畳の縁を踏んではいけない...的な細かい作法など)に添っているかが複数の目付役にチェックされていた。江戸城だと藩主自身がやらないといけないので,こういったことを覚えていないと藩主は務まらなかった。前田家の場合,1対1なるので特にチェックが厳しかった。それに耐えてきたのは,前田家に根性があったからでは。
■加賀の文化について
  • 加賀藩の文化は5代綱紀のころから始まっているものが多い。
  • 戦争がなくなり,平和になると,「明日があるから」贅沢ができるようになり,支出が増える。
  • 身分の上のものは,着るものにもこだわらざるを得なくなり,借金をするものも出てきた。
  • 金沢は京都からの距離が比較的近かったので,京都から職人が来て,色々な産業が興った。
  • ちなみに京料理の味が薄味なのは...貧乏だったから。
  • (余談)近江町市場に行ってみたら大賑わい。カニばっかり売っていた。そのうち,地元の人が行けなくなるのでは。

■歴史小説家の仕事について
  • 最後は,歴史小説家の仕事の話になりました。
  • 小説家は,ほとんど立たずに仕事をしている。体を鍛える必要がある。
  • 上司がいないのは嬉しい。締切さえ守れば,何も言われない。先が見えない怖さはあるが...
  • 原稿はパソコンで書いている。
  • 森村誠一さんは手書きで書いているが,修正するたびにインクの色が違い,読み取るのが大変。「森村番」のような編集者が必要である。
  • 電子ブックは,文字が大きくできて良いが,苦手である。紙の本の感触が好きである。
  • 前のページを読み返したい時も不便に感じたので,リーダーを子供にあげた。
  • 本屋も好きである。特に地元の人が書いた本が好き。まとめ買いをする。
  • 歴史小説については,資料は膨大にあるが,歴史自体は変わらない点が良い。例えば,現代の経済小説だとすぐに状況が変わってしまう。
  • それと歴史小説家には年輩の作家が多いので...すぐに席が空く。ただし,その席に自分が座れるかは分かりませんが...。
というようなわけで,色々な内容がぎっしりと詰まった講演会でした。

イベント終了後,サイン会も行われました。せっかくの機会なので,こちらにも参加してきました。いただいてきた本は,朗読された「波乱:百万石の留守居役(1)」です。この本の装丁も,石川県出身の西のぼるさんです。

筆ペンでさらさらと書いていただきました。

作家さんから見ると,ファンとの対話の場になり,著作の売り上げにつながる。お客さんから見ると,無料で著者自身の生の声を聞け,朗読も聞け,サインももらえる。主催者側から見ると,企画展の集客につながる。ということで「三方良し」の企画だったと思います。

イベント終了後,すっかり辺りは暗くなっていました。石川四高記念文化交流館のライトアップも美しく生えていました。

交流館の近くのライトアップされたアメリカ楓を眺めながら帰宅しました。


2014年11月9日日曜日

金沢城下町市民マラソンに参加した家族を応援してきました。市民のイベントという雰囲気があり良かったです。大盛況でした。

本日は早朝から,約1年後に行われる金沢マラソンのプレ大会として「金沢城下町市民マラソン」が行われました。マラソンといっても42.195kmを走るわけではなく,10kmと3.3kmで行われました。来年のフル・マラソンも今日と同じ場所からスタートですので,運営面を含め「予行演習」的な位置づけもあったのではないかと思います。

この大会に我が家からも1名参加することになったので,その応援に出かけてきました。いやぁ大勢いました。金沢市にこんなに大勢,走るのが好きな人がいたんだなぁということがよくわかりました。運営面では課題は残ったと思いますが,マラソンを市民で盛り上げるという趣旨からすると,まずは成功だったのではないかと思います。

7時30分ぐらいに行ってみると,既に大勢人が集まっていました。アナウンスによると参加者が6300名ということでした。それに家族や関係者も大勢集まっていましたので,1万人近くいたのかもしれません。

会場は石川四高記念公園+しいのき緑地でした。

飛び賞の人には,色々と金沢にちなんだ賞品が出たようです。

多数の仮設トイレ



スポンサーのトヨタのテント。実物大(多分)のマツコデラックスもいました。

スタート地点は,しいのき迎賓館前の広坂通りでした。道路幅が狭いこともあり,スタートイベントがよく見えませんでした。

景気づけに消防の纏を振っていました。吹奏楽のファンファーレもあったのですが,これもどこで演奏しているのかよく分からなかったので,この際,しいのき迎賓館の屋根の上で演奏したら面白かったかも(難しい?)。ちなみにスタート直後に演奏された曲が,吹奏楽界ではおなじみの「宝島」でした。結構,意表を突く選曲でしたね。
ランナーが多かったこともあり,10kmグループの後ろの方の人は最初は走れない感じでした。

続いて,3.3kmグループがスタートしました。こちらの方は「恋するフォーチュンクッキー」がBGMでした。

その後,場所を移動して広坂の交差点の方に行ってみました。兼六園の雪つりを背景に小中学生が走るというのは,なかなか良い感じですね。

ゴール後の集合場所もしいのき緑地で,いわしつみれ汁などを振る舞っていたようです。
さて,ゴール地点です。我が家の参加者は3.3kmグループということで,しいのき緑地裏のゴールで待っていました。次の写真は,最初にゴールインした人です。



その後,次々ゴールイン。走っているはずの家族の姿を探していたのですが...結構,皆似た服装なので,見逃してしまいました。

この日はAKBのメンバー3人も”応援”に来ていました。ピンクの人がメンバーだと思います。


ただし,3人のうち2人は,チーム8ということで「あまちゃん」で言うところの「GMT=ほとんど無名」のようなものです。というわけで,特にAKB目当てという人は少なかったようです。

3.3kmの方は25分が制限時間でした。家族がいつまでたっても来なかったのですが,後から訪ねてみると,21分ぐらいでゴールしたとのことでした。




結果の掲示板です。

金沢市役所前です。

家族がもらった「完走証」と来年のマラソンに向けてのガイドブックです。天候の方も,何とか雨が降らずに,もってくれました。

今回は「見てるだけ」でしたが,大勢の人の楽しげな様子を見ていると,「ちょっと走ってみたいな」という気にもなりました。団体競技に参加するのは,少々苦手なので「一人で長距離を走る」というのには少し憧れるところもありますね。この前受けた健康診断の結果は,きっと「要注意」なので,今回参加した家族に,「走り方のコツ」「準備体操」などについて,教えを乞うてみようかなと思います。

2014年11月8日土曜日

11/7は横浜から東京に移動し,JR東京駅付近の先日OEKが演奏を行ったKITTEを見てきまいした。

11月7日は,17:00に横浜での仕事が終わった後,上越新幹線経由で金沢に戻りました。
17:00過ぎのみなとみらい付近。すっかり夜景です。
週末になるので,もう一日ぐらい横浜に滞在したい気持ちもありましたが,このところ旅行に行くと疲れが残るので,土日を金沢で過ごすために帰ることにしました。ただし,「せっかくなので...」金沢に戻るのは上越新幹線の最終便にし,JR東京駅周辺の文房具店めぐりをしました。

まずは東京駅丸の内南口からKITTEの方に行ってみました。

このビルは先日,オーケストラ・アンサンブル金沢が吹き抜けの下で演奏を行った場所です。この場所ですね。


東京駅の斜め前のビルで,元は郵便局だったようです。次のような昔の部屋も残っていました。この局長室からはJR東京駅がとてもよく見えました。



建物には三角形の吹き抜けがありました。この建物の中でどのようにオーケストラの音が響き渡ったのか聞いてみたかったですね。



KITTEの中の店ですが,2軒ほど面白そうな文房具店がありました。一つは2階にあったアンジェ ビュロー。もう一つは4階にあった,マルノウチリーディングスタイルという店です。

アンジェ ビュローの品揃えの方は,何というか,私自身既に持っているものがいくらかあり,欲しいものは「高いものばかり」という感じでした。趣味が合う店というか...目の毒という感じの店でした。
https://ja-jp.facebook.com/angers.marunouchi

マルノウチリーディングスタイルの方は,書店,雑貨・文房具店,カフェが一体になったような店でした。カフェの方では,乃木坂46?関係のイベントをやっていたようで,やけに長い列が出来てました。

https://ja-jp.facebook.com/pages/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%81%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AB/396069997156933

「BIRTHDAY BUNKO」という企画商品も面白そうでした。作家の誕生日ごとに文庫本を並べていたのですが,かっこうよく包装してあるのでついつい,自分と同じ誕生日の作家の本を買いたくなります。ちなみに私と同じ日だったのは,桐野夏生さんでした。この方は石川県出身なので,「これも何かの因縁かも...」と思ったのですが....荷物を増やしたくなかったのでやめておきました。






その後,ライトアップされた東京駅丸の内口の外観を眺めたり後,天井を眺めたりした後,新丸ビルにも行ってみました。


こちらの方は以前一度来たことがありますが,さらに高級感のある店が多い感じでした。1階にあった文房具店のDelfonicsを眺めて東京駅に戻りました。

というわけで,帰りの荷物を持ちながらの買い物というのは,なかなかに疲れるものです。今回は何も買わずに「見てるだけ」にしておきました。もしかしたら荷物が多いか少ないかによって,購買意欲というのは変わってくるのかもしれなません。

2014年11月5日水曜日

本日から横浜出張。過去何回か来ていますが,やはり,みなとみらい付近の雰囲気は良いですね。

この前の土曜日に東京まで日帰りしたばかりなのですが,今週は,仕事の関係で本日から横浜に2泊滞在します。明日がメインということで,本日は横浜のみなとみらい付近を巡ってみました。

本日の朝9:00台の,はくたかで金沢駅を出発。平日ということで,ずっと隣の席は空いたままでした。ちなみに飲み物はいつも,加賀棒茶にしているのですが,本日は追加でコンビニの100円コーヒーも持ち込みました。

空いた電車の中だと仕事が大変はかどりました。越後湯沢駅で上越新幹線に乗り換え。もしかしたら,上越新幹線に乗るのもこれが最後?かと思い(まぁ,とりあえず帰りも乗りますが),記念撮影。もう一回ぐらい乗ることはあるかな?

東京に着いた後,東海道線の快速で横浜へ。いつもは桜木町に泊まっていたのですが,今回は宿が取れなかったので,関内駅付近に宿泊することにしました。結構,ローカルな感じの駅でした。
関内駅を降りて,すぐの場所にホテルはありました。伊勢佐木町商店街も近くでした。伊勢佐木町といえば....青江美奈の声が聞こえてきそうですが,商店街の中ほどに有隣堂という歴史のありそうな書店がありました。



ちょっと古い感じの書店は独特の温かみがあって,良いですね。荷物は増やしたくなかったのですが,記念に1冊新書本を購入しました。ホテルでチェックインをした後,みなとみらいへ。

今回は首都圏往復フリー切符で来たのですが,首都圏のJRが乗り放題になるので,横浜付近の移動は結構便利です。

一日目の仕事が終わった後,みなとみらいのビルで少し買い物。




 その後,あらかじめ「横浜みやげ」を購入。いつもこの辺の店で買っています。

その後,桜木町駅へ。関内駅よりこちらの方がかなり新しい感じに見えます。まず,駅名が光っていますね。

横浜駅付近で,いくつか店を見た後,関内に戻りました。戻ってみると,伊勢佐木町商店街も夜の雰囲気に。青江美奈ならぬ青色LEDでしょうか。


やはり4時間以上電車に乗ると,さすがに疲れます。本日だけはゆっくりと休んでおきたいと思います。